ナッチの物語 -5

「ただいまー」

「お帰りなさい! お嬢!」

「親父っさん、お嬢がお帰りです!」

 朝食を食べてからぐだぐだと布団に転がっていた夏男は階段を駆け下りた。そこに花が開いたような笑顔があった。

「あら! まだいたのね。あの時は出かける時だったからごめん。あの親父の娘、ありさ。あんたは?」

「夏男です! 江木夏男」

「そう。夏男ね? よろしく」

 手を差し出されて戸惑いながら握り返した。

(ごつっ! すげぇ手!)

 下ろした荷物を誰も取らないから「運びます」と手を出した。その手をピシャリと叩かれる。

「私の世話は要らない。それよりその頭なんとかしなさい。玄関に誰が来てもちゃんと対応できるようにしておくこと。いいわね?」

 慌てて頭を触る。確かにあちこち飛び跳ねている。みんなが下を見てくすくす笑っているのを感じてカッとなった。

「そんなこと、教えられてねぇよっ!」

 口を閉じる前に頬が熱くなる。お嬢の手だ。

「教えられなくても考えてやる。社会人でしょ、あんた」

「俺は……まだ17です」

 頬を押さえて呟くように言う。

「なら、家にお帰り。残ることに決めたんでしょ。それを決めることが出来たんだから後のことも決めなさい。それが社会人ってもんよ。年に甘ったれんじゃない」

 お嬢は荷物を抱え直すと奥に引っ込んでしまった。


(社会人……俺が?)

 思ってもいなかった言葉。

「おい、まだ振らついてんのか?」

 誰もいなくなったのだと思っていた。優作の声に驚いた。あれから極力避けている相手。

「来い」

 外に引っ張り出されて殴られるのだと思った。だがそのまま通りに出ていく。

「手、放してください」

「いいから」

「俺、頭も寝ぐせついたままだし」

「気にしたこと無かったくせに今さらカッコつけるな」

 連れて行かれたのは初めて出会ったあのパチンコ屋だった。

「ここ……」

(店長に謝れってことか?)

 確かにそれはすべきだろう、あれは自分が悪かったんだから。けれど優作は台を探している。

「あ、ここ。座れ」

 強引に座らされた。一万円札が機械に吸い込まれる。

「粘れ、いいか、これは時間かかっても絶対に出る! 俺はそっちで打つから金が足んなくなったら言え。粘れよ」

 最初はやりにくかった。まるで仕事をさせられるような感じ。だが左の離れた台に座った優作は自分のやっている台から目を離さずにいる。嫌いじゃない、だからだんだん真剣に玉の行方を追い始めた。


(クソっ! 今の入るかと思ったのに!)

 激熱げきあつが来るのに当たらない。

(こういう台はだめなんだよ、出ねぇよ)

でも出してもらった金だ。出ると勝手に思ったのは優作だし、自分の懐が痛むわけじゃない。当たらないのは詰まらないが、最近こんなことから遠のいている。それに比べればマシだ。

 それでも最後の500円分の玉が皿に出てしまうと優作をチラチラ見てしまう。

(どうしよう……出るって言われたのに)

後少ししか無い。また強いチャンスが来たがそれも空ぶり。息を詰めて見ていたのに台に八つ当たりたくなってくる。

「無くなっちまったのか」

 背後からの声にどきりとする。優作の手が伸びて一万が追加されそうになった。その手を掴んだ。

「待って!」

「なんだよ」

「金……俺に使わないでください。きっと出ないです」

「なに言ってんだ? 俺の目が間違ってるって言ってんのか?」

「そうじゃなくて、ただまだ出ないって思うから……」

「時間かかるから粘れ、そう言ったのは俺だ。連れてきたのも俺。恥かかすな。俺は責任持てねぇ言葉は口にしねぇ」

 そのまま一万円札を突っ込まれてしまった。背中をバン! と叩かれる。

「粘れ」


 残り1,500円。たいしたリーチじゃなかった。熱くもなんともない。冷めた目で見る回転が、左側から7、7と止る。端から期待していない。せいぜい近寄って4とか5とか。それが7で止まった。

(当たった?)

 それが始まり。さんざん金を吸い込んできた台が一気に吐き出していく。気持ちがいい、心が弾んでウキウキする。

「やったな」

 脇に来た優作を笑顔で見上げた。

「うん!」

「な、出るって言った通りだろ?」

「うん!!」

 頭を撫でられた。

 優作は目の前の夏男が初めて年相応に見えた。17。学校に行って部活だの試験だのでくだらないお喋りをしている年ごろ。難しいことを考えるのが苦手な優作だが、最近夏男のことが気になっていた。今までの連中より時間がかかりそうだとも思っていた。だから引っ張り出した。


「いくらになった?」

 店を出たのはもう夕方だ。

「6万8千円!」

「返せよ、俺の投資した分」

「うん!」

「飯、食ってこか」

「でも今日は洋一さんが作るよ」

「電話入れるから」

 久しぶりのラーメン屋。

「あそこで食ってるとさ、たまにこういうの食べたくなんだよ。昼間食えばいいって話だけどタイミングってあるだろ?」

 分かる気がする。手作りは有難い。でもたまにカップ麺だって食べたくなる。

「もっとさ、力抜いていいんだぞ」

 麺を啜りながら優作が言う。

「力抜くって…… 俺、何もしてないし」

「何もしないって、力要らないか? 俺には無理だ、何もしないように頑張んのは」

「頑張るとこなの?」

「そりゃそうだろ! みんな何かやってる。やってないのは自分だけ。力入れなきゃやってらんねぇよ、そんなめんどくせぇこと」

 身も蓋も無いような言い方だが、誰が言った言葉より今の自分の気持ちに近い。

「優作さんは? あそこに来た時、どうしたの?」

「俺か? 俺、回りっくどいことは嫌ぇなんだ。だからすぐにおん出た」

「出てっちゃったの?」

「ああ。なんか胡散臭ぇだろ、ヤクザの家だしまともじゃねぇって思うのが普通だ」

 優作がそんな普通の感性を持っている方が不思議な気がした。すぐどこにでも馴染みそうに見える。

「俺は曲がったことは嫌ぇなんだ。理由が分かんねぇことに手を出す気はねぇ」

「じゃどうしてあそこにいるの?」

「親父っさんがさ、若いのを押さえ込んでるのを見たんだ。知らないおっさんに頭下げてた、そいつが暴れんのを殴って蹴って。そして、も一回相手に頭下げた」

(うわ、ホントにヤクザだ!)

「そん時に言った言葉が気に入って戻ったんだ。『こいつのしたことは俺がしたってことと同じことだ。申し訳なかった。俺の仕切りが甘かった。好きなようにしてくれ』 そう言って相手に背中向けて座ったんだよ」

 なんとなく情景が浮かんだ。言いそうな気がする、あの組長なら。

「俺さ、その背中を蹴ろうとした相手に突っ込んだんだ。頭来ちまってさ。男がそうやって謝ってんだ、それを背中から蹴るのかってな。立ち上がった親父っさんが俺をぶん殴ろうとしたから怒鳴ってやった。『あんたの世話になっちゃいねぇ! 通行人のやることにまで口出しすんな!』ってな」

「……ヤクザ映画みたい」

「ばぁか、映画より面白ぇよ、現実ってのは。俺は親父っさんに気に入られるかと思ったんだがな、二度と顔見せんなって言われた」

「なんで! 助けたんじゃん!」

「自分のケンカだけじゃない、人のケンカにまで突っ込んでくるような危ないヤツは面倒見たくないって」

 ヤクザなのに、『危ないヤツ』と言うのか?

「ヤクザなら掃いて捨てるほど見てきたし、いくらでも行き先があるだろう。好きなところに行けってな。だから親父っさんに頭下げた。面倒見てくれって。ヤクザになる気なんか毛頭ない、だから置いてくれ」

「それでいいって言われたの?」

「ああ。ヤクザもんになりたくないって言うんなら来いってさ」

 しばらく無言が続いた。

「よく……分かんないよ、それ。親父っさんは何がしたいの?」

「さあな、ややこしいこと聞くのはイヤだから聞いてねぇよ。お前が聞いたら教えてくれ」

「大雑把だね! 優作さんは何考えて生活してんの!?」

「じゃ、お前は? なんかちゃんと考えてるか?」

「それは……」

「分かんないから不貞寝してるだけだろ? バイトしたきゃすればいいじゃねぇか。住所が必要ならのんのさんに聞いて住所どうしたらいいかって相談すりゃいい。電話もそうだ。後は……身元保証人か? イチさんに聞けば? そういうのってどうしたらいいかって。それっくらいのこともしてねぇんだろ? 連中の言ってんのはそういうことだ。どいつもこいつも回りっくどいからこうなる。本人が自分から分かった方がいいって言うが、俺はこだわんなくたっていいじゃねぇかって思ってる。お前に教えるのも教えねぇのもそれぞれの勝手だ。だから俺は教える。これで分かったか?」


 翌日には役所に行った。住所は三途川家に居候だから移した。電話は共同で使わせてもらう。三途川家には3台電話があると初めて知った。家族用と、居候用。もう一つが組用だ。

 身元保証人には女将さんがなってくれた。

「これで何かごちゃごちゃ言ったら『勝蔵に保証人になってもらう』と言っておやり」

 そんな恐ろしいことにならずに心底ほっとした。住所だけで向こうは分かってくれたのだ。

『三途川さんとこ? いいよ、いつから来る?』

 最初はその日払いにしてもらうことにした。何せ手元に現金が無い。しばらくは日払い。そして週払い。その後は相談する。


 最初に買うのは椅子と決めていた。けれどその日の賃金で買って帰ったのは煎餅だ。みんながよく食べているヤツ。

「ただいま!」

「お帰り! どうだった? 初めてのバイトは」

 お嬢だ。今日は土曜だから家にいる。源やのんのも玄関で出迎えてくれた。

「俺、オーダー取るのミスしちゃって。アイスティーって言われたのにアイスコーヒー用意しちゃって」

「それは大変な失敗をしたわね!」

 お嬢が言い、それにみんなが笑っている。

「俺もそう思っちゃって。どうしようって青くなってたらあっさり『次気をつけろよ』って言われて。給料から引くか聞いたら、引いてほしいのかって笑われた」


 夕食の前。親父っさんの前に座った。煎餅をその前に置いた。何袋もある。

「これ、俺の初給料で買いました。みんなで食べてほしくて」

 親父っさんの目が優しくなった。

「ばか。食べてほしいんじゃなくて、みんなで食べたいんだろ?」

「……はいっ! みんなで食いたいです!」

 夏男はみんなを振り返った。

「当番のこと、教えて下さい!」

「こき使うぞ。覚悟しとけ、夏男」

 カジの言葉に、笑顔が零れた。



 ―「ナッチの物語」 完 ―  

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