第12話 花と黒いドレス
それからというもの、ケイティはハンカチの刺繍を完成させるため、シャーリーに刺繍を教える日々をおくりはじめた。
刺繍は、三種類の花が花束のように束ねられた構図をしている。どうやら花は、イチゴとゼラニウム、カーネーションのようだ。
「イチゴの花言葉は、幸福な家庭、尊重と愛情。ゼラニウムは、尊敬、信頼。カーネーションは、赤が、母の愛、母への愛。ピンクが、感謝、気品、温かい心。お母さまへの思いが沢山詰まっていて素敵ね」
ケイティの言葉に笑みを深めたシャーリーは、すっかり手の動きを止めていた。
刺繍をするとき、刺繍している箇所に丸い枠をはめ、布がきちんと張るように固定する。そうして、構図を描いた下書き通りに糸を通していくことで、刺繍を施していく。
針仕事に慣れたケイティにとってはそれほど難しいことではないが、慣れない人にはなかなかに細かい作業で、苦手とする人も多い。
シャーリーは彼女の主と同じで、あまり刺繍が上手くないようだ。
ミル卿が言っていたとおり、ディアナ嬢は刺繍があまり得意ではなかったようで、ハンカチの刺繍には、所々にがたつきや糸のゆるんでいる箇所がある。
お世辞にも上手だとは言えないが、見れない程というわけでもなかった。
比べてシャーリーは完全に刺繍初心者だ。魔法人形は人間ほど指が滑らかに動かないこともあり、上達するにも限度がある。
今は練習用に用意したいくつかの布で刺繍の練習している。
徐々に上達しているとはいえ、まだまだ側についていないと心配な針運びだ。
だが、シャーリーは飲み込みの早い方で、あと少しで本番のハンカチに取りかかれる程にはなる。それは一重に、シャーリーの努力の賜物とも言えた。
構図が少し複雑なため少し時間はかかるかもしれないが、シャーリーなら完成させられるだろう。
「シャーリー、布をしっかりと持っていないとだめよ。枠で固定はしていても、不安定だと綺麗に刺繍できないわ」
注意をすると、シャーリーは真剣な面持ちで布と針を持ち直した。
しばらく集中して刺繍をしていたが、コツンと固い音をたてて針が指先をつき、シャーリーは唇を尖らせて針を置いた。
人間と違って、針で指を刺しても怪我をして血が滲むようなことはない。そもそも磁器のため、その程度では破損しないのだ。
けれど違和感はあるようで、しきりに針が刺した場所を擦っている。
「少し休憩する?」
ケイティが提案すると、シャーリーはふにゃりと表情を崩す。
最近になって、シャーリーはよく子供っぽい表情をするようになった。そちらが本来の彼女の姿なのかもしれない。
「二人とも、練習は進んでいるか?」
顔を出したジョシュアが、手ともを覗きこんだ。
「おお、随分上達したじゃないか」
ジョシュアに頭を撫でられ、シャーリーは嬉しそうだ。
ケイティも撫でられたが、緩む口もとを見られたくなくて俯く。
「ケイティ、少しいいか?」
顔を上げると、ジョシュアが見下ろしていた。ケイティは何だろうと不思議に思いながらも、椅子から立ち上がって彼の後に付いて行った。
二人で長椅子に腰を落ち着ける。
「どうかした?」
首を傾いだケイティの頬を、ジョシュアは指の背で撫でた。
「最近、生き生きしているな。熱心になるのはいいが、無理はしていないか?」
「わたし、針仕事は得意だし好きだもの。本当は続けていたかった仕事だったから、こうしてまた仕事として針仕事ができるのは嬉しいの。勿論、無理のない範囲で頑張っているわよ。心配しないで」
ケイティはシャーリーに刺繍を教えるかたわら、ジョシュアに頼まれた魔法人形たちの服作りも続けていた。
言葉通り、好きだった仕事をまたはじめられた嬉しさもある。
けれどケイティが夢中になって仕事に取り組むのは、自分の得意な物事でジョシュアの役に立てることが嬉しいからだ。そして、その努力や作ったものを、認めてもらえるからでもあった。
(ジョシュアに認めてもらえるのは嬉しいわ。心配してくれることも。だからもっと彼の役に立ちたい)
恥ずかしくて言えない本音は、胸のなかに隠したままにしておく。
ケイティの返答を聞いたジョシュアは、安心するように息をついた。
「それならいい。だが、お前は自分でも意識しないうちに無理をしてしまう質なのだから、気をつけるんだぞ。今はシャーリーのことに集中して、魔法人形たちの服は後回しにしてもいいんだ」
確かに、ドールハウスの家事全般を担っているケイティとって、あれもこれもと仕事を増やすのは無理があった。
けれどケイティにとっては、無理なく好きにやっていること。大変だという感覚はなかった。
「大丈夫よ。わたし、好きでやっているんだもの。それよりも、わたしの考えを尊重してくれたあなたに感謝しなきゃ。シャーリーのことだって、すぐに行動に移してくれたでしょう?嬉しかったのよ」
ケイティははじめて、自分からジョシュアの背に手を回した。しっかりと抱き締めると、柔らかく抱き返される。
「それを言えば俺だって……部屋が整っていて温かい料理があるのは、随分と心地がいいんだ。それにお前は、魔法人形たちのことを大切にしてくれる。俺にも気遣ってくれる。だから感謝してる。お前にとってここが窮屈でないか、心配になるくらいだよ」
ケイティは驚いて顔をあげた。
「何を言っているの?わたしはドールハウスも、魔法人形たちも、勿論あなたのことも大好きよ?感謝してもしきれないのはわたし。だから、力になりたいの。母も最近は調子がいいし、生活にも余裕がでてきた。ジョシュアは貧民だからとわたしを差別しないし、それどころか大切にしてくれる。それがどれほど嬉しいことか、きっとあなたはわからないわね。わたし、あなたに出ていけと言われない限りここに居続ける自信があるわ」
ジョシュアに考えを訂正してもらおうと意気込み、伝えられるかぎりを語る。魔法人形たちやシャーリーと触れ合うなかで、ケイティは言葉の大切さを身に染みて実感しているのだ。
するとジョシュアはじわじわと目を見開いて、ぐりぐりとケイティの肩に顔を埋めた。
そんな彼の耳が熱を帯びていることに、ケイティは気づかない。
「ねえ、きちんと聞いているの?」
文句を言おうとしたとき、あることを思い出した。
「ねぇ、ジョシュア。相談しようと思っていたことがあったの。シャーリーのことなのだけれど」
「どうした?」
顔をあげたジョシュアに、ケイティは一度体を離して話し始めた。
「シャーリーにも何か作ってあげようと思って、先日彼女に話したの。そうしたらとても嬉しそうにするから、何色のドレスにしたいか、見本を見せて聞いたのだけれど。シャーリー、この色を指差したのよ」
ケイティはその時に使った色の見本を持ち出して、その色を示した。
何も言わずにただ神妙な顔で、ジョシュアはそれを見た。その横顔は感情をうつさないが、彼が何を思っているかはわかる。
「……黒か」
吐き出す吐息とともに、ジョシュアの声が揺れる。ケイティは無言で肯定して、ただ黒を見つめた。
シャーリーは、黒のドレスが欲しいと示した。その色の持つ意味を、彼女は正しく理解している。
黒は死者を弔う色。死者の死を悼む者が身に付ける色。喪服の色だ。
シャーリーがディアナ嬢の死を悼んでいることを、示す色だった。
「全身黒のドレスがいいそうよ。本当に、家族同然だったのね」
「それほど大切にされていたんだろう」
「わたし、シャーリーに喪服を作ってあげたいの。言葉は話せなくても、思いを表すことや伝えることはできると思うの。服は、そのひとつの手段になるわ」
貴族社会において、服の持つ力は大きい。流行を取り入れ、華やかに着飾ることは、その人の持つ地位や財力をそのまま表すことにもなる。
喪服においても、死者との関係性によって、喪に服する期間や着用するものが変わっていく。
正しく服の持つ意味合いを利用することができれば、シャーリーの思いも正しく伝わるはずなのだ。
「きっとシャーリーは、ミル夫人に伝えたいのだと思うの。どうかしら?」
貧民だから、女だから、全てを飲み込んで生きなければならない。ずっとそう思っていた。
けれどジョシュアは、ケイティがケイティらしく居られる場所をくれた。彼は、どんな存在も平等に扱う。
だから願いを口にすることを諦めなくていい。怖がらなくてもよかった。
ジョシュアは真剣な顔つきを穏やかにし、僅かに口角を上げた。
「シャーリーのために、喪服を作ってほしい。ケイティ、やってくれるな?」
「ええ、勿論」
ケイティは破顔して大きく頷いた。
喪服は、装飾が少なく、肌のなるべく見えないものにするのが一般的だ。故人との関係性により、喪の期間や身に付けてもよい服や装飾類が制限される。
特に貴族の女性は、親族の死で数年にわたり喪に服し続けることもある。
さらに喪服には段階があり、故人の死から時間がたつ程、身に付ける黒を減らす。そうして、徐々に喪からあけていくのだ。
細かな決まりの多い喪服だが、そもそも魔法人形のシャーリーが身に付けることは、異例中の異例。
ケイティはシャーリーに刺繍を教えつつ、彼女の思いがより現れるように、どのようなデザインにするかにも気を配って喪服を作りはじめた。
ジョシュアの力もかり、漆黒の上質な布地を手にいれたケイティは、丁寧にそれを服へと形作っていく。
あらかじめシャーリーの体型に合わせて作ったパターンをもとに、生地をいくつかのパーツにわけて裁断する。
袖、身ごろ、スカート部分と、ドレスの各パーツに切り分けられた布を、今度は服の形になるように縫い合わせていく。
ひと針ひと針、丁寧に布を縫い合わせる。ケイティはその作業を数日間徹夜で続けた。
出来上がった喪服は、装飾こそほとんどないが上品で、涙を混ぜた夜の空のような、哀しい色をしていた。
ケイティはすぐさま喪服をシャーリーのもとへと持っていく。
シャーリーはぱっと表情を明るくして、割れ物を扱うような手つきで喪服へと手を伸ばす。
喪服の隅々に手を滑らせると、まるで愛しい誰かを抱きしめるように、喪服を抱きしめた。泣き顔を隠すように、服に顔を押し付けて体を小さくする。
シャーリーのその様子だけで、作った甲斐が十二分にあった気がして、ケイティは安堵にも似た笑みをこぼした。
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