魔法人形師の花嫁

哀原深

第1話 メイド少女

 誰もが皆、美しいものに魅了され、それを欲する。ごく当たり前の、人間の心理だ。

 その人間の心理の醜さを、ケイティは齢十六にして、よくよく理解していた。

 理解しているからこそ、それを利用して生き抜く選択をしたのだ。




 見上げた空は先ほどまでよりも雲が増え、青い色は隠されていてあまり見えない。

 ケイティは、干したばかりの洗濯物を気にして空を見上げた。

「何をしているの。早く行くわよ」

「あ、はい」

 慌てて返事をして、前を行く背中を追う。

 お仕着せのワンピースのスカートが、真っ白なエプロンとともにひるがえった。

 この屋敷で住み込みでメイドとして働きはじめて数日。まだ仕事に慣れないケイティは、先輩メイドについてまわり、仕事を学ぶ日々をおくっている。

「ほら、今度は応接間の掃除をするわよ。お昼からお客さまがいらっしゃるから、念入りに掃除をしろと旦那さまがおっしゃっていたの。わたしは掃除道具を準備するから、あなたは洗濯かごを片付けて、先に応接間に向かっててくれる?」

「わかりました」

 ケイティは洗濯かごを受け取ると、先輩と別れて廊下を歩きはじめた。

 かごはそれほど重くはないはずだが、ケイティの足取りとため息はひどく重かった。

 ケイティの生まれ育った家は、貧困街とても貧しい家庭だった。

 いつだってその日を食い繋ぐのに必死な貧困層ばかりが生活する街では、過酷な労働や栄養失調で命を落とす者も、少なくはない。

 だから数年前、父が仕事中の怪我が原因で亡くなったことも、仕方のないことなのだとケイティは自分に言い聞かせた。

 だが、一番の働き手を失った家庭では、普通の生活をおくることすら、ひどく困難になった。

 母とケイティは、生きるために身を粉にして働いた。

 けれど、その日の食料を確保するのもままならず、一欠片のかたいパンを分けあって食べるような生活が続いた。

 やがて母は、徐々に体調のすぐれない日が続くようになっていった。

「母さん、そんな体では働けないわ。お願いだから休んで」

 ケイティは何度も母を説得しようとしたが、母はかぶりを振るばかり。

「大丈夫よ。母さんも働くわ。でないと、ここしばらく硬いパンばかりじゃない。あなただって、温かいスープが飲みたいでしょう?パンもスープに浸せば食べやすくなるわ」

 結局、母がケイティの言葉に耳を貸すことはなかった。否、働かなければ生活が立ち行かないため、そうせざるを得なかったのだ。

 そして一ヶ月前、とうとう母が病に倒れてしまった。流行り病だ。

 峠は越したものの、母はベッドから起き上がることすら難しくなり、容態も安定しているとは言い難い。

 ケイティは、生活費と母の薬代をたったひとりで稼がなければならなくなった。

 けれど、ケイティの稼ぎではとても母の薬代をまかなえない。生活するだけで、精一杯だった。

 そんな中で、ケイティにある考えが浮かんだ。今まで、決して選ぼうとしなかった道を、選択しようと決意する。

 ケイティの容姿は、街ですれ違う人々が思わず振り返るほどに美しかった。

 そのため幼い頃から、人攫いにあいかけたり、娼館に売られかけたり、強姦に襲われかけたりした経験は、山ほどある。

 その度に父と母が、ケイティを守ってくれた。

 ケイティも自分の容姿について正しく理解していたため、両親から離れないように、一人にならないように生活してきた。

 美しいものは、人の心を欲で満たす。

 その欲から守られ、逃げてきたケイティは、その欲を利用することにしたのだ。

 これ以上大切な家族を失わないための、ケイティの覚悟だった。




「おや、君は……先日ここに勤めはじめたばかりの新人だったね」

「旦那さま……」

 洗濯かごを片付け、応接間へと向かっている最中。ケイティは前から歩いてきた男性に声をかけられ、立ち止まった。

 向かい合ったケイティの体に、男性のねっとりとした視線が這う。

 ケイティは、ひっ、と漏れそうになった悲鳴をのみこんで、息を詰めた。

 彼は、この屋敷の主でケイティの雇い主。あたりでは有名な大商人で、最近男爵位を賜った新興貴族でもあるバンバー卿だ。

 年齢はケイティよりもかなり上で、歳のためか食生活のためか、出っ張った腹がだらしなく服の布地をひきつらせている。

 身につけているものはどれも上質でひと目で値の張る物だとわかるが、ゴテゴテと着飾っている様子は、あまり品がない。

 濁った目をほそめて、バンバー卿はケイティに近づいた。

「仕事には、もう慣れたかな?」

 言葉だけは優しいが、その声音には隠しきれない下心が滲んでいた。

「は、はい……」

 身を固くしたケイティの腰に、バンバー卿の手が触れた。

 ケイティは、肌が粟立つ感覚を覚えながらも、じっと耐える。

「そうか。それはよかった。慣れてきたのなら、他の仕事も、そろそろ覚えてもらわないとな」

「他の仕事……ですか?」

「ああ」

 バンバー卿の手が、腰から少しずれ、徐々に下へといやらしく動く。

 知らず唇を噛みしめていたケイティの耳元に、すえたような吐息がかかる。

「今夜、わたしの寝室に来なさい。手ずから、しっかりと教え込んであげよう。いいね?」

 こくりと頷いたケイティを満足そうに見やって、バンバー卿はにたりと気味の悪い笑みを浮かべた。

 カタカタと小刻みに震えるケイティの肩を気軽な様子で叩き、その場を立ち去った。

「っ……」

 バンバー卿が見えなくなると、ケイティは雪崩れるように膝をおり、自身を抱きしめてうずくまった。

(これは仕方のないことよケイティ。母さんのために耐えるって、決めたでしょう……)

 バンバー卿は、好色な性格の持ち主として、よく知られている人物でもある。

 屋敷のメイドは、全て彼好みの美女が集められ、気に入られれば夜を共にする。そうして夜を共にすればするほど、そのぶん稼ぎも跳ね上がる。

 この屋敷は彼専用の娼館のようになっているのだ。

 メイドは、それでなくとも割りの良い仕事で、人気の職業だ。そこに上乗せで稼ぎが得られるのなら、ケイティにとっては願ったり叶ったりだった。

 街で花を売るより、娼館で働くより、よっぽど安定した稼ぎを得られるからだ。

 自身の身を売ってでも、母との生活を守らねばならない。生半可な覚悟ではない。挫けそうな心を奮い立たせる。

(旦那さまに気に入られれば、きっともっと稼ぎが得られる。何度も夜に呼ばれるようになれば、そのぶんだけ生活が豊かになるわ。わたしはわたしの持っている武器を、正しく使わなければならない。守ってくれる人が居なくなったのならば、自分でなんとかしなくては)

 ケイティはぐっと拳を握りしめ、立ち上がる。屋敷に来てそうそうにバンバー卿から気に入られたのは、火を見るよりも明らかだった。

(母さんと二人で生きていくために必要なことよ。これに耐えれば、生活は格段に豊かになる。今よりもっといい薬を、母さんの飲ませてあげられる。もっと柔らかくて温かい布団を、買ってあげられるかも……)

 自分に言い聞かせるように、豊かになった生活を想像するケイティ。

 けれど今夜のことを思うと、涙が溢れそうになる。

 何度も腰を這う手の感覚を思い出すたび、ぞわぞわと走る悪寒は、しばらくの間治まってはくれなかった。

 それでも、この道を選んだのはケイティ自身だ。ケイティは大きく深呼吸をして、前を見据えた。

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