第2話 魔法人形師

 その後、ケイティは先輩のメイドと共に応接間の掃除と来客の準備に追われた。

 なんでも、驚くような高価な品を買い、今日職人が持ってくるのだとか。

「旦那さまは、いったい何を買われたのかしら。わざわざ職人を応接間に通してもてなすなんて、おかしいと思わない?それともその職人が、よほど高名な方なのかしら?あなたはどう思う?」

「そうですね……」

 先輩の言葉になかば上の空でこたえたケイティは、作業する手を止めた。

 この屋敷に居るメイドは、そのほとんどが身を売っている。きっと皆、生活や豊かさのために。

 今共に仕事をしている彼女も、目を見張るような美しさを持っている。バンバー卿によって選りすぐられた美女だ。

 誰しもに事情はあれど、喜んで身を売る人間は、多くない。

 それを思うと、美しさも若さも、女であることにさえ、虚しさを感じて仕方がなかった。

 けれど彼女たちは、誰一人としてケイティのように沈んだ表情をしていない。生きるためと割りきって、そうして日々を過ごしているのだ。

 何も、生きる意味や楽しさまでもを、奪われた訳ではない。ケイティは先輩メイドを見習って、ひとときだけは彼女と共に噂話に興じることにした。




 来客の時間になると、ケイティはバンバー卿からの指名をうけ、彼とともに応接間で客人を迎えることとなった。

 一通りのメイドとしての振る舞いは習っているが、給仕の経験はまだそれほどない。

 主と客人の双方に失礼のないようにと思うと、緊張が走る。

 その上、バンバー卿とともに時間を過ごさなければならないと思うと、体がこわばって、うまく動くことができない。

「どうしたんだい?来客に緊張しているのかい?」

 バンバー卿が、労る素振りでケイティの体へとその手を伸ばす。

 咄嗟に身を退きたくなる衝動をぐっと堪え、ケイティがぎゅっと瞼を閉じたその時だった。来客の知らせがあり、バンバー卿は渋々といった様子で手を止めた。

 ほっと体の力を抜いて、ケイティは視線を落とす。覚悟は決まっていても、体はどうしても強ばり恐怖心がわき上がってくる。

(こんなことでは駄目。しっかりしないと……)

 今夜、うまく振る舞わなければならない。それを思うと、やはりケイティの心は重く沈む。

 ほどなくして、客人が応接間へと通された。

 バンバー卿の後ろで控えていたケイティは、はっと息の止まる思いで二人の客人を見る。彼らから、目を離せなくなった。

 一人は、男性にしては少し長めのダークブロンドの髪をひとつに結った青年だ。年の頃は、ケイティよりいくらか歳上といったところだろう。

 整った顔立ちもさることながら、ほのかに赤みをおびた蜂蜜色の瞳は意志の強そうな強い光を宿しており、否応なく視線を惹き付けられる。気難しそうな仏頂面をした彼は、雰囲気にも刺々しさが感じられた。

 けれど彼は、表情に似合わない仕草で後ろの女性を気遣う素振りを見せる。

 彼の後ろをついて歩く女性は、まさに美女と呼ぶに相応しい女性だった。

 癖のない明るいブロンドの髪に、小さな唇、つんと尖った鼻、愛らしいピンク色の頬に、長い睫毛に縁取られた真夏を思わせる大きな青い瞳。

 おそらく、誰が見ても感嘆のため息をもらすであろう、そんな絵に描いたような美しい女性だ。

 ケイティも思わずほぅと息を吐く。ケイティには自身の容姿の美しさへの自負があったが、彼女には到底敵わないと心底感じた。

 圧倒的な美しさに、ケイティは自分の容姿への自信に恥ずかしさを覚える程だった。

 可愛らしい、という言葉は彼女のためにあるのではと思わせる彼女は、バンバー卿に促され、青年とともに長椅子に腰かけた。

「これは……なんと美しい」

 バンバー卿の喘ぐような興奮しきった呟きがケイティの耳に届く。舐め回すような視線が彼女に注がれていると思うと、ケイティはやるせない気持ちになった。

「ようこそ、魔法人形師・ジョシュア殿。お待ちしておりましたよ」

 バンバー卿は、社交的な明るい声音を青年に向けた。

 ジョシュアと呼ばれた彼は、黙礼だけに留め、それに応える。

 ケイティはじっと後ろで控える中で、魔法人形師という言葉に、にわかに心を浮き足立たせた。

(魔法人形師……?人と見紛うほど精密な、魔法の動く人形を創るという、あの?実際に魔法人形師に会えるだなんて、夢みたいだわ……)

 ちらり、とジョシュアに目を向けるケイティ。

 彼は相変わらず明るいとは言い難い表情で座っている。対照的に、隣の女性は美しすぎる穏やかな微笑みを浮かべていた。

 魔法人形師とは、魔法道具をつくる魔法道具師たちの中でも、魔法人形という人形を創る事に特化した人々のことだ。

 魔法道具師たちは、国王陛下からの認証を受け、魔法道具をつくる人々のことを指す。

 魔法道具は高価で、滅多に一般市民が目にするものではないが、王侯貴族にとっては比較的馴染みのあるものだ。

 その魔法道具の中でも最も高価なのが、魔法人形師たちの創る魔法人形だ。

 人と変わらぬ見た目に加え、人形たちは意志疎通もはかれるという。

 言葉こそ話せないが、歌を歌う人形、ハープを弾く人形、踊りを踊る人形など様々存在し、魔法人形を買い求める貴族は少なくない。

 魔法や魔法道具など、夢のまた夢だと思っていたケイティは、魔法人形師が実在したことにすら、驚きを隠せなかった。

「ジョシュア殿。早速ですが、その魔法人形を間近で見させて頂いても?」

「構いません。彼女は貴方のドールです」

 バンバー卿の言葉に、ジョシュアは隣の女性をバンバー卿の元へ行くように促した。

(えっ!?ドールってまさか、この綺麗な女の人が、魔法人形なの!?)

 驚きの声が漏れそうになった口元を、寸でのところで手で押さる。

 ケイティは、まじまじと女性を眺めた衝動を抑えつつ、不躾にならない程度に女性を盗み見た。

 女性は何の違和感もない動きで、バンバー卿の隣へと腰を下ろす。

 けれどその手指の関節は、人のそれとは違っていた。

(あっ!球体関節……!)

 ケイティは衝撃をじっと噛みしめ、平静を装うのに必死だった。魔法人形がこれほど精巧だとは夢にも思わなかったのだ。

 人間と遜色なく、それどころかどこを探しても見つかりそうもない整った容姿は、まさにお伽噺の登場人物だ。

 憂いの全てを一瞬だけ捨て去って、夢見心地で魔法人形を見ていたケイティに、バンバー卿から急に声がかけられた。

「ジョシュア殿、お話はお茶を飲みながらゆっくりと行いましょう。紅茶は、何がお好みですかな?君、お客さまに給仕を」

「あっ、はい!」

 声をひっくり返して返事をしたケイティは、慌ててワゴンを押してジョシュアのもとへ近づいた。

 ワゴンには数種類の茶葉が並んでおり、その中から主や客人が選んだものを淹れるのが、メイドの仕事だ。

 努めて丁寧な仕草で、数種類の茶葉の容器を開けていく。

「お客さま、この中から好きな茶葉をお選びください」

 にこやかな笑みを向けると、彼は大きく瞳を見開いてケイティを見つめた。

「あの、お客さま?どうかなさいましたか?」

 ケイティを見つめたまま動こうとしないジョシュアに困惑していると、彼は突然立ち上がり、ケイティとの距離を詰めた。

 反射的に後退ろうとしたケイティの肩を掴み、もう片方の手でケイティの顔を固定したジョシュアは、至近距離でケイティを凝視する。

 既視感のある状況に、ケイティは息をのんだ。

 以前、ケイティの美しい容姿に欲情した男が、こうして襲ってきたことがあった。

 その時はなんとか逃げ出すことができたケイティだったが、ひどく恐ろしい記憶は今でも鮮明に思い出すことができる。

 無理矢理はぎ取られそうになった服をどうにか体ごと自分の腕で抱き込んで、必死に抵抗した記憶だ。

 あの時の恐怖は、どうしても忘れることができない。それと同時に、襲ってきた男の欲にまみれた瞳の色も、脳裏にこびりついて忘れることができないのだ。

(まさか、屋敷の主人を目の前にメイドを襲う愚かな人は居ないはずよ……)

 自分を落ち着かせるように内心で呟いて、ケイティは毅然とした態度でジョシュアを見た。

 視線のかち合ったジョシュアの瞳に、ケイティは息を忘れた。

 蜂蜜色が、どこまでも澄んだ光をたたえ、ひたすらに真っ直ぐにケイティを捉え、映していたのだ。

 そのとろめくような瞳に引き込まれ、ケイティは目を離せなくなった。

 美しい顔が間近に迫っていることもあり、ケイティの心臓は早鐘を打ちはじめる。顔に熱が集まるのを感じ、どうにか彼から逃れようとするが、手に力を込められ阻まれる。

 それでなくとも美しい顔が、無表情さに凄みを増している。

「えっ、ちょっと、あの……」

 しどろもどろに声を発するケイティの唇は、羞恥からか困惑からか、震えていた。

「ジョシュア殿?どうかなされたか?」

 ケイティだけでなくバンバー卿までもが訝しげに思い声をかける中、ジョシュアだけはひたすらにケイティを見つめ続けていた。

 そして、微笑とともに息をもらし、こう言った。

「お前、俺のドールになるつもりはないか?」

 ケイティは言葉の意味がうまく理解できず、呆気にとられて彼を見つめ返した。

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