イチの物語 -3

 東京駅に迎えに来てくれたのは梶野かじの勇吉ゆうきちという体格のいい男だった。年は28。一郎より6つ上だ。

「梶野だ。親父っさんからはカジって呼ばれてる。車で来た。乗れ」

 必要なことを最小限で話すような無口な男だ。

「世話になります」

「俺が世話するわけじゃねぇ。挨拶は親父っさんにしろ」

「どんな人なんですか?」

「会えば分かる」

 そのまま会話も無く、三途川家に向かった。紋きり調の説明だから、この時点で一郎の中に不安が生まれている。

(上手くやっていけるとこなのかな……)


 着いてみると、普通の家に見えた。すごく広いし高い塀に囲まれているけれど。第一印象をつい言ってしまう。

「凄い塀ですね!」

「ああ、カチコミ対策に立てたまんまだって言ってた」

「カチコミって?」

「殴り込みだ」

(とんでもない所に来たのかもしれない)

 ふてぶてしくなっていた一郎だが、内心ビビってしまった。


「戻りました!」

「おぅ、カジ! 中田んとこに『いい加減にしろ』って言って来い!」

(デけぇ声!)

 いかにもヤクザ者といったドスの効いた声だ。

「はい、それだけでいいですか?」

「それで分かんねぇなら俺が行く」

「ああ、それ、効きそう……」

 これはカジの独り言になっている。

「行きます!」

「その後、菅原んとこに寄れ」

「そこでは何を言いますか?」

「『バカヤロー!』それでいい」

「はい、分かりました!」

(すげぇ指示……)

 さっさと出て行く梶野に慌てた。玄関に突っ立ったままどうしていいか分からない。

 だがすぐに声が飛んできた。

「いつまでもそこに突っ立ってんじゃねぇ!」

 自分に言ってるんだと思い、急いで中に入った。そこには思っていたより小柄な男が座っている。だがその迫力たるや、今まで会ったことのある人間とは大違いだ。気圧されるものがある。『眼光』という言葉が浮かんだ。『オーラ』とか言う軽いものじゃない。そばにいるだけでビリビリと窓ガラスが震えるようなそんな空気が伝わって来た。

「庭がある。水撒いて来い」

「え、あの、これ」

 恐る恐る紹介状を出すと、男はきちっと正座した。紹介状を押し戴くように両手で持って額まで上げ、お辞儀をする。思わず自分も正座した。広げて中をざっと一読する。すぐに電話を取り上げた。

「白石か、三途川だ。預かった。お前も元気でやれ」

 それだけ言って電話を切った。

「ぼさっとすんじゃねぇ! 庭に水撒いて来い!」

「はいっ! あの、どういう風にしたら」

「考えろ」

『それ以上聞くことを許さない』というより、『話は終わった』という顔をしているから仕方なく立った。だいたいどこが目的地なのかも分からない。


 廊下に出てあちこち歩く。明るい方に行くと、見事な中庭があった。時期は春先だ。紅梅が咲いていてちょっと見惚れた。

「いい庭だろう」

 後ろから声をかけられて飛び上がった。あまり自分と変わらないような年に見える。自分は今22だ。それより上だろうと思うが、そこで頭に気がついた。

「俺は、テルだ」

(てるい、てるざわ、てる)

「八木順一ってんだけど、見ての通り頭が薄い。だからここではテルだ。よろしくな」

 真面目な顔だから反応に困った。

(ヤバい……笑うの、堪えねぇと)

「笑いたいんだろ? 笑っていいよ、慣れてっから」

 そう言われて笑えるわけがない。さらに必死に耐える。

「あんた、いい人だな。一生懸命な人、それが俺の第一印象だよ。ここに居ついてくれるといいんだけど」

 初対面で言われてドギマギとする。

「ところで、笑っといた方がいいと思う。俺の頭見るたびに可笑しくなるだろ? 一回笑っとけば次が楽になるよ」

 また真面目な顔だから、話の中身とあまりにもギャップがあってとうとう吹き出した。

「ご、ごめん、だめだ、耐えらんねぇ、わる、悪い、ホントに」

 ひとしきり笑って、やっと落ち着いた。

(怒って無いかな)

そう思って顔を見ると笑っている。

「笑えたろ? 緊張、解れたか。親父っさんから何て言われた? あの人四の五の言わな過ぎて慣れるのに時間かかるよ。分かんないことは俺に聞いてくれよ。カジさんはだめだ、あの人喋るの苦手だし下手だから」

 じわっとしてきた。

(この人……俺の緊張解くために……)

そして分かった、『一回笑っとけば』その言葉の真意が。

(俺が委縮しないようにしてくれたんだ)

「何しろって言われた?」

「庭に水撒いて来いって」

「じゃ、こっちじゃねぇよ、外だ」

「荷物はどうしたら」

「あ、そうだった。1階と2階、どっちがいい?」

「どっちでも」

「ああ、だめだ。ここでその言葉は禁句だ。『どっちでも』『どれでも』そういうの、少なくとも親父っさんの前では言うな。いいな? で、どっちだ?」

「……じゃ、2階で」

「分かった。手伝ってくれ」

 2階の奥の部屋に行くのをついて行った。

「どこもきれいにしてるんですね」

 隅から隅までピカピカだ。

「毎日掃除してるからな。明日からお前もだ。朝6時には家ん中全部掃除を終わらせてる。何時に起きたっていいがそれは守ってくれ。これは親父っさんと女将さん、お嬢以外全員で交代だ」

「お嬢?」

「お嬢さんがいる。お前や俺くらいの。あ、手、出すなよ。殺されるからな」

「親父っさんに?」

「お嬢に」


 奥の部屋はやはりきちんと片付いているが、どう見ても誰かが使っている部屋だ。

「この部屋の人は?」

「俺だ。荷物、全部下ろすから手伝ってくれ」

 一瞬何を言ってるのか呑み込めない、そして手を振った。

「そんなつもりじゃ……あんたの部屋取る気なんか無いよ! 1階でいい! 1階でいいから!」

「あんたも男だろ? 撤回すんなよ、自分の言ったこと。他では通用してもここじゃ通用しねぇよ。別に嫌味じゃねぇんだ、気にするこたねぇから。他の部屋でもいいんだが、別のヤツに断り入れんのが面倒なだけだ」

(本当に大変なとこに来たかもしれない……)

 自分の言動に責任を持ってけじめをつける。それが当たり前のところ。いままでとは違う意味で一郎はブルっと震えた。

(怖いとこだ、白石さんが言ってた。厳しいって。親父っさんが厳しいって言うより、ここ、全部厳しいんだ……)

 自分にやっていけるんだろうか。そんな不安に包まれた。


 水遣りは「最初だから」と、テルが一緒にやってくれた。よく見ておこうと思った。こういう気風なら次は一人でやれと言われかねない。

「やっぱりあんた、いい人だ。俺の部屋を気遣ってくれたし。それに真面目だ。やってるとこ、熱心に見てるよな。頭もいいんだと思う、そういうとこに気が回るって」

「そんなに褒められても、俺、そんなんじゃねぇし」

「気がつかねぇヤツ、気が回らねぇヤツ。いろいろいる。そんな連中は初めはぬくぬくして、その内どうしていいか分かんなくなる」

「そういう連中、どうするんですか? 怒鳴られてやるってこと?」

「違う。誰もそんなことしないし、接し方も変わんないよ。ただ考える人間なら途中から変わっていく。自分がみんなと違ってるってことに本人が気づくんだ。そこでどう変わるかが問題なんだ」

(やっぱり厳しい……真剣に……人にも自分にも正直でいないとここにはいられない)

 正直に。『どっちでも』『どれでも』それを許さないのはそういうことだ。

「あんたは違う。初日でそれ全部分かった。頭もいいってことだな」

 淡々と言う言葉に『違う』とは言えなかった。

「ほら、頭いいんだよ。余計なこと、言わない」

 そう言うテルこそ頭がいいのだと思う。

「テルさん、年聞いていいですか?」

「俺? 20歳はたち

「え!?」

「みんな驚くんだよなぁ、頭のせいかな」

 それこそ違うと思う。『自分』というものを持っている。

「いつからここに?」

「17。高校の同級生を殴り続けて捕まった。年少(少年院)に半年くらい入ってた。出てきたら保護司にここに預けられたんだ。それきりここにいる」

「ここ……ホントにヤクザ、なんですか?」

 テルが笑う。

「そう思うよな、やっぱり。ヤクザだよ。あの人が組長。『三途川』って言ったら結構な組織だ。事務所がいくつもあって、そっちに筋モノ(本格的な強面)がいる。けど、ここは見ての通り俺たちみたいな若いのだけだ」

 思っていたヤクザ一家とはだいぶ違うことを知った。


 それから二週間。一郎はこの家のことがだいぶ分かって来た。『三途川組』のことはまだよく分からないが。

 この家のトップは、親父っさんじゃなかった。自分より一つ年上の『ありさ』お嬢さんだ。つまりみんなの呼ぶところの『お嬢』。もちろん父親として娘に弱いということもある。だが、それ以上にお嬢は男らしかった。

 お嬢はきれいな人だった。笑顔が眩しくて、まるで太陽だ。どんなはみ出しもんを相手にしても分け隔てが無いし、誰かが具合悪くなろうもんなら女将さんと交代で夜通し看病してくれる。

 しかし、父娘おやこの啖呵の切り合いは刃傷沙汰になるかと周りがはらはらするほど激しい。そして言い負かされるのは、たいてい父である親父っさんだ。


 組のことに関してはお嬢は一切口出ししない。父の『組長』としての領分には決して足を踏み入れない。その徹底ぶりははっきりしている。同じ屋根の下の一家。普段はいいが、一旦『組長』としての立場で一家の者に処分を下すとなると、その場にいてもお嬢は何ごとも無いような表情になる。別の部屋に移動するでもない、聞かないようにするでもない。ただその場で空気になるのだ。

 一度カジがお嬢の目の前で組長にぶん殴られたことがあった。その場にお嬢はいたがその目にはなんの感情も無いし二人を見もしなかった。一郎が心の中で(なんて冷たい女だ!)と思ったくらいだ。

 だが、親父っさんの叱責の後、殴られたせいで足元がふらついて廊下から中庭に落ちた時、お嬢は真っ先に中庭に飛び降りて『救急車!』と指示を出した。

『大丈夫……どうってこと、ありません……」

『なに言ってんの! ウチにとってあんた達がどんなに大事な存在か……黙って私の言うことを聞きなさい!』

 けれどその元になった親父っさんが殴ったことには一言も言及しなかった。

 恐る恐る、一郎はお嬢に直接聞いた。

「カジさんがふらついたの、組長の殴ったせいだと思いませんか?」

「あんた、何か勘違いしてる。その部分ってカジの責任の部分でしょ? あの人は組長なの。『組のもん』の躾は組長のやるべきことよ。私はヤクザの世界じゃなくて家族としてみんなを心配してる。家族の部分と組のもんとしてのけじめもつけらんないんじゃ、あんた、中途半端な人間になるわよ」

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