第6話 魔法水晶

 それから約三ヶ月がたった。

 ケイティは相変わらず、ジョシュアの近すぎる距離感に慣れることができないでいる。

 穴が開くほど見つめられたり、挨拶でもないのに急に頬にキスをされたり。ジョシュアの行動にはほとほと困っているが、彼への嫌悪感はない。

 それどころか、最近では打ち解けはじめ、出会った頃よりずっと気軽に会話できるようになった。

「本当に綺麗だ……無理にでも手元に置いてよかったよ。いくらでも愛でていられる」

 頭を撫でながらうっとりとそう言われたときには、さすがのケイティもあまりの恥ずかしさにしばらくジョシュアを避けたものだ。

 けれど徐々に、彼が美しいものを観賞する一貫で自分を見ているのだと理解しはじめた。

 人形や美術品と同じに扱われることに違和感は感じるものの、そういうものだと受け入れることにしている。

 仕事にもすっかり慣れたケイティは、母への仕送りも、十分な金額を送れるようになった。まだまだ母の体調が安定したとは言いがたいが、先日顔を出した際には、以前より調子が良くなっていた。

 母の様子は心配だが、家から通える距離にドールハウスはない。良い薬を飲ませてあげられるようになっただけでも、ケイティの憂いは随分と減っていた。

 それに、ケイティは案外とドールハウスでの生活を気に入っており、現状にそれほど不満はないのだ。



 そんなある日の、天気の悪い昼下がり。ドアベルが鳴り、来客を知らせた。

 ジョシュアは工房に籠っているため、ケイティは一人で接客へ向かう。

「いらっしゃいませ」

 キョロキョロと不安げに店内を見渡す少年を見つけ、ケイティは声をかけた。

 年の頃はまだ幼く、自分の体よりもはるかに大きな荷物を持って立っている。

 少年はびくっと肩を揺らして、ケイティを見ると、みるみる顔を紅潮させて目を大きくした。

「にっ、人形が喋ってる……」

 少年の驚きに満ちた呟きに、ケイティは眉を下げる。

「ごめんなさい。わたしは人形ではなく人間なの。このお店の従業員よ」

 ケイティが言うと、少年は大きな荷物を置き、とことことケイティの側へ寄ってきた。あまりに少年が真面目な様子で見るので、ケイティも彼が見やすいように体勢を低くする。

 少年以外にも、これまでケイティを魔法人形と間違えた客は数組居た。ケイティはこの経験をして以来、ジョシュアが自分をドールと呼ぶのもなんとなく頷ける気がしていた。

 たっぷり時間を要した後、少年は案外あっさりと体を退いた。

「本当だ。人形じゃないや。お姉さんがあんまり綺麗だから、てっきり魔法人形だと思っちゃったよ」

 大きな瞳に見つめられ、ケイティはくすりと笑う。

「ありがとう。けれど、このお店にはわたしなどよりもずっと美しい人形たちが居るわ。君はお客さんかしら?」

 ケイティが目線をあわせると、少年は大きく頷いた。

「僕の勤めているお屋敷の旦那さまが、この魔法人形を直して欲しいって。魔法人形師さまに修理を依頼するように言われたんだ。僕一人で運ぶのは骨が折れたよ。大きいんだもの」

「え?」

 少年はどうやら、どこかの屋敷の使用人らしい。

 ケイティは思わず、訝しげな声をあげた。何故なら、少年が大きな荷物を指差してそう言ったからだ。

「中を見ても?」

「うん」

 嫌な予感がして、ケイティは恐る恐る荷物の中身を確認した。

 はじめに目に飛び込んで来たのは、少し傷みのある長い髪だった。次いで、瞳を閉ざした真っ白な顔が覗く。

 慌ててそれを包んでいる袋を取り払うと、まるで眠っているように、あるいはただのビスクドールのように、全く動かない魔法人形が姿を現した。

「これは……」

 よくよく見れば、手足の所々に破損した箇所が見受けられる。

 魔法人形はオールビスク。つまり、全身が磁器でつくられた人形だ。ドールハウスには工房に併設される形で、磁器を焼き上げるための窯がある。

 魔法人形は通常の磁器製品ほど脆くはないが、やはり衝撃には弱い。

 人が怪我をするのと同じで、魔法人形たちも手足の一部を破損することがある。ケイティも、修理に運び込まれた魔法人形を何度か見たことがある。

 けれど今回は異常だった。破損の度合いもだが、何よりも魔法人形が動かないことがおかしい。

 魔法人形に痛覚はない。いくら破損していても意識はあり、普段と変わりなく動けるはずだ。

 ドクドクと、大きく脈打つ自身の鼓動が聞こる。

「ねぇ、どうしたの?起きて……」

 魔法人形に声をかけ体を揺するが、反応は返ってこない。ケイティはこんな状態の魔法人形を見たことがなかった。

 動かないだけではない。本来持っているべき美しさが損なわれたように、あちらこちらに歪さが見られる。

 魔法人形に、眠るという概念はない。ジョシュアがはじめに教えてくれた魔法人形の特性だった。

 と、いうことは――。

 ケイティは血の気が引いていくのを感じながら、ジョシュアの居る工房へと急いで向かった。

「ジョシュア!早く来て、魔法人形が……!」

 工房へ駆け込んできたケイティの様子から何かを察したのか、ジョシュアはさっと顔色を変えた。

「どうした?」

「わからないの。とにかくお店の方に来て!」

 ジョシュアはすぐさま作業を中断した。

 二人で店へと戻ると、横たわる魔法人形の側で少年が戸惑いを隠せない様子で居た。

「お姉さん。この人形、そんなに酷い状態なの?」

 彼は魔法人形に詳しくはないのだろう。魔法人形とケイティたちを代わる代わるに見る。

 ジョシュアは魔法人形の姿を認めるやいなや、顔を青くして人形の側に膝をついた。

 ケイティもすかさず駆け寄り、魔法人形の状態を確認するジョシュアを見守る。

 祈るような気持ちで、魔法人形を見る。ドールハウスで過ごすようになってから、ケイティにとって魔法人形はすっかり家族同然だった。

 丁寧な仕草で魔法人形に触れたジョシュアは、人形の顔を確認した瞬間歯噛みして、哀しそうに顔を歪ませた。

「ジョシュア……?」

「……ケイティ、少し手伝ってくれ」

 ケイティは変に心臓が脈打つのを感じながら、ジョシュアの指示に従った。

 魔法人形を座らせるような体勢にし、ケイティは倒れないように後ろから上半身を支える。ジョシュアは、胸部が見えるように魔法人形の服を脱がせた。

 魔法人形の胸部には、飾り格子のついた小さな窓のようなものが存在する。

 その格子の中を覗き、ジョシュアは唇を噛んだ。

「……駄目だ」

「え……?」

「このドールは……死んでる」

 音をのせない空気が、ケイティの口から重く溢れ落ちた。唇をはくはくと動かしても、出すべき声も言葉も見失った吐息が、ただもれるだけだ。

「この人形、もう直らないの?魔法の人形なのに、変なの」

 黙りこくっていた少年が、ふいにそう呟いた。きっと彼にとっては、それが純粋な感想だったのだろう。

 けれどそれが、ジョシュアの忌諱に触れた。

 ジョシュアは眦をつり上げると、少年の胸ぐらを掴み、そのまま壁際へと追い詰めた。

「このドールにどんな扱いをした?こんなにボロボロになって、傷つくまで何故放っておいた!?魔法人形は生きているんだ……死んだ者が生き返るはずがないだろう!死んだら……治せやしないんだ……!」

 大きな怒号と凄まじい剣幕に、少年は怯えた顔をして大きな瞳いっぱいに涙を溜めた。体が小刻みに震え、顔は色を失っている。

「ジョシュア、止めて!この子はただ頼まれて運んで来ただけ。この人形の持ち主は、彼の勤める屋敷の主人よ」

 少年から引き剥がそうと必死にジョシュアの体を引っ張りながら、ケイティは叫んだ。

 ジョシュアが手をはなすと、少年はどさりとその場に座り込んだ。

「大丈夫!?」

 ケイティは少年を背にかばうかたちで二人の間に割って入った。

「ジョシュア、彼が魔法人形の持ち主でないことくらい、あなただってわかっているでしょう?お願い、落ち着いて」

 憤怒に満ちたジョシュアの表情に怯みかけるも、ケイティはぐっと堪えてその目を睨み付けた。

 膠着状態のまま、二人はしばらく互いに厳しい表情で見詰めあう。ケイティは息を詰めたまま、一瞬とも永遠とも言えるような時間を過ごした。

 けれど、実際にはほんの数秒のこと。ジョシュアは一瞬だけ泣きそうな顔をして、すぐに視線をそらすと目を伏せた。

「すまない……取り乱した。確かにこの少年は、魔法人形の持ち主じゃない。俺が自ら売ったんだ。持ち主の顔は覚えている……」

 目元を僅かにゆるめたジョシュアは、少年に手を差し伸べる。

「怖がらせて、悪かった……」

 ジョシュアの手を借りながら立ち上がった少年は、少し怯えを残すものの、先ほどよりは落ち着いた様子だ。

「ジョシュア、この魔法人形……」

 聞きたくない気持ちを抑えてケイティが問いかけると、ジョシュアはくしゃくしゃと自身の髪を乱暴に乱した。

「魔法水晶が駄目になっている。もうどうしようもない……」

「じゃあ、本当に……」

 ケイティは横たわる魔法人形を見下ろした。

 ジョシュアはそっと胸の格子窓を開け、その中にはまっている石を取り出した。魔法水晶だ。

 本来は宝石のように美しいその石は、今は灰色に煤けた色をしており、通常ではあり得ない状態になっている。

「魔法水晶は、魔法人形にとっての核。つまり心臓だ。魔法水晶は特殊な方法で錬金された魔力を多く含む石で、その魔力によって魔法人形は動いている。けれどその魔力にも、底がある。魔力を消費していくごとに、魔法水晶は輝きを失くし煤けていく。完成に魔力を失う前に魔法水晶に魔力を注がなければ、魔法水晶はただの石となり、魔法人形はもう二度と動かなくなる。新たな魔法水晶をはめ込んでも駄目だ。そしてその作業は、魔法道具師や魔法人形師にしか行えない」

 心臓が止まれば人が死ぬように、魔法人形も魔法水晶が機能を失えば、待つのは死だ。

 ケイティがこの事実を知ったのもつい先日のこと。

 少年にとってははじめて聞く話だろう。はっとしたような顔をして、彼は魔法人形を見た。

「全ての魔法道具は、魔法水晶の魔力を動力に動いている。魔法人形も例外じゃない。だから魔法人形の持ち主は、定期的に魔法人形師のもとへメンテナンスに訪れなければならないんだ」

 ジョシュアの声は、聞いたことのない程にひどく沈んで低かった。

 一部の破損だけなら、不意の事故という可能性もある。

 けれど魔法人形が命を落としたということは、それは持ち主の故意によるものとしか考えられない。

 ジョシュアもケイティも少年も、誰もがその瞬間言葉を失っていた。沈黙だけがその場に漂って、体にまとわりつく。

 ケイティは、鼻の奥のつんとした痛みにたえた。一番やるせない気持ちなのは、きっとジョシュアだからだ。

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