ナッチの物語 -2

「どうしようってんだよ、俺を」

 もう暴れる気はないらしい。ただ不貞腐れた子どもみたいに文句を言う。

 入ってすぐに奥の広い和室に連れて行かれた。勝蔵がイチの出した座布団に座る。若いのは自分にも座布団を出されたことに戸惑っていた。それには座らず、畳に直に背中を丸めて胡坐をかく。

「どうされると思ってるんだ?」

「どうせ袋叩きにしようってんだろ? ここ、やくざの本部ってわけ? ずいぶんアットホームなんだな」

 廊下で聞いていた優作が部屋に入ろうとしてイチに怒られた。

「入るんじゃねぇ。2階の自分の部屋を片付けて来い。今朝見たら散らかってたぞ」

 この家では、『隅々まできれいに丁寧に』というのが気持ちの中で互いの合言葉になっている。別に親父っさんや女将さんに何をいわれるわけでもない。ただ、散らかっていると恐ろしいことに組長が掃除を始める。雑巾を持って掃除機を動かす。黙ってそれをやられるからみんなは塵一つ落とさないよう心がける。

 優作はぶう垂れながら2階に上がっていった。

(今度はあいつか。親父っさんの酔狂にも困ったもんだ)

けれど、その酔狂のお蔭で自分はこうしてここにいられる。


「お前、桜華組に世話になるのか」

「手っ取り早そうだからさ、上に上がんの」

「手っ取り早そう?」

「デカいとこはいやだ、ずっと下っ端で終わる。桜華組はバカばっかりだから上に上がるの簡単だよ。三途川組ってのもあるけどあそこは固そうに見えるからやってけないような気がする」

「ふーん、いろいろ考えてるってわけか。お前、頭はいいんだな」

 勝蔵から見れば、どちらかというとヤクザの組に入るというより喫茶店でもアルバイトしている方が似合うような子ども。

「お前が暮らしていくのにヤクザになるって必要なことなのか?」

「だから、手っ取り早いって言ったろ?」

「なるほど、手っ取り早い人生ってのを望んでるわけだな。ならホームレスになっちゃどうだ? ちょっとした引っ手繰りでもやって少年院にはいりゃいい。世の中に背中を向けて歩くにはちょうどいいだろ」

「やっぱりガキ扱いかよ」

「ガキだろ、何も考えちゃいねぇ。目先のことすら考えてねぇのはガキ以下だ」

 黙り込んで睨み返してくる顔に、睨む顔が似合わなくて勝蔵は笑った。

「なんで笑うんだよっ!」

「可笑しいから笑うんだ。世の中ってのを何も知らねぇやつが凄んでるってのは、はたから見りゃ面白れぇだけだ」

 相手の目から怒りが引っ込んだ。興味深そうな目で勝蔵を見ている。

「あんたさ、誰?」

 勝蔵は吹き出した。

「お前の言う固そうな『三途川組』組長の三途川勝蔵だ。がっかりしたか?」

 途端に若いのは座り直した。さっきの威勢のいい顔が消えた。

「いっぺんに興ざめの顔になったな。なんだ、ただの詰まんねぇ小僧か」

「あの、知らなくて…… すみません」

「何がだ? 知らねぇジジイには偉そうに凄むが、組長と分かった途端に頭下げんのか。どうやらプライドってヤツも育ってないらしいな」


 廊下から女性の声がした。

「父さん、ちょっといい?」

「構わねぇ、入れ」

 襖が開いてきれいな女の人が入って来た。ガキンチョの目が釘ずけになる。

「出かけるから」

「いつ帰って来る?」

「連休明けになると思って」

「そろそろやめねぇか、山なんかに登んの」

「出かける前に説教? ……この子は? また拾ってきたの?」

「こいつは……そうだった、お前ぇ、名前はなんてんだ?」

「……江木夏男です」

「私はありさ。このヤクザもんの娘。よろしくね。話は山から戻ってからね。じゃ」

 夏男はきれいな『ありさ』という人の言葉にいくらか胸が弾んだ。

『話は山から戻ってからね』

「夏男ってのか。お前、ここに住め。それでどこの組にするか、それともどんなとこで働きたいか結論出せ」

「勝手に俺のことを決めんなよ! ……あ、いや、決めないでください」

「イチ!」

「はい」

 襖が開いた。

「こいつを任せる」

「はい」

「甘やかさなくていい。こいつに必要なのはそういうんじゃねぇ」

「俺抜きで話すなよっ!」

「出ていきたきゃいつでも出てけ。別に止めねぇよ。人生決めるまでここにいるんならそれも構わねぇだろう。好きにしろ」


 夏男は『イチ』という男に奥の部屋に連れて行かれた。

「悪いな、今は上がいっぱいだ。ここで我慢してくれ。押入れのもんとか、好きに使っていい。今日ケンカした男、優作ってんだが、しばらくは相手するな。俺がめんどくさいことになる」

 えらく奇妙なことになって来た…… 家を出てからあちこち回ったが、あっという間に持っていた金も使い果たし、僅かな残金を増やそうとしてパチンコ屋に入った。そうやって食いつないで来たが、あの店で当たっている最中に玉が出なくなった。店員が対応したが直らず他の台に移れと言われカッとしたのだ。

 そこにあの男が入ってきて、そのせいでややこしいことになりつつある。


 好きに使っていい、そう言われた部屋を見回す。きちんとした6畳間の和室。『悪いな』『我慢してくれ』と言われたのが分からないほどきれいだ。

 押入れを見るとふかっとした布団一式がある。

(古いのかな? ずっと誰も使ってなかったりして)

けれど嗅いでみるとお日さまの匂いがした。

(干したばっかりってこと?)

 もう暑くなるから掛布団は要らない。手触りのいい毛布があり、袋に入った肌掛けもあった。それは新品だ。

(やっぱりやくざって金があるんだな)

きっとカツアゲとかショバ代とか闇金とか、そういうので金がガポガポ入るんだろう、そう思った。

 早速布団を広げてみる。枕が大きい。今日はケンカもしている。あちこち痛くてそのまま寝転がって目を閉じた。

(久しぶりに気持ちがいい……)

そのまま眠ってしまう。


「おい」

 何か声が聞こえたような気がしたが起きたくない。

「おい!」

 目を開けると覚めてしまうようだ、布団に入っている夢が。ここのところ碌な場所で寝ていない。暖かい夜は公園のベンチ。天気が悪いと僅かな金を考えながらネットカフェ。

「起きろ! 飯だ!」

 パッと目が開く。

「飯? ……あれ?」

 夢の中だったはずの部屋に自分がいる。しかも贅沢にも布団の上で横になっている。

「ここ……」

「寝惚けてんのか? 親父っさんが拾ってきた新しいヤツだろ?」

「親父っさん…… あ!」

 慌てて座った。そうだ、三途川組の組長だ。そこに引っ張られて来た。

「俺、なんかされる?」

 思わず聞いた。目の前の若い男は親しみやすそうな顔をしている。

「なんかされるようなこと、したのか?」

「ケンカした。優作っていう人と」

「なんだ、なら気にすることないよ。あの人ケンカが趣味だから。それより飯食いに来い。みんなで食うのがここの決まりだ」

「行っていいの?」

「来なきゃ飯抜きだ」

「じゃなくて。金とか」

「お前そんなこと言うと女将さんにどやされるぞ。いいから来い」

 名前はげんだと聞いた。話しやすいし頼りになる。ここは合宿の寮だと思えばいい、そうも言ってくれた。寝てる暇があったら逃げ出すべきだったのかもしれないとも思う。ケンカしてヤクザの家に連れ込まれたのだ、いいことが待っているわけがない。だが連れて行かれた大きな部屋で面食らった。

「おい! こっち!」

 よりによってど真ん中の席。みんなが食事に手もつけずに見上げてくる。イチが目で『座れ』と言う。

「取り敢えず名前と年を言え。みんな、新顔だ。どうするのか多分本人も決めちゃいねぇ。しばらくは俺と親父っさん預かりだ。優作、ちょっかい出すなよ」

「組長は?」

「親父っさんでいい、ここじゃみんなそう呼ぶ。今夜は事務所に行ってるから多分戻らねぇ。さっさと自己紹介ってのをしろ」

 自己紹介。そう言われてまごついた。みんなが自分を見上げて待っている。

「江木夏男です。17歳です。高校は中退しました。家を出て桜華組ってとこに行こうとしている時にパチンコ屋で組……親父っさんに捕まりました」

「桜華組?」

 デカい男の顔色が変わった。

「お前、桜華組のもんか? まさか鉄砲で来たんじゃないだろうな!?」

 夏男はその迫力にいっぺんに青くなった。昼間とは違う。起き抜けだし、ケンカの後の勢いも無い。

「カジ、そいつ青くなってるじゃねぇか。何も分かんねぇで言ってるだけだ、だから親父っさんは連れてきた。なら問題ないだろ?」

「……分かった」

「夏男、座れ。腹減ってんだろ? 好きなだけ食え」

 夏男の前にご飯がたっぷり入った丼が置かれる。

「いただきます!」

 一斉に言う声に遅れて小さな声で「いただきます」と言った。

 美味い、どれもこれも。炊き立ての飯、刺身。煮物があって、キャベツの千切りと唐揚げ。湯気の立つ味噌汁と漬物と。どれもこれも幾つかの大皿に載ってどん、どん、とテーブルの上に所狭しと置いてある。

「夏男、さっさと取らねぇと無くなっちまうぞ」

 正面にいるちょっと頭の薄い男が唐揚げにかぶりつきながら言う。口を動かして首を振りながら自分の皿にたっぷり取った。

 久しぶりの味噌汁。久しぶりの漬物。たくあんを音を立てて噛んでいるうちに涙が落ちた。

「おい、どうした?」

 イチが聞く。

「なんで?」

「なにが」

 夏男の問いにイチが答える。それをみんな黙って聞いている。

「なんで……こんなことしてくれんのさ。……俺が誰かも分かんないのに」

「簡単なことだ。親父っさんがお前を連れてきた。お前にあれこれ言えんのは親父っさんだ。飯の時間だからお前を呼んだ。ただそれだけだ」

 その返事に腕で涙を拭う。

「子どもを泣かすなよ」

 のほほんとした声がする。

「俺はのんのだ。『野々のの之男のりお』って名前だけどめんどくせぇって、誰もかれものんのって呼ぶ。17だって? あれこれ聞く気は無いから安心しろ。食ったら出てくのか? そうなら風呂入ってからにしろよ」

 よく分からない、自分の立場が。どうすればいいのか。ここを出たとして、本当に桜華組に世話になるのか? 荒くればかりだと聞いた。強くなりさえすればいつでも上にのし上がれると。けど……

「俺、ここでどうしてればいいの?」

 一人が笑い出した。そんなに年が変わらないように見える。

「だよなぁ、俺ん時とおんなじだな。俺もさ、なんで連れて来られたんだか分かんなかったよ。どうしてりゃいいのかも。とりあえず今日は風呂入って寝ろよ。考えんのは明日でも明後日でもいいんだ。話したいことがあれば話せばいいし、聞きたいことは聞けばいいんだ。でも今夜は大人しく寝ろよ。出てくのもいいけど当てなんかないんだろ?」

 無い。なにも。親を恋しいとさえ思わない。暴力の嵐の中で強くなって、父親を踏み潰せるだけの男になりたい。そう思っただけだ。だから手っ取り早く桜華組に行こうと思った。

「そうする。風呂入って寝る。明日考える」

「それでいい。後は好きなようにしろ。ただ明日の朝食にはきちんとここに座れ。時間は7時だ。いいな?」

「はい」

 子どもに戻ったような気持でイチに頷いた。

「お前、素直だな。俺ん時とだいぶ違う。俺は洋一。よろしくな」

 さっき笑った自分と変わらなそうな若い男。

「俺はカジだ」

 おっかない大きな男。にこりともしないで言うからさらにおっかない。

「そっちの髪が薄いのはテルっていう。なんで『テル』なのか、今度本人に聞け」

 真面目に言うイチの言葉にみんなが吹き出す。本人でさえ笑っている。

(ここ……あったかいなぁ)

また涙が落ちた。源が立って来た。

「風呂、案内するよ。ほら、もう泣くな」

 夏男は何度も頷いた。

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