第13話 喪服の夫人

 シャーリーのための喪服が出来上がった丁度その頃、シャーリーが慣れないながらも必死に進めていた刺繍が、やっと完成した。

 母を思うディアナ嬢の思いを引き継いで、時間をかけてシャーリーが仕上げたものだ。

 多少不恰好ではあるが、詰まっている思いはどんなものよりも大きい。

 ミル卿に刺繍の完成を伝えると、彼は屋敷にケイティたちを招き、ハンカチを贈るための場を設けてくれた。


 数日後。ケイティとジョシュア、そしてシャーリーは、ミル卿の暮らす邸宅へとやって来た。

 手入れの行き届いた庭園とそこにそびえる大きな屋敷は、彼の地位をよく表している。

 人当たりが良いので忘れてしまいそうになるが、ミル卿は大貴族なのだ。

 応接室に通された三人は、メイドからしばらく待つように伝えられ、シャーリーを挟む形で長椅子に腰かけた。

 応接室はそれほど広い部屋ではなかった。調度品は目を引くような豪奢さはないが、どれも一流の品で、上品に室内を飾っている。

 シャーリーにとっては長く暮らしていた場所のはずだが、緊張からか不器用な固い笑みを顔に張り付けている。

「大丈夫よ、シャーリー。わたしたちも居るわ。肩の力を抜いて」

 リラックスさせるように手を握ると、表情が僅かに穏やかになる。ありがとうと言うように、シャーリーは手を握り返してきた。

「シャーリー、少しの間手を握っている?」

 ケイティが提案すると、シャーリーは安堵したようにこくこくと首を縦に振った。

「わかったわ。じゃあ、しばらくこうしていましょうか」

 微笑みあってシャーリーと手を握り直した。だが、シャーリーを不安にさせまいと振る舞っていても、ケイティ自身ひどく緊張していた。

 貴族の屋敷にメイドとして勤めた経験があるとはいえ、短期間だ。そもそも客人として招かれるなど、ケイティの人生で予想すらしていなかった。

(わたしの所作やマナーは付け焼き刃。貧困街出身だからと自分を卑下するわけではないけれど、立場が違うのだわ……)

 ケイティは、自分一人だけが場違いのような気がして仕方がなかった。

 服装は、貴族の屋敷へ招かれても恥ずかしくないものにしてある。けれど、所作や姿勢、あらゆるものが場に相応しくないような気がした。

 ケイティは、改めてジョシュアとシャーリーを見る。

 シャーリーは今、ケイティが作った喪服を身に付け、手にはラッピングされた箱を持っている。

 中身は勿論、刺繍を施したあのハンカチだ。

 彼女の楚々とした振る舞いは、やはりとても美しい。今日は服装も相まって、彼女を見た誰もが貴族令嬢と思うだろう。

 ジョシュアも貴族の屋敷に招かれたとあって、普段とは違う装いをしている。

 彼は仕事のために貴族の屋敷へ出向くことが多く、見慣れない格好ではない。けれど、彼の普段から見せる凛然とした振る舞いは、堂々として、貴族のそれと遜色ない。

(やはりわたしだけ、この場で浮いている……)

 気分はどんどん落ちていくが、手を繋ぐシャーリーに不安を与えないよう、必死に取り繕う。

 なんとか気を取り直そうと顔をあげたとき、ふいにジョシュアが、両手でケイティの頬を包み込んだ。

「もう少し力を抜け、ケイティ。シャーリーも。大丈夫だ、俺が居る」

 蜂蜜色の瞳に見詰められ、ケイティは気恥ずかしさに目を伏せた。

 彼はいつでも出逢ったあの日と同じように、凛とした空気を纏っている。それが頼もしく、気分を少し落ち着けることができた。

 今日は服装も関係してか、出逢った日のことを思い出し、胸がさざめくような感覚に陥る。

(出逢ったあの日のようで、なんだか落ち着かないのよね……)

 ケイティは胸に手をあて首を傾げたが、今はシャーリーの様子が気になってそれどころではない。

 ジョシュアに頭を撫でられるシャーリーは、やはりどこかぎこちなさがあり、緊張が伝わってくる。

 シャーリーが気を張りすぎないよう、何気ない話をして気を紛らせることにした。

 そうしてしばらく待っていると、先触れがあり、ミル卿と夫人が入室してきた。

 ケイティたちは、立ち上がって二人を迎える。

 ミル卿は部屋に入るなり、シャーリーを見てそれはそれは優しく微笑んだ。水分を多く含んだ瞳で宙を見上げると、目頭を軽く押さえる。

 きっとシャーリーの思いを、喪服から受け取ってくれたのだろう。

「ようこそおいでくださいました。さあ、座って楽になさってください」

 ミル卿は、とても穏やかな様子で促した。

「こちらこそ。このような場を設けていただき、ありがとうございます」

 ジョシュアが丁寧に腰を折り、ケイティたちもそれにならって黙礼した。

 机を挟んで向かい合い腰を落ち着けると、ケイティは改めてミル夫人の姿を見た。

 彼女は喪服に身をつつみ、扇子で口元を隠してこちらを見ていた。

 成人済みの子供がいるとは思えない程若々しい彼女は、磨きあげられた美しさを持っていた。

 美しい花々と違わず刺のあるその美しさは、向かい合った相手を圧倒させるには十二分だ。

 視線は決して優しいものではなく、歓迎されている訳ではないと伝わってくる。

 ケイティは、そんなミル夫人から視線を外すことができなかった。彼女の纏う空気もさることながら、刺々しくも美麗なかんばせに浮かべた、疲労と哀感を見逃さずにはいられなかったからだ。

 彼女は馥郁と品を漂わせる、隙のない貴婦人だ。

 けれど、厚くはたいた白粉の下の蒼白い顔色と目下の隈を、隠しきることはできていない。

 何より入室してきた際、エスコートのように見えて、実はミル卿が夫人を支えて歩いていたことに、ケイティは気づいていた。

 決してシャーリーを見ようとしない視線と、変に力の入った手元も、彼女の感情を表しているのかもしれない。

「早速ですがジョシュア殿、本題に入って頂いてもよろしいですか?イライザ、いいね?」

 メイドがそれぞれに飲み物を給仕した後、ミル卿がそう切り出した。

 イライザと呼ばれた夫人は、軽く眉間に皺を寄せた。

「旦那さまがどうしてもと仰るのですもの。お話くらいは聞きますわ」

 ひどく平淡なミル夫人の声音に、シャーリーの肩が微かに揺れた。

 もう一度彼女の手を握りたかったが、それをしてはならないとケイティは承知している。シャーリーは今日、家族の死を悼み喪に服する、ミル家の一員としてここに居るのだ。

 ミル卿は夫人を気遣う様子を見せつつも、ケイティたちに頷いて見せた。

「それでは、お話させていただきます。今回は、シャーリーの意を汲み、この場を設けていただきました。シャーリーは以前こちらに居た魔法人形です。ミル夫人もご存知ですね?」

 ジョシュアの言葉に、夫人は反応を返さない。

「彼女から夫人へ、渡したいものがあるそうなのです。受け取ってあげてはくださいませんか?」

 意思の強くこもった、いつもよりよく響くジョシュアの声。けれどミル夫人は彼を一瞥したのみで、表情すら動かさず無言を貫いた。

 宣言通り、本当に話を聞くだけのつもりかもしれない。

「イライザ。なにか返してあげなければ可哀想だ。シャーリーは、ディアナが可愛がっていた魔法人形じゃないか」

 ミル卿が優しく声をかけるが、夫人は頑なな態度を崩そうとしない。

「話だけでも聞いてくれと言ったのは、旦那さまでしてよ?わたくしは、それ以上をするつもりはありません」

 つんとそっぽを向いた夫人に、ミル卿は困り顔で髭をなでつけた。

 不機嫌さが僅かに顔に滲みはじめたジョシュアに、ケイティはどうしたものかと頭をひねる。

(どうしてこれ程頑ななのかしら?このままではハンカチを渡すことすらできず、この屋敷にも戻れず、シャーリーが悲しい思いを抱えたままになってしまう……)

 ケイティはぎゅっと拳を握り、ミル夫人を見た。

「わたしから少し、よろしいでしょうか?」

 姿勢を正し、声が震えないように努めながら、ケイティは発言の許可を求めた。

「勿論、構いませんよ」

 穏やかに応えるミル卿の隣で、夫人がぴくりと眉を動かした。

「あなた、人間なのね。てっきり魔法人形とばかり思っていたわ」

 まじまじとケイティを見やって、思わずといった様子で口にする。その顔には純粋な驚きがあった。

「はい。私の妻で、ドールハウスの従業員でもあるケイティです。以後お見知り置きを」

「そう」

 ミル夫人の見せたはじめての大きな反応に、ジョシュアはすかさず反応した。

 ケイティは妻と紹介されたことに頬を赤らめたがらも、ミル夫人を見る。

 ケイティが伝えたいのは、ただひとつ。シャーリーの思いだ。

「ミル夫人。シャーリーを、見てあげて欲しいのです。シャーリーの今の姿を。あなたは入室してから、一度もシャーリーを見ようとしません。それは何故ですか?」

 ミル夫人は、ケイティとジョシュアには目を向けていた。けれどシャーリーを見ようとはしないのだ。

 夫人がケイティを見た。無表情ではあるが、そこには隠しきれない嫌悪が含まれている。

「わたくしがどうしようと、わたくしの勝手でしょう?」

「それは、そうですけれど……」

 ケイティは言い淀んで口を閉ざした。何を言っても駄目なのではという思いが、胸を埋め尽くす。

 どうしてよいかわからず視線をさ迷わせると、シャーリーと目があった。

 彼女は眉を下げて、ただケイティを見た。ハンカチの入った箱を抱き締めるように強く握っている。

 シャーリーは、静かに顔を伏せた。無いもののように扱われた悲しみと、諦めをつけなければならないと自分に言い聞かせるような沈んだ瞳は、ケイティの胸を苦しいくらいに締め付ける。

「夫人……なぜシャーリーをそこまで嫌うのですか?」

 きっとこの質問は、シャーリーにとって酷なものだ。けれど原因をはっきりとさせなければ、平行線で何も進展しないまま、この場が終わってくいような気がした。

 夫人は大きく顔をしかめると、ふんと鼻を鳴らした。

「嫌う?嫌っているのではなく、人形を人形として扱っているだけよ。人形は人ではないのだから。わざわざ話しかけたり、意思を汲むなんて、おかしいでしょう?」

 何を当たり前のことを言わせるのか、と言いたげに口にする夫人。

 シャーリーがぎゅっと手を握りしめ、ジョシュアが悔しそうに歯噛みしたのがわかった。

 ケイティはじっとミル夫人の目を見つめる。瞳の奥に揺れる色を、見極めようとした。

「確かに、彼女は人形です。けれど、魔法人形には心も意思もあります。それは、無下に扱われていいものではありません。お願いです。今、きちんとシャーリーを見てあげてください」

 ケイティは立ち上がると、できるだけ丁寧な所作で頭を下げた。するとジョシュアもそれに続くように頭を下げる。

「イライザ。見てあげるくらい、してもいいんじゃないかい?私は今日のシャーリーの姿を見て、思わず目が潤んでしまったんだ。それに贈り物だって素敵なものだよ。受け取ってあげてはどうかな?」

 ケイティたちの行動を受け、ミル卿も説得する態勢に入る。

 シャーリーはそんな三人の様子に、泣きそうに目を細めた。

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