第8話 悲しみの歌姫

 それからというもの、ケイティは仕事の合間や夜に、頻繁に机に向かうようになった。自分のアイデアを形にするためだが、自信があるという訳ではない。

 力になれるのか、もしかするとただの迷惑なのか。判断しかねたケイティは、ジョシュアに話すことなく、作業を続けた。

 一方のジョシュアは、来客にも敏感になっているようで、ドアベルが鳴る度に厳しい顔をするようになった。

 もともと貴族への不信感が強く、接客もあまり愛想がいいとは言い難い彼。最近ではケイティがフォローに入る形で接客をすることも多い。

 魔法人形は、ドールハウスにもともと居る魔法人形をそのまま売る場合と、完全オーダーメイドで客の好みに容姿などを創る場合がある。

 一目で気に入り、店に居る魔法人形を買っていく客も多い。

 けれど、そうでない場合は客と接する時間が長いため、ジョシュアの態度に冷やひやすることも多かった。魔法人形の修理に来た客など、射殺さんばかりの視線を投げているときがある。

 それでもほとんどの客は、ボロボロの魔法人形を見習いのフットマン一人に任せるようなことはしない。自らドールハウスを訪れたり、執事に任せるなどして、擦り傷程度の破損の修理を申し入れてくる者がほとんどだ。

 だがケイティもジョシュアも、修理依頼と聞くと身構えてしまう癖がついてしまった。




 その日も、魔法人形の購入目的ではないとひと目でわかる客が来店し、ケイティとは思わず身構える。

 客は魔法人形の女性を連れた老紳士で、使用人と思われる男性が彼の後ろに控えている。魔法人形を連れているということは、きっと購入ではなく、修理だろう。

 けれど、見たところ魔法人形の状態はとても綺麗に保たれている。

 ケイティは訝しく思いながらも、老紳士へと頭をさげた。

「いらっしゃいませ。お客さま」

「おや、一等美しい魔法人形だと思えば、人間のお嬢さんでしたか。以前こちらに伺わせて頂いたときには、いらっしゃらなかったと記憶していますが」

「はい。ほんの数ヵ月前にここへ来たばかりなんです」

 ケイティがこたえると、老紳士は好々爺の風情で莞爾として笑った。

「そうですか。いやはや、本当に綺麗なお嬢さんだ。ずっとこうしてお話ししていたいところですが、そうもいきませんね。魔法人形師殿を呼んで頂いても構いませんか?」

 貴族であることは明らかなのにも関わらず、ケイティに対しても丁寧に接する老紳士。

 ケイティは僅かに警戒心を解いて頷いた。

「承知いたしました。それでは、こちらに掛けてお待ちください」

 ケイティは店内の机へと案内し、老紳士が腰掛けるのを確認してから、ジョシュアのもとへ向かった。

 工房から出てきたジョシュアは、老紳士と向かいあう形で腰を落ち着けた。その隣に、ケイティも座る。

 老紳士は、以前魔法人形をドールハウスで買い求めたというミル卿だ。

「今回は、どうなさいましたか?」

 ジョシュアが問うと、ミル卿はどこか言いにくそうな様子を見せて、隣に座る魔法人形を見た。

「魔法人形を……こちらの店にお返しすることは可能でしょうか?」

「……は?」

 思わずといった様子で、ジョシュアが呆けた声を出した。

「それは、どういうことでしょう。理由をお聞かせ頂いてもよろしいですか?魔法人形に、何か不具合がございましたか?」

 ケイティの問いかけに、ミル卿はそっと首を横に振った。

「いいえ、とんでもない。とても気に入っている、良い人形です。この人形は、私の末の娘が気に入って購入したんです。歌を歌う魔法人形は多くはありませんし、何よりその歌声は天使のようだ。私も娘も、彼女の歌声を聴くのが好きでした」

 どうやらこの魔法人形は、歌を歌うことができるらしい。

 踊りを踊る人形やハープを演奏する人形はこのドールハウスにもいるので、ケイティにも馴染みがあった。

 けれど、歌を歌う人形は居ない。他の魔法人形よりも創るのが難しく、それほど多くは存在していないと、以前ジョシュアから聞いたことがあった。

「それなら、何故?」

 ケイティが言葉を重ねると、ミル卿は表情を陰らせ、両手の指を組んだ。

「先日、その娘が亡くなりましてね……人形の主が、居なくなってしまったのですよ」

 その話に眉を下げたケイティの脳裏には、あの亡くなった魔法人形の姿があった。

 ジョシュアも同じだったのだろう。微かに眉間に皺がよっている。

「娘は、上の息子たちとは歳が離れていて、まだ年頃でした。お嬢さん、貴女の少し歳上といったところでしょうかね。もともと体の弱い子で、風邪をこじらせてそのまま……」

 言葉を区切ったミル卿は、先程と同じように魔法人形の様子を気にして、言葉を選ぶようにゆっくりと話はじめた。

「娘のディアナは生前、大層この魔法人形を気に入っていました。シャーリーと名前をつけて、まるで姉妹のような関係を築いていたのです。けれど娘が亡くなってからというもの、妻が必要以上にシャーリーにきつくあたるようになってしまいました。妻にとっては待望の女の子で、末の子ということもあり多くの愛情を注いで育てた娘でしたから、なかなかその死を受け入れられずに居るのでしょう。その不安定な心を、全てシャーリーにぶつけてしまっているのが現状です。私としては、愛娘の形見として、彼女とこれからも過ごしていきたい。けれど、妻とシャーリーをこれ以上共に居させるわけにもいきません。万が一にでもシャーリーが壊れてしまえば、娘に申し訳がたちませんから。ですから、シャーリーをお返ししようと思い立ったのです」

 ミル卿の声には、悲しみからか疲れからか、掠れた重い響きが含まれていた。

「なるほど。そのようなご事情があるのですね」

 思案するように腕を組んだジョシュアは、シャーリーというらしい魔法人形に視線を投げた。

「久しぶりだな。シャーリー、いい名前じゃないか」

 これまで目を伏せたまま表情を動かさず、物静かにミル卿の隣に腰かけていたシャーリー。亜麻色の長い髪が顔に影をおとし、あまり表情をうかがえずに居た。

 ジョシュアの呼びかけにはじめて目線を上げた彼女は、ひだまり色の瞳を細めて唇で微笑の形を作ると、こくりと頷く。

 小造な小鼻と唇。ほのかに染まる丸みのある頬。なにより、下がりぎみの眉尻と、同じく目尻の下がった大きな瞳が印象的だ。

 儚げというべきか、優しげというべきか。とにかく慈しみ深げな温かさをもつ、とても愛らしい魔法人形だった。

(なんて可愛らしいのかしら。まるで、花の妖精みたい……)

 さすが、美しいものには目のないジョシュアの創り出した魔法人形だ。強く心惹かれる魅力がシャーリーにはある。

(お客さまの亡くなったお嬢さまが気に入っていたというのも、頷けるわね)

 ケイティがひそかに見入っていると、ジョシュアはさらにシャーリーに語りかけた。

「シャーリー、お前の意思を知りたい。お前はドールハウスに戻りたいか?」

 ケイティは、ジョシュアらしい質問だと思った。

 客の要望だけでなく、魔法人形の思いもきちんと受け取ろうとする。彼らには心があり、だからこそ人と同じように扱う。

 あまり優しさの部分を目に見える形にしようとしないジョシュアから、もれ出てくる優しさだった。

 シャーリーは瞳をゆっくりと瞬かせて、どこか不安そうにミル卿を見た。それはまるで、ミル卿の意見を求めるように。自分の迷いを伝えるように。

 ミル卿はシャーリーの肩に優しく手を置く。

「シャーリー。私は、妻も娘も、そして君のことも大好きなんだ。だからとても迷ったんだよ。けれど私は、これが最善でないかと思うんだ。君の意見を聞かせてくれるかい?」

 シャーリーはふるりと睫毛を震わせて、ひだまり色の瞳に影をおとした。

 まるで人同士が互いに気遣いあうように、二人は当たり前に互いを慮って行動している。その事実が、ケイティの心を温かくした。

 二人が父娘だと言っても、シャーリーを魔法人形と知らない人なら信じてしまうだろう。そんな空気感だった。

「シャーリー。ドールハウスに戻ってきたいか?」

 あえてだろう。ジョシュアは何てことのない質問をするような声音で言った。

 シャーリーは目元に力を入れたような、少し歪な表情をした。唇が迷うように開いて閉じる。

 再びミル卿を見たシャーリーの瞳は、先程とは違っていた。諦めのような何かが、瞳の奥で揺らめいている。

 その様子を見守ることしかできないケイティにも、彼女がドールハウスに戻りたくないということが、嫌でもわかってしまう。

 きっと、姉妹のような関係だったという亡き主のディアナ嬢との思い出が詰まった場所を、離れたくはないのだろう。そしてミル卿と離れることも、シャーリーは嫌なのだ。

 けれど彼女は、唇を引き結んでジョシュアを見た。そうして、大きくしっかりと、頷いたのだった。




 その後、シャーリーは正式にドールハウスに戻ってくるということで話はまとまった。

 後ろ髪を引かれるように馬車の車窓からシャーリーを見詰めながら去って行くミル卿を、シャーリーもまたひどく寂しそうに見送っていた。

 ミル卿は、定期的にシャーリーに会いに来たいと申し入れてきた。彼女は、他の客の手には渡らず、ずっとドールハウスで生活することとなる。

「シャーリー、よろしくね」

 寂しげに表情を曇らせたままの彼女に、ケイティは努めて明るい声をかけた。

 するとシャーリーは穏やかに微笑み、スカートをつまみ上げると、軽く膝を折って頭を下げた。まるで貴族のご令嬢のような、美しい所作だ。

 美しい容姿とあいまって、絵画に描かれた場面を見ているような気さえしてくる。

 けれど彼女の身に付けている衣服は、メイドのお仕着せのようなものだ。

 そのちぐはぐさが強い違和感となり、ケイティを襲ってくる。

 ケイティは今一度、自身の中にある考えを強く意識するのだった。

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