第5話 ドールハウス

「んぅ……」

 目を覚ますと、そこには見慣れない天井があった。ケイティは慌てて半身を起こして、部屋の中を見渡す。

(そうだった……わたしは今、ドールハウスに居るんだわ)

 ようやく思い至ったケイティは、ぐっと伸びをしてベッドからおりた。

 ドールハウスに来てから数日。

 書面だけの簡単な手続きでジョシュアの妻になったケイティは、その実、ドールハウスのメイドとしての日々を過ごしている。

 形だけは夫婦だが、ケイティとジョシュアの関係性は、雇用主とメイドのそれだ。

 雇用形態もしっかりしており、契約書の書面を見る限りでは、バンバー卿の屋敷に居た頃よりも稼ぎがはるかに多くなりそうだ。

 ケイティの懸念としては、転職のために母への仕送りが一時滞ることだが、すぐに今まで以上の金額を母へ送ることができるだろう。

 ドールハウスは一階が人形店で、その奥が工房。そして二階の大部分は居住スペースだ。

 ケイティは二階の端の一室を与えられ、そこで寝起きをしている。

 身支度を済ませると、ケイティは一階へ降りた。

 ケイティの仕事はドールハウスの清掃からはじまるのだが、はじめ、ドールハウスはひどい有り様だった。

 端的に言うと、ジョシュアには生活能力が全く備わっていなかったのだ。

 人形作りにおいては言わずもがな一流で、寝食を忘れるほど没頭するジョシュア。人形へのこだわりや愛情はひとしおだ。

 ただ、職人気質といえば聞こえはいいが、その他のことに関してはてんで駄目なのだ。

 人形店も居住スペースも、整理整頓とは無縁の無法地帯。工房はジョシュアの意向でほとんど踏み入らないが、ちらりと見たときには思わず頭を抱えた程だ。

 昨日、やっとの思いであらかた整頓と清掃を済ませたケイティ。放っておくとまたジョシュアによって無法地帯と化しそうなので、掃除を怠る気はない。

「よし。今日も掃除からはじめましょうか」

 ケイティは掃除道具を手に、腕まくりをした。

 先ずは人目につきやすい人形店からはじめ、居住スペースまでしっかりと掃除する。

「おはよう、皆」

 朝の挨拶をすると、美しい魔法人形たちが一斉にケイティを振り返る。睡眠という概念のない人形たちは、朝から元気にケイティの元へとやってくる。

 その光景は、何度見ても見飽きることも見慣れることもない。

(なんて美しいのかしら……)

 美しすぎる光景を目に焼きつけ、ケイティは心を満たされる。

 人形たちはそんなケイティに挨拶を返すように、代わる代わる髪や頬や手にキスを落としていく。

 はじめこそ驚きと恥ずかしさに目を回していたケイティだが、彼らが人形なのだと思えば、余裕を持って対応することができた。

 それぞれに笑顔で返してから、ケイティは掃除をはじめる。

 この人形店には、魔法人形だけでなく、普通のビスクドールも多く存在する。

 魔法道具師は、国内にわずか百人程しか居ない。しかも、その中で魔法人形師の人数は、たったの十人程だという。

 その内の一人であるジョシュアが作った人形は、魔法人形にしろビスクドールにしろ、かなりの価値がある。

 それらを傷つけないよう作業するのは、気を遣う上、骨の折れることだった。

「この子をお願いね」

 魔法人形たちは、人懐っこく好意的な個体が多い。

 ケイティはビスクドールを魔法人形に預け、人形たちを飾る棚や椅子、机などを手早く清めていった。

 魔法人形たちは、それをしげしげと眺めている。中には手伝おうとしてきたり、掃除道具を触ってみる好奇心旺盛な魔法人形もいるが、ケイティとしては彼らが傷付かないかと冷や冷やだ。

 けれど、魔法人形たちは純粋無垢な子供のようで、その振る舞いが可愛らしく、ケイティもきつくは注意できずにいる。

 掃除が一段落すれば、次は朝食の準備。仕事の内容は、本当にメイドや使用人とそう変わらない。

 朝食の準備が整うと、ケイティはジョシュアの部屋の扉をノックして中へと声をかけた。彼を起こすのも、すっかりケイティの仕事だ。

 しばらくすると、眠たげに目を細めたジョシュアが、寝癖だらけの頭をゆらゆらと揺らしながら自室から出てきた。

「おはよう、ジョシュア」

 ジョシュアは、夜遅くまで工房に籠ることが多い。というより、ケイティが来てから数日、そうでなかった日はなかった。

 健康的は生活をおくっているとは、とても言い難い。作業に集中すれば寝食を忘れ、朝は起こさなければ起きてこないのだ。

「おはよう……やっぱり良いな、食事が用意してあるって」

 ゆるく微笑んだジョシュアが、人形たちに朝の挨拶をするために店の方へ下りていく。

 その様子を見守りつつ、ケイティは朝食を並べた机の上を整えた。

 料理のできないジョシュアは、ケイティが来るまで食事を外食に頼っていたらしい。

 けれどそうなると、面倒臭さや忙しさで、食事を抜いてしまうことも多くあったようだ。

 ジョシュアはケイティがドールハウスに来た次の日には、食事の面だけでもケイティを雇ってよかったと、ご飯を頬張りながらしみじみと言った。

 きっと彼は、ケイティが可哀想な人を見る目で自分を見ているとは、つゆほども気づいていないだろう。

 ケイティはその時に、ジョシュアの生活水準を上げることも自分の仕事だと思い、なるべく彼の世話をやこうと決めたのだった。

 貧しくなくとも、こんな生活をしていれば病気になりかねない。身近な人が病に伏せるのはもうこりごりだった。

 食卓に戻ってくる頃には、ジョシュアもいくぶん目が覚めたのか、はっきりとした表情をしていた。

 ジョシュアは毎朝人形たちに朝の挨拶をし、人形たちの様子に変わったところがないかを確かめるのが日課だ。

 そしてその人形たちへの朝の挨拶はもちろん、ジョシュアのドールであるケイティにも適応される。

「ケイティ、今朝は朝の挨拶をするのを忘れていた。ほら、こっちに来い」

 手招きをされ、ケイティはおずおずとジョシュアの側へ寄る。

 するとジョシュアは、チュッ、とリップ音をたててケイティの頬にキスをした。

 柔らかな感触が、じわりじわりと熱を広げていく。ケイティは顔を赤くしてジョシュアからそっと距離を取り、頬を両手で隠した。

「ねぇ、これ、やめない?恥ずかしすぎるわ……」

 小さな声で訴えると、ジョシュアはぐっと眉をひそめる。

「俺のドールになると決めたのはケイティだろう。これが俺のドールへの接し方だ。慣れてくれ」

 憤然として言う彼に、ケイティは口ごもる。

 ジョシュアはいつも、人形たちの頬へ丁寧にキスをして、人形たちひとりひとりへ挨拶をする。

 それを当たり前だと思っている人形たちも、ジョシュアやケイティに対して同じようにキスをしてくれる。

(もう……恥ずかしすぎて耐えられないわ……)

 ジョシュアは、自身も魔法人形なのではと疑いたくなるほど、美しい容姿をしている。そんな美青年に毎日のようにキスをされれば、さすがのケイティも心臓が持たない。

 魔法人形たちにキスをされるのとは、訳が違う。頬に残る感触と蜂蜜の瞳を思い出し、ケイティは感情の波にたえるように顔を覆った。

「ケイティ、そんなに嫌か……?」

 ケイティの様子をどうとったのか、ジョシュアは少し心配そうな表情でケイティの顔を覗きこんでくる。

「嫌というのとは、違うけれど……」

「じゃあ、構わないじゃないか」

 ジョシュアは訳がわからないと言いたげだ。ケイティは自分が折れることにして、頭を振る。

「わかったわ……食事が冷めてしまうから、早く食べましょう」

 二人はようやく食卓につき、朝食を食べはじめた。


 掃除と朝食、洗濯などがあらかた終わると、ケイティの仕事はもっぱら店番となる。

 準備を整えて店を開ければ、客が来るまでは人形たちとのんびりを時間を過ごすか、人形についての勉強に時間をまわすのが常だ。

 と言っても、魔法人形もビスクドールも値の張るもので、買い求めるのはほとんどが貴族だ。そのため、来客はそれほど多くない。

 実際、ケイティはまだここを訪れる客を見たことがなかった。

 ジョシュアもそれを見越してか、工房から出てこない日も多い。もちろん店に出ていることもあり、今日はどうやら店に居るようだ。

 まだまだ魔法人形についてもビスクドールについても勉強の足りないケイティは、一人で接客するなど想像もできない。

 ジョシュアが店に居てくれることに越したことはないが、ケイティにとってひとつだけ困ることがある。

 それは、ジョシュアの距離感だ。

「あの、ジョシュア?」

「ん?」

「そんなにずっと至近距離で見られても困るわ……」

「気にしなくていい。ただ見ているだけだ。最近、少し栄養が行き届いたのか、肌つやが良くなった。まだ肉付きは薄いが、それも次第に改善するだろう。俺が見込んだだけあって、やはり美しい」

「えっ、ちょっと……!」

 向かい合っていた二人だが、ジョシュアが顔を近づけて来たため、ケイティは慌てて逃げ出した。

 下心のある視線には幼い頃からさらされているため、嫌でも慣れる。

 けれど、ジョシュアの純粋な興味に満ちたような真っ直ぐな瞳には、耐性がない。

 ジョシュアからは、美術品を見て楽しむのと大差ないから気にするなと言われている。

 けれど、ケイティにとってジョシュアのそれはただの奇行だ。

 人形創りの参考にしたいと言うので耐えていたが、とうとう我慢ならなくなった。

「おい!逃げるな!」

 逃げおおせようとするケイティだが、店内はそれほど広くはないし、脚もそれほど速くはない。

 すぐにジョシュアに捕まったケイティは長椅子に座らされ、しおしおとジョシュアの視線に耐えこととなった。

 隅々まで観察され、ケイティはくすぐったさと恥ずかしさで身悶えする。

(調子が狂うわ……仕事の内容だって難しくはないし、きっといい職場よ。けれどジョシュアへの対応の仕方がわからない。わたしの体が目的な訳じゃない。下心も感じない。けれどこんなに距離が近くて、何度も頬に触れられて……恥ずかしくて死んでしまいそう……)

 必要以上の男性との関わりを避けてきたケイティにとって、たとえ下心のない触れあいであっても、心が敏感になってしまう。

 それでもケイティは、新しい生活に慣れようと努める。

 ケイティがジョシュアの奇行に慣れるかはいざ知らず、ドールハウスでの日々はまだはじまったばかりだ。

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