第7話 ドールの心

「お前の主人は、このドールをどうして欲しいと?」

 静寂を破ったのはジョシュアだった。

 その冷たく単調な声に、少年は凍えるように首をすくめて、助けを求めようとちらりとケイティを見た。

 ケイティがそっと促すと、少年はジョシュアを見上げる。

「修理を……して欲しいって。修理が難しければ、同じ見た目の魔法人形をつくってもらうように、言いつけられて。お金は弾むから、見た目さえ同じならいいって」

 ジョシュアがぎゅっと拳をきつく握りしめた。

 ケイティはそっと側に寄り添ってジョシュアの背に手を置く。ゆっくりと撫でると、手の平には微かに震えが伝わってくる。

「ドールたちには、命がある。心がある。死んだら終わりなんだ……いくら同じ見た目でも、このドールはもう……帰ってこない」

 絞り出すような声は濡れていて、ケイティは喉につかえたものをのみ込むように息を吸った。

 かける言葉も見つからないでいると、カタンと背後から物音が聞こえた。振り向くと、店の奥に居たはずの魔法人形たちが、こちらの様子をうかがっていた。

「あっ……」

 魔法人形たちの目線の先にあるものに気付いたケイティは、慌てて彼らの前へと出る。

「皆、今はお客さまが居るから奥に居て」

 やんわりとそう告げながら、彼らの視界に横たわる魔法人形が映らないようにと必死に体で隠す。

 魔法人形には、五歳前後の人間の子供と同じか、それ以上の知能があると言われている。

 人の言葉を理解し、多くの場合それに従順に従う。その場の状況を理解するのだって、難しいことではない。

 彼らは生きていて、心を持っているのだ。

 ふと、少女の姿をした魔法人形が、他の魔法人形の陰から走り出てきた。

 彼女はとめようとするケイティのすぐ側をすり抜け、横たわる魔法人形の側へ膝をつく。そして、覆い被さるようにしてぎゅっとその体を抱きしめた。

 それはまるで、すがり付くように。身近な人の死を悼む人間のように。

 呆然とその光景を見るケイティの隣を、次々と魔法人形たちが通り抜けていく。

 皆、横たわる魔法人形を囲むようにして膝をつき、労るようにその体に触れる。

 ケイティは耐えきれず、口元を押さえて嗚咽がもれないように唇を引き結んだ。それでも唇は震え、溢れてくる感情はとめどない。

 魔法人形たちは皆、動かない手を握り、額を撫で、髪をとかしながら、静かに目を伏せている。涙を流すことも悲しみを言葉で表すこともできない彼ら。

 それでも、悲壮感に包まれながら寄り添いあうその姿は、誰かの死を悼む人間と変わりはなかった。

 ジョシュアがそっと、最初に駆け寄っていった魔法人形の頭撫でる。

「このドールは、亡くなったドールとよく一緒に居たんだ。とても仲が良かった。皆、死を理解している。大切な家族がもう帰ってこないと、わかっているんだ」

 涙をとめようと必死だったケイティは、思わず鼻をすすった。

 少年も目を潤ませながら、ズボンをぎゅっと握りしめて泣くまいとしている。

 ジョシュアは少年の様子に気付いたのか、今度は彼の頭に手をのせた。

「自分が運んでいたものが死んでいたと知って、恐ろしくなったか?」

 小さな問いかけに、少年は頷く。その拍子に、ひと粒涙が頬を伝った。

「動かなくても、人形だから直せると思ったんだ。僕はフットマン見習いで、今回のお使いがはじめて僕一人に与えられた仕事だったから嬉しくて……なのに、こんなに悲しいお別れを僕が連れてきてしまうなんて……」

 お仕着せのジャケットを握って、少年は俯いた。その髪を撫で付けながら、ジョシュアは落ち着いた声で語った。

「人は財を持つと、欲が出てくるんだよ。珍しい物や高価な物、他人が持っていないような物が欲しくなる。自分の方が凄いのだと、財力で示す。それは宝石やドレスだったり、アンティーク品だったり。魔法道具や魔法人形だったりする。そういう奴らが俺のドールたちを雑に扱っている。ただの見栄のために買うなと言いたいが、相手は貴族だからな……結局何も言えやしないのさ。お前の主は大貴族だろう?彼らは財ならいくらでも持っている。魔法人形を消耗品扱いできるくらいにな。だからお前は悪くない。大丈夫だ」

 少年は何度も頷きながら、とうとう溢れはじめた涙を袖で拭った。

「ケイティ。泣きすぎだ。目が腫れているじゃないか」

 ジョシュアに手招かれ、ケイティも少年と共もに頭を撫でられた。その手が優しくて、悲しくなる。

 蜂蜜色の瞳の中に激情が渦巻いていることを、ケイティはきちんと気づいていた。そして、それ以上に彼が悲しんでいることも。

 それなのに、感情を押し殺しどこか達観した表情で振る舞う彼が、痛々しかった。

 ジョシュアが貴族に対してそれほど良い印象を抱いていないのだということは、ケイティも薄々感じている。

 先程の口ぶりからもそれが感じられ、もしかしたらこんなことも一度や二度ではなかったのかもしれないと思うと、胸がひどく痛んだ。

「このドールと同じ見た目のドールを製作しなければならないな」

 ふと、ジョシュアが呟いた。ケイティは信じられない思いでその顔を見上げる。

「何を言っているの、ジョシュア。依頼を受けるの?こんな酷い仕打ちを受けたのに……相手が貴族だから、依頼を断ることはできないの?こんなことをする人に、人形を渡せない。またこうならないという保障はないじゃない」

「仕方ないんだ……」

 ジョシュアの浮かべた笑みはひどく不恰好で、ケイティは何も言えなくなってしまった。

 押し黙ったケイティの頭を再度撫でて、ジョシュアはその場を動こうとしない魔法人形たちを見た。

「魔法道具師や魔法人形師は、国王から特別な認証を受けた、とても重宝される存在だ。けれど実際は、王族や貴族の見栄比べや娯楽のための道具を作っているにすぎない。逆らうことなんて、できやしない」

 肩をすくめてみせたジョシュアが、ゆっくりと横たわる魔法人形を抱き上げた。だらりと垂れ下がったその手を、あの少女の魔法人形がしっかりと握っている。

「お前の主に、魔法人形はいちから製作し直すから、少し時間がかかると伝えてくれ」

「う、うん。わかった」

 複雑そうに返事をした少年が、ジョシュアと魔法人形たちを見詰めた。

「あの……」

 何かを言いかけた少年だったが、結局何も言わないまま口をつぐむ。

「……旦那さまに、伝えておくよ」

 小さな声でそう言って、少年はケイティ達を気にして何度も振り返りながら、ドールハウスを出ていった。

「ジョシュア……この魔法人形は、どうするの?」

 側を離れようとしない魔法人形たち。その合間から動かなくなってしまったその頬に触れたケイティは、そっとジョシュアに問いかけた。

 ジョシュアは魔法人形の体を大事そうにぎゅっと抱いた。

「通っていた魔力が途切れれば、魔法人形の体は脆くなり、時間をかけて徐々に崩れていくんだ。だから、このまま放置という訳にもいかない。土に埋める」

 まるで、人の葬儀のようだ。

 ケイティは何か声をかけようとして、やめた。きっと少年も同じ気持ちだったのだろうと思う。

 今は何を言っても、ジョシュアや魔法人形たちを傷つけるような気がした。




 それからしばらくの間、ドールハウスはいつも哀しげな空気で満たされていた。

 時間がたつほどに少しずつ調子を取り戻していったものの、何日経とうと、胸の痛みを拭い去ることはできない。

 特にジョシュアは、本人は普段通りに振る舞っているつもりらしいが、ずっと気を落としたままだ。

 異常なほど日に何度も魔法人形たちの様子を気にしたり、依頼された魔法人形の製作がなかなか進まなかったり。

 ケイティと魔法人形たちは、そんなジョシュアのことが心配でならない。誰からともなく、彼を一人にさせないように側へ居るようになった。

 ケイティも、なるべく彼の側に居るようにしている。

「ケイティ」

「なに?」

「……何でもない」

 ケイティは、ジョシュアの膝の上に座らされ、抱き締められていた。

 ジョシュアが自分の容姿を心底好きだとわかっているため、彼の気が紛れるならと、彼の好きなようにさせている。

 下心も欲も向けてこないジョシュアに触れられることに、ケイティは抵抗感を感じない。

 少し恥ずかしさはあるが、最近の彼の人肌を求めるような様子は、弱々しくて支えたくなる。

 ドールハウスに来て、以前よりずっといい薬と栄養のある食事を取れるようになった母の容態は、最近回復の兆しを見せはじめた。

 母を気にするケイティのために、ジョシュアは休日以外でも頻繁に母に会いに行くことを許してくれている。

 ケイティが身を売らなくて済んだのも、母が回復したじめたのも、全てはジョシュアのお陰だ。

 だからケイティは、なるべくジョシュアに恩返しをしたいのだ。

 ケイティを当たり前に受け入れ懐いてくれている魔法人形たちも、変わり者だが魔法人形師として魔法人形たちに真摯に向き合うジョシュアも、ケイティは大好きになっていた。

「お前が側にいると、何だか落ち着くな」

「そう?それなら良かったわ」

 じっとケイティの瞳を見つめて、ジョシュアがかすかに微笑む。彼にしては覇気のない、弱った笑みだ。

 ケイティは手を伸ばすと、彼の頭に手を置いた。ジョシュアがよく魔法人形やケイティにするのを真似たのだ。

 ジョシュアは意外そうに瞬いて、それから目を伏せてされるがままになった。ケイティはさらさらと彼の髪に指を通しながら頭を撫でた。

「……相当な財を持っていなければ、貴族にとっても魔法人形は高級品なのでしょう?一生に一度の買い物として買い、至極丁寧に扱う人たちも多いって」

「そうだな……」

「一人きりで不安を抱えなくていいのよ。わたしにとっても魔法人形たちは大切な家族だもの」

 ジョシュアはそっとケイティを抱き締めた。抱き締めかえすことは恥ずかしくてできないが、彼の頭を撫でることで、それに応える。

(ジョシュアと魔法人形たちのために、わたしに出来ることがあるかしら。きっと皆、やるせなくて悔しくて、悲しい気持ちでいっぱいよね。わたしに何かできたなら……)

 美しい魔法人形たちの姿を思いながら、ふとそんなことを考える。彼らを守り、ジョシュアを支える術はないだろうかと。

 悶々と考えていると、あることにケイティは気付いた。

(もしかしたら……)

 浮かんできたアイデアに、ケイティは思案を巡らせはじめた。

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