第4話 嫁入り馬車

 ガタガタと揺れる馬車の中、ケイティは荷物を抱えて窓の外を見ていた。

 その日のうちに屋敷を出ることになり、少ない荷物をまとめて出てきたケイティ。

 ジョシュアの乗ってきた馬車に同乗し、彼とともに彼の魔法人形店へと向かうことになった。

 馬車の向かいに座るジョシュアは、しきりにケイティを見つめてくる。

「魔法人形師さま。視線が気になるのですが……」

「気にするな。造形を観察しているだけだ」

「はい?」

「だから、造形を観察しているんだよ。鬱陶しいから、今は話しかけないでくれ」

 ジョシュアはしっしっと手を払う仕草をして、再び熱心にケイティを見始めた。

 ケイティはげんなりして、再び視線を窓の外へと戻す。

(もしかしたらわたし、変な人について来てしまったかもしれない……)

 下心のある視線で体を見られることは、これまでも多かった。けれど彼のような目を向けてくる人物ははじめてだ。

(これは、夢ではないのよね……)

 これが夢で、目が覚めたらバンバー卿の寝室だったらと想像して、ケイティはぶるりと体を震わせた。

 軽くつねった頬が痛みを訴え、ほっと息をつく。

(これが最善だと思って決断したけれど、本当によかったのかしら?魔法人形師は国王陛下の認証を受けているのだし、怪しい人ではないはずだけれど。わたしに話したことすべてが真実だとも限らないのよね……)

 予測できない先の不安から、憂いを募らせるケイティ。職業柄、ジョシュアを強く疑うことはないが、人となりはわからない。

 そもそも、ケイティをひと目見て突然、俺のドールにならないかと言ってきた変人である。素直に信用しろと言う方が無理な話なのだ。

「あの、魔法人形師さま。少しお話をいいですか?」

 ケイティは居ずまいを正した。ジョシュアは窓枠に頬杖をついて、目を細める。

「どうした?ケイティ」

 日の光を浴び、ジョシュアの瞳は黄金色に輝いている。その色にのまれないよう意識しながら、ケイティは口を開いた。

「あの、不躾な質問ですが……本当に今よりもよい賃金で雇っていただけるんですか?」

「なんだ、そんなことか。勿論。きちんと契約書も用意する」

 ジョシュアはごく気軽な様子で言った。ケイティは少しだけ安心して、息をつく。

「相当金に困っているみたいだな。貧困層では珍しいことではないが、何か理由があるのか?」

 一番に賃金の話を持ち出したからだろう。ジョシュアがケイティを見た。

 少し躊躇ったケイティだったが、隠すようなことでもないかと、素直に事情を話した。

「病にふせっている母の薬代を稼ぐために、安定的に高い収入を得なければならないんです。旦那さまの噂は知っていましたが、自分の身を売るほか、母に薬を買ってあげられる術がなくて。もともと生活も苦しいので、あなたにこうして出逢えて、わたしは幸運だったのかもしれません。何も、好きで身を売ろうとしたわけではないので」

 できるだけ簡潔に説明すると、ジョシュアは鷹揚に頷いた。

「なるほどな。まあ、俺には関係のないことだが。結果的にそうなったのたら、良かったんじゃないか」

 ジョシュアは組んだ長い脚をふらふらと揺らしながら続けた。

「先程も言ったが、俺はお前を側に置きたいだけだ。そしてお前は、安定して高い収入が欲しい。利害関係が一致したんだ。俺に対してそう気負うことはない」

「わかりました」

 利害関係という言葉に、ケイティはどこか安堵を覚えた。感情や本能でケイティを求めているのではなく、あくまで理性的なのだと思わせてくれるからだ。

 肩の力が僅に抜けていくのを感じていると、ジョシュアがずいと顔を近づけ、覗きこんできた。

「なあ。ずっと思ってたが、敬語じゃなくていいぞ。堅苦しいのは嫌いなんだ。それから、呼び方もジョシュアでいい。敬称もいらない。わかったな?」

「は、はい。いえ……わかったわ。ジョシュア」

「それでいい」

 ジョシュアはひとつ頷いて、ケイティから顔を離す。

 ケイティは意外な言葉に目を丸くした。

 今のケイティは、誰の目からでも貧困街の人間とわかるような、粗末な服装をしている。お仕着せだった質のよいワンピースではなく、何度も繕って長年着てきたボロボロのワンピースだ。

 貧困層の人間と対等な関係を築こうとする人など、そうそう居ない。

 どれほど器量よしであったとしても、せいぜい一時の情を交わす相手に過ぎず、対等な立場になどなれはしないのだ。

 それなのに敬語や敬称をやめさせたジョシュアは、やはり普通とは少し違っていて、ケイティにはそれが好ましく映った。

 だんだんと本来の調子を取り戻しはじめたケイティは、ジョシュアに疑問をぶつける。

「ところで、わたしはどんな仕事をすればいいの?明確な説明を受けていないわ」

 ケイティの質問に、ジョシュアは言い忘れていたと言わんばかりに手を打った。

「先程も言ったが、家事をして欲しいんだ。これはメイドの仕事とそう変わらないだろう。それから、俺の店で従業員としても働いてもらう予定だ。細かいことは、着いてから説明する」

「わかったわ。それから、ずっと不思議に思っていたのだけれど、ドールになって欲しいって、どういう意味なの?結婚だって、貧困層のわたしと魔法人形師のあなたの結婚なんて、無理なのでは……?」

 純粋な疑問を口にする。ケイティにとっては、よくわからないことばかりなのだ。

 ジョシュアはきょとんとして、さも当たり前のことのようにこたえた。

「俺は美しいものが好きだと言っただろう?美しいものを見るのも、この手でつくるのも好きだ。だからケイティは、ただ居てくれるだけでいい。俺が勝手に見て楽しむし、ドールのモデルにすることもあるだろう」

 そこで言葉をくぎると、ジョシュアは少しだけケイティを伺うように口を開いた。

「結婚に関しても心配はいらない。魔法道具師は、平民でも貴族でもない、全く別の階級なんだ。どの階級の人間と結婚しようが、誰からもとやかく言われないさ。魔法道具師は、代々受け継いでいくことが多い。数を減らさないために、年頃の魔法道具師が未婚だと国から結婚の催促が来て、無理矢理見合いの場を設けられることもある。俺はそれが嫌だから、ケイティに結婚の話を持ちかけたんだ。お前こそいいのか?会って間もない男と結婚するなんて」

 ケイティはその話を聞いて、可笑しくなった。

 なかば強引にバンバー卿からケイティを奪ったというのに、ケイティに対して言いにくそうに結婚の話を口にする様子には、下心など微塵も感じない。

 彼には彼の事情があるようで、結婚についても、本当に困っていたのだと察せられる。

(この人は、本当に変な人ね……)

 警戒心が、徐々になくなっていく。

 もしかしたら彼も、ケイティを欲望のままに手ごめにしようとするかもしれないと怖れていた。

 けれど目の前の彼からは、そんな様子を感じない。それどころか、真面目な表情でケイティの返答を待っている。

 拍子抜けしたケイティは、思わず笑みをもらした。

「母と生活のためだもの。それに、契約結婚なのでしょう?形だけの夫婦でいいということなら、わたしは構わないわ」

 じっと言葉を聞いていたジョシュアは、わずかに柔らかく笑った。

「その通りだ。まあ、店の従業員として雇用されたと思ってくれていい」

 ケイティはその言葉を信じることにして、そっと頷いた。




 二人を乗せた馬車はしばらく進み、やがて郊外の小さな町に入った。さらに町の際奥の小高い山の麓までくると、とある建物の前で止まった。

「ほら、着いたぞ」

 先に馬車を降りたジョシュアを追い、ケイティも荷物を抱えて降りる。

 建物はそれほど大きくはない二階建てで、外観だけ見れば小洒落たアンティーク店のようだ。

 掲げられた看板を見ると、ドールハウスの文字が。

「ジョシュア、ここがあなたのお店?」

 扉を開けて中へ入ろうとしていたジョシュアに問いかけると、彼はくるりとケイティの方へ向き直った。

「ああ、そうだ。魔法人形師の工房兼人形店。ドールハウスだ」

 どこか得意気に言ったジョシュアは、ただいま、と中へ声をかけながら入っていく。

 早くというように手招かれ、ケイティも慌てて後を追う。

「お邪魔します……」

 扉をくぐると、そこには息も忘れるような光景が広がっていた。

 右を見ても左を見ても、目に映るのは美麗なドールたち。皆美しいのに、それに負けないほど個々の個性がある。

 髪の色も瞳の色も、身長や体格も、人と同じように皆それぞれ違う。少女や少年の姿をしたドールも居れば、大人の姿のドールも居る。

 変わらないのは、その誰もがはっとするような、それこそ人外の美しさを持っていることだった。

 そんなドールたちが目を輝かせて迎え入れるのは、ドールたちに負けない容姿をした、美しい青年。

 彼は両手を広げて、おどけるように笑った。

「ようこそ、ドールハウスへ。俺のドール兼花嫁殿」

 ケイティは今度こそ、これが夢ではないかと確認することも忘れて、惚けたままに目の前の景色を眺めたのだった。

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