第10話 お針子少女の胸の内
唸り声をもらして頭を乱暴に掻いたジョシュアは、椅子の背もたれに体を預けた。
ケイティは紅茶を淹れて、ジョシュアの側にティーカップを置く。
「ここのところずっとそんな調子じゃない。どうかしたの?」
乱れた髪を整えてあげると、ジョシュアは口をへの字に曲げてさらに唸る。
「ドールたちの扱い、どうにか改善されないかと思ってな。大貴族さま方は、魔法人形を消耗品と思っているきらいがある。ミル卿のように大切にしている人も居ない訳ではないし、美術品として丁寧に扱われることもある。それでも、財のある貴族であればあるほど、金さえ積めば手に入るからと無下に扱いすぎる」
ジョシュアは、亡くなった魔法人形のかわりの人形を、つい先日先方に納めたばかりだった。そのために気が立っているのか、いつもより不機嫌なことが多い。
彼は彼なりの考えで、どうにか魔法人形たちを守ろうとしているのだろう。
その気持ちは、ケイティも同じだった。
「ケイティ、おいで」
拗ねたような顔で、ジョシュアは両手を広げた。
彼の腕の中におさまることに抵抗がなくなったのは、いつ頃だっただろう。ケイティは躊躇いなくその胸に頬を寄せた。
ゆっくりと頭を撫でられるのは心地良い。けれどそれに比例するように、心臓は鼓動をはやくする。
「俺は、お前をあそこから連れ出せて良かったと思っている」
「突然どうしたの?」
ケイティが顔を上げると、鼻先についばむようなキスをおくられる。
「ボロボロになって動かない魔法人形を見たとき、思ったんだ。あの時、ケイティを連れ出せていなかったらと。お前も好きに利用されるだけされて、傷つけられ、動かなくなれば簡単に捨てられていたんじゃないかって」
ぎゅっと大切なものを包むように抱き締められ、ケイティの心は軋んだ。
貴族の愛人や妾になる平民の女性や、娼館の娼婦たちは、いわば使い捨てだ。金のある男たちに利用されるだけされて、老いや病で使い物にならなくなれば、簡単に捨てられる。
けれど貧しい女たちには、そんな生き方しかなく、皆どこかで諦めをつけている。
ケイティも以前までは、その一人だった。
人であっても、時に魔法人形のように利用され、壊され、死んでいく。その恐怖がずっと胸に巣くっている。
「お前が、あの死んでいったドールを気にするのも、シャーリーを気にするのも、どこかで自分と重ね合わせているからだろう?大丈夫だ。俺はお前を大切にするし、きちんと守るから。お前が望まないことはしないから。そう怖がらなくていいんだ。最近何かをしようと動いていることもわかってる。お前の好きなようにすればいいが、無理だけはするな。シャーリーのことを気にかけすぎて、自分のことが疎かになっていると、気付いているか?」
あやすような、優しい声音だった。きつく抱き締められていて顔は見えないが、ジョシュアが穏やかな表情をしているのはわかった。
喉の奥がひきつるような感覚と、目頭の熱くなっていく感覚に、ケイティはぎゅっと目を瞑った。
ジョシュアの言葉に、ようやっと気づいたのだ。自分の心に、余裕がなくなっていたことに。
魔法人形たちの様子を気にして、シャーリーを気にして、彼らを傷つけさせないための打開策を考えていた。
それは、もちろん彼らを守るためでもある。けれど同時に、彼らに自分を重ねていたのだ。自分もああなっていたかもしれない。これからああなるかもしれないと。
恐怖から、何か行動しなければと必死になっていたのだと。
ケイティ自身も気づかない間に、知らず知らず心の奥に積もっていった恐怖を、ジョシュアは目敏く気づいていた。
そしてその恐怖を、取り除こうとしてくれている。
ケイティは申し訳なさと嬉しさを感じつつも、安堵感をおぼえていた。
「ジョシュア……」
泣き声で彼を呼んで、顔を見られないように抱きついて感情を溢れさせた。
ジョシュアは服が濡れるのも気にせず、子供を相手にするように体を揺すりながら背を撫でてくれる。
「ドールたちのことも、ケイティのことも。俺が守る。心配するな。俺の愛しいドール兼花嫁」
甘く囁かれた声を、自分の啜り泣く声に混じって聞く。その台詞がむず痒く感じて、ケイティは聞こえないふりをした。
ケイティが様子を落ち着けはじめると、ジョシュアは顔を覗きこみ、何度も涙の跡をなぞって拭いてくれる。
子供扱いをされているようで面白くないケイティは、少し乱暴に顔を拭い、すっかり涙を消し去ってしまった。
「少しはすっきりしたか?」
「……ええ」
「それはよかった。心配事や気になることがあるのなら、俺に言え。抱え込むな。それで?お前は最近、根を詰めて何をしているんだ?」
ジョシュアは笑顔で首を傾いだ。だが、その目は笑っていない。
「最近あまり寝ていないだろう?俺が知らないとでも思ったか」
「ご、ごめんなさい!でも、無理をしていた訳じゃないのよ」
「隈をつくって、それが無理ではないと?」
「あっ、そ、それは……」
ケイティは、ジョシュアの腕の中にいることを心底悔やんだ。逃げることも叶わないのだ。
「わかったわ、きちんと話すから。魔法人形たちのために、少し考えていたことがあったの」
ケイティは観念して、何をしようとしているか話すことにした。
ケイティは一旦部屋へ戻ると、とある物を持ち出し、ジョシュアのもとに戻った。
「それは?」
ジョシュアはすぐにケイティの持っている物に気づき、興味を示す。
ケイティはよく見えるように、それを広げて見せた。
それは、淡い水色のドレスだった。貴族女性が身に付けるような、布も作りも豪奢なものだ。
襟元は細やかなレースで詰められており、肌を見せない昼間のドレスだ。
袖は肘から下が広がったパゴダスリーブで、袖口には襟元と同じレースがふんだんにあしらわれている。
さらに、スカートにはたっぷりとギャザーが寄せてある。パニエを着用すれば、腰の細さを強調するようにふんわりと広がり、美しいシルエットを作ってくれるだろう。
「このドレス、どうしたんだ?」
貴族令嬢がお茶会にでも着ていくようなドレスを、ジョシュアは困惑気味に手に取った。
「質のいい布は高くて、一着分しか買えなかったの。本当は帽子なんかの小物も揃えられればよかったのだけれど、難しかったわ。でも、なかなか上手く作れていると思わない?」
「もしかして、ケイティが作ったのか?何のために?」
ケイティは、どう説明しようかと視線をさ迷わせた。この考えが受け入れてもらえるのか、上手くいくのか、皆目見当もつかない。
けれど迷っていても仕方がないと、ケイティは深呼吸をした。
「そう、わたしが作ったの。ずっと思っていたの、魔法人形たちの服装のことを。わたし、あの屋敷に勤める前は、お針子として働いていたの。だから、服に関する知識には明るいわ。階級社会において服というものは、思いの外重要な役割を果たす。だって服装で、その人が平民か貴族か、ひと目でわかるでしょう?それって、重要なことなのよ。つまり、服装によって貴族の方々が相手の扱いを変えることはおおいにあり得るということ。もしくは服装のために、無意識に貴族の方々がそうしてしまうことがあるということよ」
ジョシュアははっとして、ケイティを見た。
「だからわたし、もとから魔法人形たちに、貴族が身に付けるものと遜色のない服を着せてはどうかと思ったの。魔法人形自身の美しさを引き立たせるために、ドールハウスではシンプルな服装をさせることが多いでしょう?第一印象は大切よ。そこから、魔法人形の価値を示していかなければならないと思うの。もちろん、貴族の中には魔法人形を着飾らせて観賞する方もいるわ。けれど、お仕着せのような服を着させて、メイドのように側に侍らせる貴族の方もいるでしょう?そういう少しの感覚が、人形たちの扱い方を左右しているのではないかしら。勿論、それだけではないでしょうけれど」
思いや考えを伝え終えると、ケイティはそっと息をついた。
これほど自分の持つ意見をはっきりと誰かに話す経験を、それ程してきていない。そのため、ジョシュアがどのような反応を示すのか少し怖い部分がある。
何やら考え込んでいるジョシュアを見守っていると、彼はぱっと顔をあげ、笑顔を見せた。
「ケイティ。それは、とてもいい考えかもしれない。お前の言う通り、階級社会においての服装というものはかなり重要だ。試してみる価値は十二分にあるぞ。もしかしたら、うまくいくかもしれない。さすが俺のケイティ、よく思いついたな!」
ジョシュアは、勢いよくケイティを抱き上げた。
「俺ではこの考えは浮かばなかった。ありがとう」
ケイティは、ジョシュアの予想に反する反応のよさと抱き上げられた衝撃に目を回した。
「ちょ、ちょっと待って!怖いわ、おろして」
ジョシュアの体にしがみついて懇願すると、ジョシュアは笑い声をあげてケイティをおろした。
「わたしの考えは、きちんとあなたの役に立つの?魔法人形たちを、守ってあげられる?」
不安になって、でも彼の反応に期待もして、くいくいと袖を引いてジョシュアを見上げる。
ジョシュアは優しい笑みで深く頷いた。
「ああ、きっと上手くいくさ。でも、こんなに器用だとは聞いていないぞ。ドレスを作ってしまうなんて」
「言ったでしょう?もとはお針子だったの。お針子の仕事は大好きだったし、いつか自分でデザインをしてみたかったの。でも母の病で辞めざるを得なかったのよ」
「そうだったのか……お前は、作るものも美しいんだな。デザインについてなら、俺にも助言できる部分がある。ケイティ、ここのドールたちの服を作ってくれるか?お前のアイデアを、実際に試してみよう」
「本当?わたし、やってみるわ」
ケイティは、自分でも役に立てることがあるのだと、胸を高鳴らせた。何より、認めてもらえた嬉しさに、不安な気持ちが晴れていく。
魔法人形たちをこれ以上傷付けさせないための努力なら、いくらでもできる気がした。
けれど、それとは別の不安や疑問が、ケイティの中に残っていた。それを無視することはできない。
「ねぇ、ジョシュア。実は、シャーリーの事でお願いしたいことがあるのだけれど……」
ケイティはシャーリーとのやり取りをジョシュアに話しはじめた。
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