洋一の物語 -2

 洋一は天井を見ていた。いや、姉の顔を思い浮かべていた。姉は自分のことはいつも後回しで、洋一の反抗期で も辛抱強く面倒見てくれた。叔母たちに気遣ってそれこそ使用人のように言いつけられたことを文句ひとつ言わずに……

(姉ちゃん…… 無事だよな? 必ず戻るから)

 テルと交代した優作が幾つかの椀が載ったお膳を持って中に入った。

「内臓平気だって聞いたけどさ、熱が結構あるって言ってたから消化のいいもん作って来た。後で好き嫌い言ってくれ」

 さっきの怒りはどこに行ったのか、優作は世話を焼き出した。椀のフタが開くとすごくいい匂いがする。

「俺は意外と料理は上手いんだ。動くのはまだまずいから食わせてやる」

「いいよ、自分で、食える」

「いいって、じっとしてろ。熱いのは平気か?」

「う、うん」

「よし。一応メニュー言っといてやる。かゆはダシを使った卵がゆだ。味噌汁は上澄みだけにしといた。カツオ節削ったんだぞ、残すなよ。後は煮物だ。里芋とニンジンと鶏肉を柔らかく煮た。迷ったがシイタケは止めた。キノコって消化悪いしな……どうした?」

「俺の……ために?」

「他に誰がいるってんだ? 熱出してんのはお前だけだ」

「名前、教えてくんないか?」

「優作。年は23だ。そう言えばお前、幾つだ?」

「20はたち

「うわ、老けてんな! ほとんどタメかと思ってた」

「優作さん、ヤクザになるの?」

「分かんねぇ。先々のことを考えろって言われるんだけどさ、ここの居心地が良くって考える気になんねぇんだ。さ、食え」

 頬の横にタオルを敷いて木の匙でかゆを食べさせてくれる。みそ汁の上澄みは吸い飲みで。煮物はすごく柔らかい。味付けは薄くしてあって本当に病人食だ。

 口に運んでもらううちに涙が滲み始める。目を閉じると冷たいタオルがその上に載った。

「熱高いせいだ。俺もそうだよ、寝込むと涙っぽくなっちまうんだよな」

 分かってくれている、そう思った。自分の気持ちを。声が漏れてしまう。寝込んだことも無い優作は立ち上がった。

「食うの、ちょっと休憩だ。俺、トイレ行きたくなったからよ」

 優作は廊下に出て襖を閉めた。そこに胡坐をかいた。中から嗚咽が響いてくる。

(お前もか? 他人のあったかみってヤツを知らねぇんだな)

 たとえもらい泣きであっても、泣かないことに決めている。優作は腕組みして声が治まるのを待った。

 10分もして治まったらしいと襖を開けると、洋一は座って煮物の残りを食べていた。

「おい、無理するな」

「美味くて……」

 笑った顔は年相応に見えた。残さずに全部食べた洋一に薬を飲ませた。

「良かったよ、食えて。なんかしてほしいことあるか?」

 寝かせられた洋一は優作を見上げた。

「優作さん。俺、帰んないとなんないんだ。頼むよ、行かせてくれよ」

「だめだ。それはならねぇって言われてる」

「姉ちゃんが危ないかもしんないんだ、寝てなんかいらんない。飯食ったしもう動けるから」

「ならねぇ。必要なら俺が代わりに動いてやる。だからお前は寝とくんだ。して欲しいことを言えよ」

 洋一は口を閉じた。


「入るよ」

 医者だ。園田という。40くらいでちょっと白髪交じり。メガネをかけている。肩が張っていて少し痩せ気味。やたら声が低い。病院に行くわけに行かないケガ人は皆この先生に世話になる。

「食ったか?」

「出したもんは全部」

 中身と量を確かめると園田がにやっと笑った。

「よく面倒見てるようだな。お前もたまには寝込めよ」

「悪いな、藪医者にかかる気はねぇんだ」

「詰まんないヤツだな」

「どうなんだよ、こいつ」

「慌てるな」

 布団を捲って脇腹の傷を確かめる。洋一は大人しくしていた。

「動かしたのか? また出血している」

「さっき飯食うんで起き上がったくらいだ」

「ばか、体を起こしちゃダメだ」

「俺が勝手に、座ったんです、優作さんは……」

「分かった。とにかく大人しくしてろ。出血が止まらなかったら病院に入れなきゃならなくなる」

 注射をされると眠くなってきた。

「ねる、わけには行かないんだ……」

「起きててもらっちゃ困る」

 とうとう洋一は優作に縋った。眠くて堪らない。

「ねえちゃん、たすけて……西元木町、2ちょうめ、5ばんち、てらだ、はる……」

「分かった! 安心して寝てろ。ちゃんとここに連れてきてやる。医者!」

「園田先生と言え」

「誰かここに寄越すから。俺はちょっと出かけて来る」

「一人で突っ走るなっていつも言われてるだろう」

「俺が頼まれたんだ、洋一に」

 それだけ言うと廊下を走った。

「テルさん!」

 台所のテルに声をかける。

「俺、ちょっと出てくるから洋一を頼む!」

「おい! 優作!」

 動き出したら止まらないのが優作だ。舌打ちして洋一の部屋に行った。

「どこ行ったか聞いてます?」

「こいつの姉さん助けに行ったよ。頼まれたのは俺だとか言ってな。相変わらず猪みたいなヤツだ」

「あのバカ…… 桜華組が絡んでんですよ」

 園田の眉間にしわが寄った。

「下手するとケガじゃ済まないぞ」

「イチさんが動いてるってのに…… 先生、今日は忙しいんですか?」

「ここだけだよ。泊っても構わないぞ、その代わり」

「分かってます。酒出しますよ、美味いもんと一緒に」

 優作の心配がある。無事に帰って来るまで園田にいてほしい。


「イチさん、優作が行っちまった」

『どこに?』

「これから言うとこが洋一、あの若いのの住所だ。優作は姉さんを助けに行ったんだ」

 イチの返事は短かった。

『すぐ向かう』


 今日は親父っさんは板倉を従えて東井の事務所に行っている。イチはそこで親父っさんにあれこれ相談していた。

「テルからです。優作が突っ走りました。さっきの若いのは洋一っていうらしいです。でその姉さんを助けるとか言って」

「要するに事をややこしくさせに行ったんだな?」

「そんなとこです」

 親父っさんは少し考えた。

「相手が桜華組じゃ俺が下手に動くわけには行かねぇ」

 今は『三途川組』を背負っている三途川勝蔵の顔になっている。

「お前にもあまり前面に出てもらっちゃ困る。東井」

「はい」

「お前んとこのあまり顔を知られてない頭のまともなヤツを貸せ」

「みんなまともですよ」

 東井が苦笑を浮かべながら答える。後ろに立っている男に小さい声で指示を与えた。すぐに男が入って来た。

「こいつ、伴野ばんのっていいます。職を転々としてここに来ました。役に立つと思いますよ」

「そうか。伴野、イチの指示に従え。イチ、全部任せる。組の名前は出すな」

「分かりました」

 伴野は28だ。普通の会社員、バーテンダー、宅配業、塗装工、自動車修理工場その他もろもろ。呆れるほどの経験がある。

「ある女を助ける。その弟が桜華組のヤクの仕事に絡んでいた。今そいつはウチがかくまってるが、多分姉さんの方は桜華組に見張られている。それをあまり面倒を起こさずにさらって来るんだ。姉さんは全く事情を知らねぇだろう。だから博打になるな。覚悟できるか?」

 伴野は余裕のある笑顔を見せた。

「覚悟もへったくれも。親父っさんがやれと言ったんだ、やりますよ。もう一人若いのを連れてってもいいですか?」

「そいつは大丈夫なのか?」

 伴野は頷いた。


「いるな。あそこの角とあの電柱の陰だ。多分中にもいるだろう」

 あれからテルに電話して眠っている洋一からなんとかアパートの名前を聞き出させた。優作がどこを探しているにしろ、見張りが静かに立っているところを見るとまだ来ていないのは確かだ。

(あいつは漢気おとこぎはあるが、頭が弱いのが玉に瑕だ)

 そこが可愛くはあるが、事が終わったら優作をとっちめなくてはならない。しかもそれは初めてのことじゃない。

「弟が相手の組に捕まってからくりを喋られちゃ困るってのと、警察に駆けこまないように姉さんを押さえてるんだろうな。多分いるのは下っ端だ。上手くやれよ」

「そこは任せてください」

 伴野は連れてきた若い男と二人、作業員姿でアパートに向かった。

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