第11話 遺されたハンカチ

 ケイティの話を聞くと、願いもすんなり聞き入れてくれたジョシュア。

 数日もしないうちに、ケイティの願いを叶えるための準備を整えてくれた。

「ねぇ、ジョシュア?あなたはわたしに甘すぎると思うのだけれど」

 貧困に喘ぎ、階級の差に苦しみ、やっとの思いで生きてきたケイティ。彼の甘さはケイティにとって不思議だった。

「何を言ってるんだ。夫婦だろう?俺はケイティが大切なんだ。それに、家族というものは助け合うものだろう?」

 当たり前にそう言うジョシュアが、眩しく映る。

 彼は貧しい人にも、人ではない人形たちにも平等だ。そして、弱い存在を蔑ろにする貴族には憤る人だ。

 ケイティはジョシュアに大切にされている自覚があった。見た目だけでなく、心も汲んで大切にしてくれる。

 それがどうしようもなく、嬉しいのだ。

「それに、俺もシャーリーのことは気にしているし、心配なんだ」

 ジョシュアの言葉に、ケイティは軽く頷いた。




 しばらくすると、ドールハウスに来客があった。シャーリーの亡き主の父である、ミル卿だ。

 シャーリーがドールハウスに来て以降、一度彼女の様子を見に来たミル卿。それからあまり日を置かずに再びドールハウスにやって来たのは、ジョシュアが彼を呼んだからだ。

 そしてそれこそが、ケイティの願いだった。

「今日はどうされましたか?もしや、シャーリーに何か……」

「いいえ。ご心配なさらないでください。ですが、お越しいただいた理由は、シャーリーに関することです。ケイティ、話してくれ」

 ジョシュアに促され、ケイティは机の向かいに座るミル卿へと向き直った。

「実は、亡くなったお嬢さまについてお伺いしたいことがあるのです。それから、お願いしたいことも。シャーリーのためと思って、協力しては頂けませんか?」

 ミル卿は、瞳を瞬かせた。ケイティの思いを探るように視線を合わせ、少し間を置いてから深く頷いた。

「わかりました。シャーリーは家族も同然です。彼女のためというのであれば、できる限り協力いたしましょう」

 ミル卿の返答を聞いてほっと肩の力を抜いたケイティは、シャーリーを側へ呼び寄せた。

 二人を思い、シャーリーをミル卿の隣へ座るようにと促す。

「シャーリー、あのハンカチをミル卿に見せて差し上げて」

 ミル卿に会えた嬉しさからかいつもより笑みの深いシャーリーは、少しだけ表情を固くした。

 そして丁寧に、持っていたハンカチをミル卿へと差し出した。レースで縁取られた白いハンカチには、花の刺繍が完成していない状態でそのままにされている。

 ミル卿はハンカチを受けとると驚いた様子を見せ、優しくそれを撫でた。

「これはディアナが……娘が刺繍をしていたハンカチです。妻にプレゼントするのだと言っていました。苦手な刺繍を頑張って、成長したところを見せて、喜んでもらいたいのだと。そうか……これはシャーリーが持っていてくれたんだね」

「やはり、そうだったのですね」

 ミル卿の表情からは、亡き娘への愛情が見てとれる。

 ケイティは、そっとシャーリーに目配せをした。彼女の表情を確認して、ケイティは切り出した。

「どうやらシャーリーは、このハンカチの刺繍を完成させたいようなのです」

「刺繍を……?」

 訝しげな顔をしたミル卿を、シャーリーは真剣な表情で見返している。

「はい。ですが、無断でお嬢さまの遺品に手を加えることはできません。そもそも、このままシャーリーが持っていてもいいものか、お伺いしたかったのです。どうか、許可をいただけないでしょうか?」

 シャーリーと共に、ミル卿を見つめる。

 話すことのできないシャーリーは、ケイティに身ぶり手振りで必死に意思を伝えてくれた。ケイティも、できるだけ正しく理解しようと努力した。

 その願いを、叶えてあげたいのだ。

 ミル卿は難しい表情をして、腕を組む。考え込むように瞑目した。

「私としては、シャーリーがこのハンカチを持っていることにも、手を加えることにも、反対はいたしません。ですが、妻がそれをどう思うのか……彼女は、娘の遺品をひとつでも手放したくはないはずです。私がハンカチの存在を妻に伝えなければよい話ですが、それではあまりにも妻に対して不誠実な気がして。ですからまずは、理由を伺ってもよろしいですか?娘の遺品としてシャーリーがハンカチを持っていたいのは理解できます。ですが、なぜわざわざ刺繍を完成させたいのでしょうか?」

 ケイティは思わず眉を下げた。魔法人形であるシャーリーの思いを汲み取ることは、思いの外難しい。

 シャーリーが刺繍を完成させたいと言うことは伝わった。けれどその理由までは、ケイティにはわからなかったのだ。

 そんなときにシャーリーの思いを言い当てたのは、彼女の生みの親でもあるジョシュアだった。

 日頃から魔法人形たちの機微に敏いジョシュアは、シャーリーの抱えている思いも見透かした。

 ケイティは、これは自分が言うべきではないと判断し、引き下がった。ジョシュアはケイティの意を汲んで、すんなりと話し始める。

「亡くなったお嬢さまのかわりに、夫人へそのハンカチを贈りたいと考えているようです」

 ミル卿は意外そうにシャーリーを見る。

「本当か?」

 尋ねられたシャーリーは何度も頷いて、それを肯定した。

「シャーリーは亡くなったお嬢さまの死を悼み、ひどく悲しんでいる様子です。私やケイティも、その事でシャーリーを気にかけてきました。彼女が、お嬢さまが完成させることのできなかったものを完成させ、夫人へ贈りしたいと思ったとしても不思議ではないはずです。シャーリーも肯定していますし」

 ジョシュアの説明を受け、ミル卿は困惑したように眉根を寄せた。

「ですが、シャーリーは妻にきつく当たられ、妻を怖がっているはずです。それなのにどうして……」

 ミル卿は呟き、気遣わしげにシャーリー表情を確認する。

 ケイティはゆっくりと、首を振った。

「わたしも同じように思い、奥さまに傷つけられ怖い思いをしたのではとシャーリーに尋ねたことがあります。けれどシャーリーは、それを否定しました。まるで、奥さまのことを悪く言わないで欲しいと懇願するようでした」

「それは本当ですか?お恥ずかしい話ですが、娘を亡くした直後の妻は錯乱状態でした。シャーリーに手をあげそうになったことも、一度や二度ではありません。今は少しずつ落ち着いてきてはいますが、家族にも感情をぶつける時があります。私はてっきり、シャーリーは妻を怖がっていると思っていました」

 そう思うのも無理はないと、ケイティも感じる。

 けれど今も、シャーリーはそうではないのだと訴えるような眼差しをミル卿に向けていた。

 不確定なことを伝えるのはどうかと思いつつも、伝えずにはいられない。

 これはあくまで憶測だと前置きをして、考えを話すことにした。

「シャーリーはずっと、寂しそうに、帰りたそうにしています。それはもしかすると、奥さまのことを心配しているのではないかと、わたしは思うのです。お嬢さまを亡くされた悲しみは、ご家族と同じくシャーリーも感じています。同じように悲しみ苦しんでいる奥さまを、シャーリーは気にかけているのではと……そして、ご家族との繋りを再び得ることで、もと居た場所へ戻りたいのではないでしょうか?」

 ミル卿は押し黙って話を聞いていたが、やがて表情を崩し、とうとう悲痛な様子で目を伏せた。

「シャーリーは娘が生きている頃から、私や妻にもよく懐いてくれていました。私は、娘とも良い関係を築いている彼女を、もう一人の娘のように思っていました。けれど妻は、シャーリーと距離を取っていました。妻の実家は、魔法人形をあまり良くは扱っていないようで、その感覚が抜けないのでしょうね。けれどシャーリーは、ずっと妻に認めて貰いたそうにしていました」

 ケイティは、その関係性にこそシャーリーの真意が隠れているような気がした。

「もっと詳しく教えて頂いても?お嬢さまと奥さま、それからシャーリーの関係性について」

 言い淀むミル卿の背に、シャーリーが先を促すように触れた。話して欲しいと言いたげな瞳で、ゆっくりと瞬く。

 口を開いてから一度閉じ、僅かに肩を上げるような不器用な仕草で、ミル卿は再び口を開いた。

「妻と娘は、とても仲の良い母子でした。娘は上の兄たちとは歳も離れていましたから、家族全員に可愛がられていましたね。けれど、あまりに箱入り娘として育てすぎたためと、体が弱いために、家の外に出る機会が少なかったのです。気心の知れた友人もおらず、同年代の令嬢たちを羨ましがるこも多くありました。そこで私が、魔法人形を買い与えたのです。大人しかった娘は、途端に明るくなり、笑顔も増えました」

 ミル卿の微笑みは慈しむように優しかった。実の娘にそうするように、シャーリーに笑みを向ける。

「娘の変化を、私も息子たちも喜んでいましたが、妻だけは違いました。娘の変化には喜んでいましたが、そのきっかけが魔法人形だというこを、よく思っていなかったようです。娘がシャーリーを妹のように思っていると話しても、ただの人形なのにと不思議そうにして。シャーリーには感情も心もあると私が話しても、実家とは違う魔法人形への扱いに困惑していて。だから心が弱くなっている今、その思いが顕著に表れているのかもしれません。あの子を亡くした苦しみをお前はわからないだろうと、シャーリーを罵ったこともありましたから。ですから私は、シャーリーをこちらにお返ししたのです。シャーリーも苦しんでいると、私はしっかりと理解していますから」

 シャーリーはあの夜のように、顔をくしゃりと歪めた。涙は流れない。けれどケイティには、頬を伝う雫が見えるような気がした。

「シャーリーは、それを望んでいなかったのではないでしょうか?」

 ケイティの静かな問いかけに、ミル卿は意味がわからないと言いたげに首を振る。

 けれどシャーリーの瞳が、それを肯定していた。

「シャーリーにとっても亡くなったお嬢さまは、姉のような存在だったはずです。だからこそ、奥さまにも存在を認めて欲しかったのではないでしょうか?自分も家族なのだと、お嬢さまの死を共に悼んでいるのだと、そう伝えたかったのではないでしょうか?逃げるのではなく、向き合いたかったのではないでしょうか?その証として、ハンカチを完成させ、贈りたいのだと思います」

 シャーリーは、ケイティの言葉を何度も何度も繰り返し頷いて聞いていた。そうして、思いを全身で伝えるように、ミル卿にぎゅっと抱きついた。

 ミル卿はぎこちなくその背に手をまわすと、鼻を大きくすすった。いつの間にかその頬を涙が滑り落ちて、シャーリーの服を濡らす。

「そうか……そうだったのかシャーリー。気づいてやれなくて、すまなかったね。君は向き合おうとしてくれていたのか」

 震える声に、シャーリーは腕をきつくする。ようやっと思いが正しく通じたのだ。

 伝えたくても、伝わらない。伝えられない。シャーリーはずっと苦しかったのだと思うと、ケイティは胸が苦しくなった。

「このハンカチを完成させ、シャーリーが手ずから奥さまへお贈りする許可を、どうかいただけないでしょうか?」

 ケイティは改めて願い、ミル卿へ頭を下げた。するとジョシュアも、それに続く。

 シャーリーも体を離すと、ミル卿の手に額をつけるようにして、願った。

 ミル卿はそっと涙を拭うと、まだ濡らしたままの声で穏やかに言った。

「わかりました。どうか、シャーリーの思う通りにさせてやってください。私も、彼女の思いが伝わるよう、できる限りの手伝いましょう」

 シャーリーは顔をあげ、泣き笑いの表情で再びミル卿と抱擁をかわした。

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