第9話 月明かり
シャーリーの加わった生活は、これまでとあまり変わりのないものだった。
彼女は大人しい気質らしく、行動も楚々としている。その所作は、亡きディアナ嬢が教えたものらしく、とても洗練されている。
一人だけ貴族令嬢が迷い混んだような異質さは拭えないが、もとはといえばこのドールハウスの住人だ。馴染めていない訳ではなく、他の魔法人形たちとも仲が良い。
いつも穏やかに微笑んで他の魔法人形たちを見守っている様子は、彼女の穏やかな性格を表していた。
ケイティはそれほど魔法人形に詳しい訳ではない。歌う魔法人形などはじめてで、シャーリーに興味津々だった。
「シャーリーは歌うことができるんでしょう?なら、人間のように会話することもできるの?」
魔法人形は話せないものと思っていたが、歌を歌えるのなら、話は変わってくるのではないだろうか。
目を輝かせて聞くと、ジョシュアは首を振った。
「いや、それは難しいな。そもそも、魔法人形に声を与えることが難しいんだ。だから、歌う魔法人形は少ない。それに加えて、歌うことと話すことは、人が使い分けるように簡単にはいかないんだ。俺も話すドールを作ろうとしたことはあるが、今のところことごとく失敗している。歌えると話せるは、同じじゃない。ただ、歌う魔法人形は他と違って声を出す機能が備わっているから。本人の意思と練習次第では、もしかすると多少は話せるようになるかもしれないな」
「そうなの……」
少し残念な気持ちだったが、ジョシュアがそう言うのであれば、そうなのだろう。
それでもケイティは、これまで出会ってきた魔法人形とは少し違うシャーリーを、どこか気にとめていた。
とある夜。ケイティは相も変わらず机に向かい、作業をしていた。ケイティにとってシャーリーは、自身の考えの後押しになる存在となりつつある。
ケイティは作業をきりのいいところで中断させ、背もたれにもたれた。
机の上は作業に必要なもので散乱しており、ケイティの手の中には、まだ然るべき形を成していない布が、中途半端な姿で握られている。
(これでいいのかしら?この努力が無駄にならないと信じたいけれど……)
不安を抱えたままで、ケイティは手の中の布をそっと机の上に置いた。完成までには、今しばらくかかりそうだ。
ランプの火がゆらりと揺れ、眠気が襲う。眠る前に水を飲もうと、ケイティは部屋を出た。
ランプを持って歩いていると、カタ、と微かに物音が聞こえて、ケイティは歩みを止めた。魔法人形たちは眠らないため、彼らのたてた物音だろうと気にも留めない。
(心配する程のことではないわね)
歩き出そうとしたケイティの耳に、再び物音が届く。
「……一応、確認だけしておきましょうか」
階下から聞こえてきたはずだと見当をつけ、ケイティはランプを掲げて階段を下りた。
店の中では、予想通り魔法人形たちが思い思いに過ごしていた。
「さっきの音は、あなたたちの仕業?」
問いかけると、魔法人形たちは顔を見合わせて首を傾げた。
「あなたたちじゃないの?」
肯定するように頷く魔法人形たちに、ケイティは辺りを見回した。魔法人形たちでないとしたら、まさかという可能性もある。
警戒しかけたケイティだったが、その場に居ない魔法人形が居ることに気が付いた。シャーリーだ。
(シャーリーはどこかしら?彼女がたてた物音なら、安心できるのだけれど)
そう思って視線を走らせたとき、ふと風が頬を撫でた。加えて風音も聞え、ケイティは首を傾げる。
「もしかして、どこかの窓を閉め忘れたかしら?さっきの物音も、風の音?」
ケイティはすぐに窓の方へと足を向けた。
するとそこには、はっとするような、どこか幻想的で美麗な光景が広がっていた。
上げ下げ式の窓を開き、物憂げな表情で外を見詰めるシャーリーが、月明かりに照らされてそこに居た。おそらく、物音は窓を開けた時のものだろう。
風にそよぐ亜麻色の髪が、月明かりの影響か、銀色に艶めいている。彼女のもつ儚げな容姿と相まって、思わず惚けてしまうような美しい光景だ。
今の彼女を天使か月の化身と言っても、きっと誰も疑いはしないだろう。そう思わざるを得ないほど、可憐で綺麗だった。
しばらくその様子を目に焼き付けていたケイティだったが、はっと思考を戻す。
(危ないから、窓を閉め忘れないように言っておくべきかしら?)
けれど、声をかけることは躊躇われる。声をかけることで美しい光景が損なわれることが残念でならなかった。
どうすべきかと悩んでいる時だった。
瞬きにあわせて揺れる長い睫毛が、星々の瞬きのように煌めくさまが見えた。それが何故だか、涙に濡れているように見えて、ケイティは息を止める。
魔法人形なのだから泣くはずがない。わかってはいるのだが、あまりにも哀愁に満ちた表情で外を見詰め続けるシャーリーに、ケイティはいてもたってもいられなくなった。
「シャーリー」
名前を呼ぶと、彼女は不思議そうな表情で振り返る。けれどケイティを見つけると、花が綻ぶような笑顔に変わった。
いつも見せるその笑顔が、今は無理をして作ったものに見えて仕方がなかった。
「夜風にあたっていたの?」
肯定するように笑みを深くしたシャーリーは、再び夜空を見上げた。その横顔はやはり憂いを帯びており、どことなく寂しそうに映る。
平気そうに振る舞うため強く意識をしていなかったが、彼女は主を亡くし、住み慣れた場所からも離れたばかりだ。
不安でないはずがなかった。
「ここでの生活には、もう慣れた?」
同じように空を見上げながら聞くと、シャーリーはすぐに頷いた。
ケイティは少しだけ思案して、彼女の様子をうかがいながら、問いかける。
「ミル卿と共にもとのお家へ帰りたかった?」
シャーリーはケイティを見詰めて、困ったような笑顔になる。それが彼女の本心だと、嫌でもわかる。
「そうよね。あんなに優しい紳士さまだものね。あなたを大切にしているようだったし」
ケイティが素直な感想をもらすと、シャーリーは共感を示すようににっこり笑った。
「けれど、ミル卿の奥さまのこと、シャーリーは恐ろしく思っているんじゃない?お嬢さまが亡くなったからといっても、あなたに当たることはないわ。ひどい目にあったのでは?怖かったでしょう」
ケイティは、ずっとあの日のことを忘れられずにいる。
だからシャーリーのことも、救い出せて良かったと思っている。シャーリーがこのドールハウスで安心して過ごせるのなら、それに越したことはないのだ。
改めてシャーリーが最悪の状況に陥らなくてよかったと、安堵の気持ちで彼女を見る。
すると彼女は、必死な様子で首を横に振っていた。まるで、違うのだと言いたげだ。
「シャーリー?」
困惑するケイティに、シャーリーは胸元を握りしめる。何度も何度も頭を振り、思いを伝えようとしていた。
「違うの?」
ケイティの言葉にシャーリーは頷いた。
彼女が伝えようとしている思いを拾い上げようと、ケイティもよくよく彼女を見ながら言葉を重ねていく。
「何が違うの?ミル卿の、奥さまのこと?」
シャーリーは何度も首を縦に振る。
「怖い訳ではなかったの……?」
シャーリーは大きくひとつ、頷いた。
「でも、あなたにきつく当たっていたんでしょう?人じゃないから、人形だからって、そんな風に扱って良いわけが……」
思わず批判的な言葉を列ねたケイティの唇を、シャーリーは両手で優しく押さえた。まるで、それ以上は言うなと制すように。
その瞳には、懇願の色があった。
「……?」
おとなしく口を閉ざしたケイティ。シャーリーはそっと手を離すと、やはり笑顔を浮かべている。
けれどその笑顔は、今にも泣き出しそうにぐしゃぐしゃだ。幼い少女のようなあどけなさで、シャーリーは泣くまいとするように唇を噛み締めていた。
シャーリーはケイティを誘導するように、星空へ手を伸ばし、指さした。ケイティは彼女の指先の向こうに目を凝らす。
そこには、どこまでも広がる夜の闇と、それを照らす星月の輝きしかない。
シャーリーが何を伝えたいのか、ケイティにはわからない。
シャーリーの表情をうかがうと、彼女は表情を少しだけゆるませ、いとおしむような瞳で空を映していた。
そして何かの輪郭をなぞるように、なめらかな指先を空に舞わせた。それからゆっくりと掴めない何かを掴むように手を握り、その手を胸に抱いた。
愛しい大切な誰かを、抱き締めるように。
ケイティははっとして、手を抱いて目を伏せるシャーリーと夜空とを見やった。
そう、おそらくシャーリーにとって一番大切だった人が、空へと昇ったのだ。そしてそれを機に、ミル卿の妻はシャーリーにきつく当たるようになった。
「ディアナお嬢さま?」
シャーリーは瞳の奥に星の輝きを映して唇を震わせた。本当に泣いているように見えて、ケイティは思わずシャーリーの頬を拭った。
もちろん涙は伝っていないが、指先から深い悲しみが、痛いほど伝わってきた。
ケイティは考えるよりもはやく、シャーリーを抱き締めていた。
泣くことも吐露することもできず、思いを抱えることしかできない魔法人形。けれど、大切な人の死を誰よりも悲しんでいた。
死者を悼む思いは、人も人形も変わりはしない。
そしてきっと彼女は、思い出の詰まった家に帰りたいと願っているのだ。
シャーリーはぎゅっとケイティの背に手を回した。すがり付くように抱き締め、静かに体を震わせる。
ケイティは泣きじゃくることもできない彼女の背を、震えがおさまるまで撫で続けた。
その夜からというもの、ケイティはシャーリーの様子を気にして、これまで以上に構うようになった。
シャーリーは毎晩のように亡き主に思いをはせて空を見上げている。ケイティもたまに、そこへ顔を出すようになった。
そうして徐々に距離をつめて仲を深めていたある日。
シャーリーはケイティにとあるものを見せてくれた。
それは、花の刺繍が完成していないまま放置された、一枚のハンカチだった。
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