第3話 ドールの嫁入り
「チョコレートのような深みのあるブラウンの髪。白い肌。血色が良く柔らかな頬。瞳の大きさまはまさに理想的だな。形も美しい。青みがかった緑の瞳。光の加減によっては完全な青や緑にも見えそうだ。唇も厚すぎず薄すぎず、鮮やかな色合い。鼻筋も通っていて形も綺麗だな。少し痩せすぎだが、健康状態は悪くなさそうだ。肉付きをよくすれば、もっと見映えがよくなる。身長はもう少し欲しかったが、十二分に及第点だ。俺の理想のドール。理想の造形美だ」
つらつらと、ジョシュアは独り言のように呟く。
ケイティはひたすら目を白黒させるしかない。
(理想のドール?どういう意味かしら?わたしに見惚れているのとも、欲情しているのとも違う、不思議な瞳……)
目に焼き付けるようにケイティをくまなく観察するジョシュアの瞳の奥に見える光は、徐々に強さを増していく。
その光の正体を掴みかねていたケイティは、突如誰かに腕を強引にひかれ、ジョシュアの手から離れた。
「だ、旦那さま……」
ぞわりとした感覚に、ケイティは体をすくめた。ジョシュアに触れられていた時の驚きや羞恥とは違う、悪寒が背を走る感覚に、表情を固くする。
「ジョシュア殿。うちのメイドに何のおつもりです?」
敵意と警戒心を込めた表情で、バンバー卿はジョシュアに刺のある声を投げた。
ジョシュアは一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに仏頂面に戻っていた。
魔法人形の女性が、眉を下げて困ったようにケイティたち三人の顔を見比べている。
「彼女は、この屋敷のメイドですか?」
「ええ。数日前から住み込みで働いている新人です。それが何か?」
ジョシュアの問いかけに、バンバー卿は背にケイティを隠しながらこたえた。ケイティは訳もわからず、バンバー卿の肩越しにジョシュアを見る。
すると彼は、にやりと唇の端に笑みを浮かべるのが見えた。
「いや、それなら彼女もさぞ大変だろうと思いましてね。バンバー卿は、メイドに夜の相手をさせているともっぱらの噂じゃないですか。そのメイドは、貴方より随分と年下だ。そんな少女にまで手を出すなんて……」
瞬間、カッとバンバー卿の顔に朱が散る。
バンバー卿に煽るような言葉を浴びせたジョシュアを、ケイティは信じられない思いで見やった。
相手は新興とはいえ貴族だ。魔法人形師の立場がどれほどのものなのかはわからないが、貴族に目をつけられて無事で済まされるはずがない。
「なっ、何が言いたい!」
唾を飛ばしながら声を荒らげるバンバー卿に、ジョシュアは片方の眉を器用にあげた。
「いいえ、別に。貴族の方々のなかでは、メイドを愛人や愛妾にしている方も珍しくはありませんから。別段、それを咎めようとは思っていませんよ」
「……なら、何だと言うんだ」
バンバー卿は、少し様子を落ち着けたが、明確にジョシュアを警戒している。
ジョシュアは考える素振りを見せて、それからケイティへ視線を向けた。
「まずはお前だ。さっきのこたえを、聞かせて欲しい」
「え……?」
急に話を振られたケイティは、途端に集まった視線に目を泳がせた。
「俺のドールになるつもりはないかと、聞いただろう?」
ジョシュアに呆れた様子で言われ、ケイティはようやく思い至った。確かに先程、そのようなことを言われのだ。
ケイティはどう返すべきか迷ったが、すぐにジョシュアに向き直った。
「どういう意味かわかりかねます。ドールとは何のことでしょう?お話の意味がわからないので、何ともこたえられません。少なくとも、わたしはこのお屋敷のメイドです。あなたのものになることはありません」
ケイティは、はっきりとそう口にした。
あくまでケイティは、バンバー卿に雇われている、彼の屋敷のメイドだ。彼が雇い主であるということを忘れてはいけない。
バンバー卿の機嫌を損ねないよう、彼を立てたのだ。
同時に、彼の言っている意味がわからないのも確かだった。先程の行動も、何を思ってのことだったのか、わかりかねる。
ジョシュアは意外そうにケイティの顔を見つめ、ふっと微笑んだ。
「そうか、なるほど。お前名前は?」
「ケイティです」
「よし、ケイティ。お前の今の主人は、メイドに夜をともにさせ、そのぶん賃金を上げることでメイドたちを屋敷に留めていると聞く。だから、生活の苦しい、若く美しい女性が集まるのだと。ケイティも、生活のためにここへ?」
ジョシュアの質問に、ケイティはどうこたえたものかと、バンバー卿の様子をうかがった。
バンバー卿は不機嫌を隠そうともしない様子だったが、彼の視線はジョシュアへ注がれており、ケイティを見てはいない。
ケイティは微かに首を縦に振った。ジョシュアは満足そうな表情を浮かべる。
「それなら、今よりも高い賃金を貰えるとしたら、俺の元へ来るのもやぶさかではないな?」
彼の言葉に、ケイティは唖然として目を見開いた。ジョシュアはさらに言葉を重ねる。
「俺は魔法人形師だ。魔法人形は高額で売買される。つまり、そこらの貴族くらいには、俺にも財力がある。そして俺にとってケイティ、お前は、理想のドールなんだ。その美しい姿を間近で見たい。正直居るだけで十分だが、メイドとして働けるなら、家事も頼みたい。もちろん賃金は弾む。悪くはないだろう?」
なんという好条件だろう。ケイティの心がぐらりと揺らいだ。
生活費と母の薬代が手にはいるなら、今すぐにでもこの屋敷を出ていきたいのが、ケイティの本心だ。
ジョシュアの誘いに期待をするのも無理はない。
「それから。ケイティ、俺と結婚してくれないか?俺は人間に興味がなくてね。けれど魔法人形師としての立場上、伴侶が居た方がいい。全く興味のない女より、俺の理想の容姿を持ったお前を嫁にした方が、気分がいい。まあ、本当の夫婦になんてならなくていい。形だけの契約結婚ができれば満足だ。それ以上のことは望まない」
「なんですって?」
ケイティはすっとんきょうな声を上げ、思わず聞き返した。話が飛躍しすぎてはいないだろうか。
急な結婚話に、ケイティは眉間に皺を寄せる。
「待ちたまえ、ジョシュア殿。彼女はうちのメイドなんだぞ。勝手に話を進めるな!」
話に割って入ったバンバー卿は、ひどく憤っていた。
ジョシュアをキッと睨み付けると、突然ケイティを抱きすくめる。
「これは私の物だ!」
「ひっ……!や、やめてください!」
突然のことに、ケイティは全身を凍りつかせた。ジタバタと暴れるが、その度に腕の力が強まり、バンバー卿の顔が目前に迫る。
「嫌っ……」
必死に顔を背け、抵抗する。涙が滲み、吐き気が襲う。
バンバー卿は、あの時の男と同じ瞳をしていた。
「みっともないな」
呟くようなジョシュアの声が、すっと耳へと滑り込んでくる。
はっと彼の方を見たケイティは、次の瞬間には、ジョシュアの腕の中に居た。
「……え?」
何が起こったのかと頭を傾げるケイティの目に、顔を歪めたバンバー卿が映る。腕が痛むようで、顔色が悪い。
「美しいものが汚されるのは、我慢ならない」
ジョシュアを見上げると、彼は鋭い目線をバンバー卿に投げていた。
よく知らない男性の腕の中に居るという事実は変わらないのに、ジョシュアの腕の中は不思議と嫌悪感がわいてはこない。
「ケイティ、どちらがいい?あの男の元で身を売りながら暮らすか。俺とともに来るか。俺はただお前を側に置きたいだけだ。お前が望むのなら、指一本触れないことを約束しよう。悪いようにはしない。どうだ?」
耳元でそう囁かれ、ケイティの肩は跳ねる。
ジョシュアはケイティを欲している。けれどそれは、今までケイティを自分のものにしようとしてきた男たちとは、どこか違っているように感じてならない。
真摯なジョシュアの様子に、彼の言葉が嘘だと思えない。
「私は君を気に入っているんだ。はやくこちらへ戻ってきなさい」
バンバー卿が、急くように手招く。ジョシュアに近づくのが恐ろしいのか、近づいてこようとはしない。
ケイティは迷っていた。ジョシュアの言葉が本当ならば、ケイティにとって願ってもない待遇だ。
けれど彼は今しがた会ったばかりの、信頼関係もなにもない相手である。それも突然、結婚などと言い出した人物だ。
男など、いつ豹変するかわからない。嘘をついているかもしれないし、ケイティを手ごめにしようと、襲ってくるかもしれない。
もしそうなったとしても、既に覚悟を決めたこと。
(今さら誰に抱かれようと、違いはないわ)
それでも、彼は他とはどこか違うような気がして、信じてみたいという思いがわいてくる。
迷う心情を表すように、ケイティの瞳は揺れた。ジョシュアを信じてみたい気持ちと、もっと現実を見ろと警告する心がせめぎあう。
と、その時だった。魔法人形の女性と、目があった。
彼女はガラスのような――否、本当にガラス製かもしれないが、美しい瞳を柔らかく細めた。そして、まるで大丈夫とでも言うように小さく頷いてみせる。
その青の煌めきに、ケイティの心は決まった。
「わたし……」
「うん?」
「あなたのドール兼妻になります」
決意を込めてジョシュアにそう言うと、彼ははじめて白い歯を見せて大きく笑った。
「賢明な判断だ」
二人のやり取りを見ていたバンバー卿が、声を荒らげた。
「おい、勝手に決めるな!雇い主は私だぞ!」
大音声からケイティを守るように、ジョシュアはケイティを半身で隠した。彼の態度には余裕がある。
「バンバー卿。貴方、爵位を賜ったばかりの新興貴族でしたね?魔法人形は貴族のステータスだ。新興貴族であれば、権力を見せ足場を固めるためにも、魔法人形は喉から手が出るほど欲しいはず。けれど、貴方には少々値の張る買い物だったのでは?」
バンバー卿は、ぴくりと眉を動かした。
「……っ、だったらどうだと言うんだ!」
「図星ですね。もしケイティをお譲りいただけるなら、魔法人形を貴方に無料でお譲りしましょう。俺はケイティを、貴方は魔法人形をそれぞれ手に入れられる。互いに利点しかない提案だと思いますが?」
苦虫を噛み潰したような表情になったバンバー卿は、それでもちらりとケイティを見る。
「提案をのまなければ、どうなる?」
「魔法人形をもとの価格でお買い上げいただくだけですよ。ああ、でも、ケイティを譲って欲しいという俺の願いを聞き入れてくださらなかったのですから、分割ではなく一括で、この場で全額お支払い願いたい」
にやりと悪い顔で笑うジョシュアを、ケイティは肝を冷やしながら見た。
バンバー卿はといえば、顔を青くして何やら呟きながら、両手で指折り数えている。
しばらく押し黙っていたバンバー卿はぐっと顔を歪め、重々しい息を吐き出した。
「わ、わかった……ジョシュア殿の提案をのもう」
「よろしいのですか?」
「ああ」
「ありがとうございます。では、ケイティはお譲りいただきますね。そのかわり、この瞬間から魔法人形は貴方のものだ」
にこりと笑ったジョシュアの顔は、本当に満足そうな清々しい笑顔だった。
その後、バンバー卿はジョシュアに急かされ、ケイティの離職の手続きをその場で行った。
美しい魔法人形がハープを爪弾く中、バンバー卿の顔色はいつまでも優れない。
ケイティは突如として急激に変わった自身を取り巻く状況に、感情が追いつききっていなかった。
(わたし、これからどうなるのかしら?今はひとまず、旦那さまと夜をともにしなくて済んだことを素直に喜ぶべきなのだろうけれど……)
最終的には自分で判断を下したとはいえ、ケイティの意に反して大きな変化が訪れたのは確かだ。
不安を抱えたまま立ち尽くす様子をジョシュアがじっと見据えていることを、ケイティは気づかなかった。
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