洋一の物語 -4

 洋一は目を覚ますと自分の手を握っている相手の顔を認めるのに時間がかかった。

「姉ちゃん……」

「よか……った…… 洋一! 良かったよぉ、目を覚まさないかもしれないって心配で心配で……良かった」

 自分の手を握る手が震えている。

「ごめん……こんな風に心配かけるつもり、無かったんだ」

「いいの、無事だったから」

「なんでここに?」

「イチさんと言う人が助けてくれたの。アパートから連れ出してくれた」

「イチさんが……」

 信用しなかったのに。『悪いようにはしない』『手を切らせてやる』そう言ってくれたのに。


「イチさん、分かんないことがあるんだけどね」

 テルはずっと疑問に思っていた。

「なんで桜華組が売人から買う方のヤクをスらせたのかな。そしたらもう一度そこから買うでしょ。相手の儲けが増えるだけじゃないかって思うんだけど」

「多分その客を横取りしてるんだろうな。ヤクを取られちゃ客は焦る。その時に目の前にヤクを出されりゃ飛びつくだろう。スる相手を特定できているんだ、後は簡単だよ、そいつに初回は格安にしとくとか言って供給源のルートを変えるんだ」

「でも元の売人に泣きついたら?」

「そういう客には元の売人は高い金を吹っ掛けるだろうな、足元を見る。なら格安って言われた方に飛びつく」

「で、桜華組に客が流れる……」

 そこまで行ってテルはまじまじとイチを見つめた。

「なんだよ」

「いや、普段は感じないけど。イチさんってやっぱりヤクザなんだなって思ったんだよ。そんなことをスラっと言えるなんてさ」

「なに今さら言ってんだよ。俺がヤクザだってことは分かってる話だろ」

「……つくづく怖い世界だ、ヤクザの世界って」

「そう思うならさっさとここから自立すべきだな。親父っさんはそのために手を貸してくれてんだから」


 優作の思考回路は単純だ。頼られた。ならやる。それだけ。そこに付随するものや危険は二の次だ。

(なんだ、あれ)

前方に騒ぎが起きている。消防車まで来ている。

「なんかあったんですか?」

 心配そうに覗いているおばちゃんたちに聞いた。だいたい興奮している時の『おばちゃん族』は聞かなくたってあれこれ教えてくれる。

「寺田さんとこから火が出たみたいなんだよね。お蔭で家には入れないし。放水でもされたら火災保険だって下りないし。冗談じゃないよ、ホントに」

「それは大変だね! 寺田さんは?」

「姉弟で住んでるだけど騒いでる間に出てっちゃったみたいで。何考えてんだか。火元ならまず謝るのが筋ってもんでしょ!」

 おばちゃんは本気で怒っている。

「いい姉弟だと思ってたのに、見損なったよ!」

(誰がやったんだ? いないって、桜華組が連れてったのか!?)

だとしたら桜華組に助けに行かなくちゃならない。近くの桜華組の事務所はどこだ? そんなことを考えている時に後ろからガシッと掴まれた。

「何しやがん」

 後ろから口を塞がれた。

「俺だ、何も喋るな。どこにあそこの連中がいるか分かんないからな」

(カジさん)

口を塞がれたまま頷いた。

「よし、黙ってついて来い」

『姉ちゃん』の行方が気になる。くっついて行ってる場合じゃない、そうは思うがカジを怒らせると碌なことにならないことも知っている。

 入ったのは近くのラーメン屋。カジは入り口が見える位置に座った。

「こんなとこで呑気に飯食ってる場合じゃねぇよっ!」

 一応小さい声で文句を並べる。

「いいから注文しろ。お前が張られてるかどうか、それを見極めるんだ」

 カジの目は後から入ってくる客をさり気なく見ている。優作は気もそぞろでラーメンを平らげた。

「大丈夫そうだな。電車で帰る。余計なことをごちゃごちゃ言うな」

 口を開こうとする優作を制するように釘を刺した。

「車で来たんじゃねぇの?」

「パーキングに置いて来た。後で誰かが取りに来るだろ」

 駅に向かう。電車を何回か乗り換える。三途川の家からだいぶ離れたところで電話をかけた。

「終わったよ。現場の連中は撤収させてくれ」

 それだけ言って電話を切った。ホームのベンチに座って何回か電車を見送った。

「お前のせいでみんながえらい目に遭ったんだ、覚悟しとけよ」

「俺は洋一に頼まれたことをやろうとしただけだ!」

「東井と柴山さんとこに迷惑かけたんだぞ。そんなこと通用しないって分かるよな?」

「でも探さねぇと! 桜華」

「その名前を出すな!」

「……そこの連中に連れてかれてたら救い出さなくちゃなんねぇだろ!」

 カジのゲンコツが優作の頭に落ちる。

「いてぇよっ!!」

 頭を抱える優作に、子どもに言うように言い聞かせる。

「もうこっちで保護した。お前は何も考えるな。みんなにどう謝るのかそれだけ考えとけ」

「俺は間違っちゃいねぇ!」

「つくづくバカだな、お前ってヤツは」

 それきり二人とも口を利かずに、今度は三途川家に向かって電車に乗った。

 やっと家に辿り着いた。イチはいない。あちこちに頭を下げに行っていると言われた。

「東井の事務所に借りを作っちまったって、イチさん参ったって顔してたよ。イチさんのお蔭で命拾いしたな」

 待ち構えていたテルから説教される。

「相手が桜華組なんだ、いくら気をつけたって過ぎるってことは無いってことくらい分かってるだろ! 今桜華組と事を構えるわけには行かないんだよ。俺たちはヤクザじゃないんだ、組同士のごたごたに首を突っ込むな!」

「でも」

「『でも』は無しだ。……お前の気持ちが分かんないんじゃないんだよ。ただな、突っ走るな。行く前に俺になんで何も言わなかった? そういうんだけでも変わるだろ? お前の頭はな、『浅はか』って言葉で溢れてるんだ。もうちっと自分ってものを理解しろよ。とにかく親父っさんとイチさんにはひたすら謝れよ」


 春香の書いたリストの物は伴野の働きで回収できた。たいした量じゃなかったから騒ぎのあった夜に忍び込んで持ち出したのだ。今頃桜華組じゃ消えた姉弟の行方を必死に探しているだろう。けれどそこに三途川組が絡んでいることを示すものは何も無い。

 住民票は他県の三途川組の息のかかった家に移した。正確に言えば空き家だ。郵便物は全て私設私書箱に届く。念のため柴山の知っている行政書士を動かして住民票保護の支援措置も取らせた。これで洋一に繋がるものは全て絶ったことになる。

 春香は東北の旅館で働くことになった。洋一は三途川一家に役に立ちたいと言うのをイチが一喝して姉と一緒に東北に行かせた。

 半年我慢して、洋一は何度もイチに連絡を取った。どうしても組の役に立ちたい。

「それってヤクザになるってことか?」

『はい。どこの事務所でも構わない、俺を使ってください』

「面倒なんだよ、お前を使うの。死体を一つ用意しなきゃなんねぇ」

『死体?』

「お前を法的にも死んだことにしなくちゃなんねぇだろ?」

『出来るんですか!?』

「そこまでお前に手間暇かけたくねぇんだけどな。やれることは充分やってやったはずだ」

『分かってます。だからこそ役に立ちたいです! どうかとりなしてもらえませんか?』


「親父っさん、洋一がうるさくて敵わないんですけどね」

 あれから1年が経つ。勝蔵は笑った。

「いいよ、ここに来させろ」

「でも桜華組が」

「あそこは今内輪もめで忙しい。お前も知ってるだろ?」

「確かにあそこは縄張りのことでがたついてますが」

「洋一は連中に取っちゃ雑魚だ。もう追っかけてもいねぇだろう。ただし、盃は無しだ。まだ若いからな」

「親父っさん、甘すぎますよ」


 優作はあの一件の後、辛い目に遭った。勝蔵の幼馴染の神主、寿生としおに預けられたのだ。いつも掃除に行く神社だ。

「俺は坊主になるのはイヤだ!」

「神社は坊主ではない。『宮司ぐうじ』という。それにお前を宮司にするなんてとんでもない! それこそ罰が当たる。お前は『助勤じょきん』だ」

「『助勤』て?」

「早い話が神社のバイトだ。お前を住み込みで1ヶ月預かった」

「なんだ、バイトか」

「朝の食事は粥のみ。朝拝と夕拝をやっておきよめの御祓業みそぎぎょうをする。4時に起きて11時半に就寝」

「それ、平日だけだよな?」

「そもそも休日と言うものはない」

「死ぬ……給料は!?」

「そうだな、労働法で定められる最低賃金は払おう」

「儲かってるくせにケチだな!」

「勘違いしているな? 私の一ヶ月の収入は19万5千円だよ」

「それっぽっち!?」

「それが一般的だ。坊主とは違う」

「……すげぇブラック企業……」

 こうして優作には恐ろしく長い苦行が始まった。その甲斐あって、優作の言動に変化は…………無かった。



―「洋一の物語」 完 ―

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