第13話 〜アルト・ルソーという男〜
◇◇◇【side:エリス】
ーーボロ宿「オアシス」
「ほら、さっさと《契約》の魔道具を持ってくるなり、緘口させる魔法を発動させたりしろ。俺の考えが変わらないうちにな」
上から目線で怪しく笑うアルト・ルソー。
本当に意味がわからない。意図がわからない。
何を考え、何を目的としているのか掴めない。
――人を殺したことがある。
明らかな殺気を纏っていた真紅の瞳。肌着1枚で兄に恋している“レイラさん”に対する罪悪感で口にした。
私の勝手な都合で引き裂くことはできないからと断る理由を提示したつもりだった。
それなのに、待っていたのは真逆の言葉。
「……変人だわ」
「ふっ、変態から格上げか?」
「格下げよ」
私は憎まれ口を叩きながら《約定の指輪》を取り出すためにベッドに置いたままのポーチへと歩いた。
――纏ったり、薄く広げたり……。
確かに「魔法が使える」というものが感覚的なものなのはわかる。あのステータスの人間が魔法の有無を自覚出来ないのは理にかなっている。
でも、改ざん不可能のステータスは並以下。
あのステータスから考えるに、魔法を使ったところで多少身体能力が向上する程度。
『力』はまだまだ隠されているのだろう。
でも……、本性”は少し垣間見た気がする。
「早くしろ。あと8分だ」
彼は部屋に足を踏み入れる事なく入り口から私を急かす。
なんと自信家で、恐れ知らずで、傲慢なのか……。
この手のタイプにはよく会っている。
旅を共にしている3人……いや、あの色欲勇者と淫乱賢者はこんなタイプの人間だ。1人は剣の事しか考えていない狂人だったわね。
でも、決定的に違う事もある。
下心が一切感じられない。
聖女である私を利用しようと考える者は無数にいる。ましてや、素顔を晒してしまえば王侯貴族に目をつけられ絶対的な権力を盾に食い潰されると思っていた。
彼に素顔を晒し、人生が終わったと思った。
消えない過去と男への恐怖が私には根付いている。
私は12歳の時、父に売られた。
特殊な性癖を持つ貴族になす術もなく売られた。
――『求めよ。されば与えられん』
犯されそうになった私を女神様が救ってくれた。でも、いくら身体は治癒できても心はそうはいかない。
私はしっかりと男性恐怖症になり、当たり前のように人間不信に陥った。女性らしさを感じさせないようにサラシを巻き、“そんな気”が起こらないように素顔を隠した。
この世の全てを憎み、悲しみ、嫌悪した。
――エリス、ごめん。ごめんねぇ……。
毎日のように父に働かされ、まともに寝る事もなかった母は、自宅に帰るしかなかったボロボロの私を抱きしめ、ずっと泣き続けた。
母には感謝している。
母がいなければ私は今生きてはいない。
……この世は理不尽だ。
もう一生分働いた母に楽をさせてあげたい。
――小さくてもいいから極東風のリョカンのオカミになってみたいの!
ささやかな夢を叶えてあげたい。
――エリスが幸せになってくれればそれで母さんは幸せ。
母の幸せは叶えられそうにないから、せめて夢だけは……。その一心で、勇者パーティーへの参加を決めた。
教会でちゃんと神託を受け、【治癒天使(ラファエル)】というスキルを授かったと内外に示した。あの日、与えられた聖属性の魔法も、治癒するだけの守られる存在ではない事の証明になった。
――せめて身綺麗にしろよ、地味な女め。
――平民が聖女など笑わせる。
――聖女とは清く美しいものだ。
――貴様は聖女ではない。
私は全てに「申し訳ありません」と返す。
どこまでも謙虚で地味で、能力しか取り柄のない女を必死に演じた。
貴族という生き物が大嫌いだ。
この世の全てが大嫌いだ。
母の夢を叶え、母が息を引き取ったその時には、全てを壊してしまおう……。私にはそれだけの力がある。
憎悪を溜め続ける日々。
嫌悪を隠し続ける日々。
早くこんな世界消えて無くなってしまえばいい。
そう思い続けてきたのに……。
「おい、エリス。なぜ泣いている?」
この男は、全てを見透かしたように眉間に皺を寄せる。
「泣いて、いないわ」
「……そうか」
「ええ。おかしな人ね」
「……そうか」
「ねぇ……、息苦しいわ」
「はっ?」
「見ていたでしょう? サラシをキツく巻いていると、息苦しくて仕方がないの」
「よく言うよ……。勇者パーティー発足はお前が12の時だろ? そこから3年間の修練を経て、今が4年後だ……。7年間もずっと演じているのなら、慣れたものだろ?」
「いいえ、苦しいわ。ずっと、ずっと苦しいわ」
「……? じゃあ、取ればいいだろ? 頭が悪いな」
彼は億劫そうにポリポリと頭を掻いて眉間に皺を寄せる。目付きは悪いくせに、とても綺麗な薄紫の瞳。少し癖のある色素の薄い黒髪は綺麗に櫛(くし)が通っている。
平凡なようでいて、気品がある。
少し色白の肌に紫の瞳がよく似合う。
容姿端麗というわけではない。
でも、雰囲気がある。
彼、独特な柔らかく温かい雰囲気。
《聖眼》を解いたのは7年ぶり。
私は、いま初めて「アルト・ルソー」をちゃんと見た気がする。
パサッ……
服を脱ぎ、眼鏡を外し、三つ編みの髪をほどいた。
「サラシを取って……」
「……何が目的だ?」
「苦しいのよ。アナタが外して?」
「ふっ……変態だな」
「抱かせてあげるわ」
「……」
きっと、私は絶望する。
人間は上っ面だけの生き物であると再認識する。
そしたらまた普通に生きられる。
全てを憎み、嫌悪し、いつか滅ぼすと誓いながら。
「ぷっ、ハハハハッ!! 何に悲観している? 何をそんなに憎んでいる? 自暴自棄になって悲劇のヒロインでも気取ってるつもりか? とんだ喜劇だ」
「……えっ」
「本当に笑わせてくれる。“壊れている女”を抱いたところで何になる? 目先の快楽に溺れるようなクズだとでも思っているのか? それは俺が最も嫌悪する人種だぞ?」
彼はやっと部屋に入って来た。
ニヤリと口角を吊り上げ、心底、バカにしたような笑みを貼り付けて、ゆっくり歩きながら。
カチャッ……
腰に帯剣していた粗悪な剣を抜く。
それを私の目の前に突き出したかと思えば、音もなくスッと振り下ろした。
パサッ……!!
サラシは斬られた事を自覚する事なく引き裂かれる。状況を飲み込めない私は、急に肺に入って来た酸素に驚いている。
一切の“起こり”がない一振りに目を見開き、一切、傷がついていない胸に唖然とした。
「……2度と俺を試すな。死にたいなら自分で首を切れ」
彼は目付きの悪い顔を更に悪くして、射るように私の瞳だけを見つめる。
(ほら、やっぱり何か隠しているじゃない)
そう心では自衛するが、取られた行動は思い描いた絶望ではない。
「……死人のような女を抱くのが、それはもう大好きな変態なのかと思ったのよ」
私は必死に言葉で武装する。
彼の怒気にあてられ、私はベッドのブランケットを羽織り、ポーチへと手を伸ばす。《約定の指輪》を取り出すと共に、パシッと彼の右手の小指にはめた。
「これは?」
「《約定の指輪》よ……。“エリス・ミレイズの素顔を話す事を禁じる”」
「……素顔ってのは、曖昧だな。そのツンツンして、露出魔な性格も含めてなのか?」
「自身の魔力で合意なさい」
「ふざけてるのか? 俺の素顔を話す事も禁じさせて貰う」
「変態で傲慢で素人に毛が生えたような魔法で自分は強いと勘違いしている事かしら?」
「……いや、今後知る全てに関してだ。俺や俺の身内に関してお前が口にしていい事は全て俺に確認してからだ」
「……では、“お互いに関して勝手に他言する事を禁じる”でいいかしら?」
「ああ」
「魔力を込めなさい」
「待て待て、お前の魔道具は? これは1人に対して1つしか《約定》できない指輪だろ?」
「……1つしか持っていないの」
「ふっ……お前が詐欺師である事も秘密なんだな」
イタズラっ子のように笑う彼に言葉を失う。
ポンッ……
頭に重みを感じて顔を上げる。
「早く服を着ろ……。レイラに手を借りて“書き換える”」
「……これはもう強姦未遂ね? 私の了承なく頭に触れたわ」
「ふっ、本当に厄介な女だ」
彼はポツリと呟くと、ポワァッと指輪に魔力を込めた。
「これで、満足か? 聖女様」
「……ええ。とても満足よ、アルト君」
彼は「ふっ」と笑って部屋を出た。
「あ、安心しなさい。私には友と呼べる人間はいないわ」
慌てて声をかけたのは、「私もアナタの秘密を誰にも喋らない」という事を伝えたかったから。
なのに……、
「ふっ……、悪友なら、俺がいるだろ?」
彼はまた一つ笑顔を残して去っていった。
ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ……
うるさい。自分の心臓の音を自覚するのは何年振りになるのかしら……?
「あぁ……。私、生きているのね」
ポツリと呟いた言葉は西陽が差し込む部屋にスゥーッと溶けて消えた。
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