第4話 〜専属メイド“レイラリーゼ・ラスティン”〜



 

   ◇◇◇【SIDE:レイラリーゼ】




 ――辺境都市 アクアンガルド



 ご主人様……。見つけましたよ!



 ご主人様はポカンと口を開けて立ち尽くしていたがすぐに視線誘導を使用されたよう。レイラはご主人様を見つけた瞬間にドクンドクンッと心臓が激しく脈打ち始めた。



「“レイラリーゼ”……。本当にアルト様がここにいるのか?」


 

 小声で狼狽えるオーウェンなんて気にも止めない。レイラの瞳が、ご主人様の色素の薄い黒髪と薄紫の美しい瞳を見間違うはずがない。


「き、聞いているのか? アルト様はもうここにはいないのではないか?」


「落ち着いて、オーウェン。そこにいるから」


「み、見つけていたのか……? ど、どこに!?」


「入り口とは逆に“紛れてる”。オーウェンは入り口で待ってれば?」


「いや、どこにおられるのだ? 早く教えてくれ……!」



 決闘に勝ったらしい“ジル”と呼ばれる美少女は「おい、起きたらどう? “グリード”……」と倒れているスキンヘッドの男に歩み寄り、周囲はそれを見て、また騒ぎ始める。


「おお! 2回戦目か!」

「やれやれ! 次はジルに10000J(ジュエル)だ!」

「ばか! グッさんはこっからが強いんだよ!」


 その群衆に紛れてやり過ごそうとしているご主人様。死角に入られ、ふっと姿が消えてもレイラにはわかる。



「レイラリーゼ……。ど、どこだ? ア、アルト様……」



 オーウェンはキョロキョロと周囲を見渡す。

 ご主人様に口うるさく仕込まれたレイラ達は、目立つ事を良しとしない。元暗部のオーウェンより、レイラの方が気配を消すのは上手い。


 視線誘導(ミスディレクション)もご主人様のように使いこなせてはいないけど、使えないわけじゃない。



「オーウェン……。うるさいから、とりあえず出口で待ってて」


「えっ、あ、……おい……」


 レイラはオーウェンに一言残して群衆に紛れた。


 ご主人様のやり方は知っている。

 チラリと見えた色素の薄い黒髪。

 可愛らしい寝癖に頬が緩んでしまう。

 


(……やはりレイラが必要なのですよ? ご主人様)



 レイラはご主人様との鬼ごっこを開始した。

 捕まえるのも時間の問題……。レイラに視線誘導は効かない。


 レイラはご主人様しか見えてないんだから。



    ※※※※※




 3日前、レイラは屋敷に残っていたご主人様の剣とサイフを手に取り、入れ忘れていたらしい簡易鎧を見つけて、



「ふふふっ、仕方ないですね。まったく……」



 思わず笑ってしまった。

 


 ご主人様はレイラがいないと何も出来ない。

 ものすごく優秀なのに、身の回りの事はかなり抜けている。


 掃除をしようにも更に散らかすだけ。

 料理をしようにも味より質の事ばかり。

 

 きっとそこにこだわっている暇がなく、頭の中を無数の知識と目的達成までのプロセスが占領している。


 だから、忘れ物癖が直らない。


 オーウェンや他の使用人たちは、ご主人様が神様か何かだと思っているのも知っているし、それも理解もできる。


 でも、レイラにとっては“ご主人様”。

 神様だなんて、いやなのだ。

 理解はできても、絶対にレイラが認める事はない。


 



 ――その女の子、俺が買いますよ。



 レイラがご主人様に買われたのは10歳の頃だった。


 奴隷商に売られ、首輪をつけて街を歩かされていた時だ。鞭で打たれて身体中にアザを作り、殴られて顔なんてぐちゃぐちゃだったレイラをご主人様が買ってくれた。


 レイラは、まさか同い年の男の子に買われるなんて思っていなかったし、親に3万J(ジュエル)で売られたレイラに、100万J(ジュエル)なんて大金をポンッと払えるなんて信じられなかった。


 身なりも平民と変わらない。

 住んでいる家もボロボロ。お母様である“シエル様”と2人暮らしの、なんの変哲もないごく普通の少年。


 色素の薄い黒髪に薄紫の綺麗な瞳。

 少し目つきは鋭く、気だるそうな雰囲気を醸し出してはいても、照れた時には口を尖らせてそっぽを向くような可愛らしいお方。



 ご主人様はどこか“おかしかった”。


 早い話、ご主人様は天才だったのだ。


 薬を開発しては製造法を売りに出し、お金を稼いでいた。まだスキルも授かっていない8歳の頃からだというのだから、天才という他ない。


 でもそれは、日に日にやつれていくシエル様のために他ならなかった。魔法陣の研究も、製薬も、お金稼ぎも……。全てがシエル様のため。


 ご主人様はシエル様のために朝から晩まで本を読み、夜通し薬を作っているような優しい人だ。



 シエル様はというと、病弱でもいつも元気いっぱいに笑う人。とても綺麗で優しくて温かくて、本当にお日様のような人だった。


 醜くボロボロのレイラをなんの躊躇もなく抱きしめて、「偉いね、アル」とご主人様の頭を撫でるような、そんな素敵な方……だった。



 ――“レイちゃん”。私が死んじゃったらアルをよろしくね?



 でも……、シエル様は亡くなってしまった。

 いや、殺されてしまった……。


 ご主人様が、“生かす事で地獄を見せる”と決めたなら、それでよかった。でも、それももうお腹がいっぱいになったなら、レイラが我慢出来るはずもない。


 ご主人様を苦しめ、シエル様を奪ったウジ虫。


 息をしているだけでレイラは許せなかった。



 ご主人様の事だ。

 きっとレイラがウジ虫を殺すことも知っていたはず。レイラにも、復讐を残してくれていたって事もわかってる。



 ご主人様は完璧で天才だ……。


 でも、ご主人様はご主人様が思っている以上にポンコツなの。それを知っているのはレイラだけ。誰よりも長く仕えているレイラしか知らない。


 シエル様の最期も……。

 ご主人様の苦悩も後悔も絶望も……。

 


 完璧な人間なんていない。

 完璧である必要がある人間なんていない。


 

 レイラは他の使用人たちとは違う。

 皆んな勘違いしすぎてる。


 レイラはただご主人様に昔のように笑っていて欲しいだけ。誰よりも頭が良くても家事ができないご主人様のそばに居られればそれでいい。



 もう、ご主人様の“作り笑い”は見たくない。


 

 だから……。



『お前には才能がある。アーグリッド伯爵家の養女になって自由に生きろ。今まで世話になった』



 あんな手紙は読まなかった事にします。



 ――俺が留守の間、母さんの看病と家事をしろ。別に辞めたくなったら辞めてもいい。



 これが、ご主人様からの最初で最後の命令。

 いや、「飯は一緒に食べろ」が最後ですか? 


 ううん。あれはご主人様の優しさ。

 命令されたのは最初だけ。



 レイラはご主人様のもの。

 これからも、この先もずっと……。


 ご主人様……。

 レイラ、少しも辞めたくないから来ちゃいました。


 何も出来ないご主人様の身の回りのお世話は、レイラの一生の仕事なんですよ? レイラを置いていくなんて出来ると思いましたか?




    ※※※※※





「優しさが仇になりましたね、ご主人様……」



 レイラが【錬金術】で作ったものには、マーキングした魔石がついている。


 ご主人様の居場所を見つけるのなんて簡単。


 こんなにもレイラを虜にして、手紙一つでさよならなんて許せませんよ?



 レイラはご主人様の後ろ姿を追う。

 冒険者ギルドの中は騒がしいのに、レイラたちは誰にも不審がられない。


 まるで2人だけの世界になっているかのようだ。



 スッ……



 追いかけていたご主人様の黒髪が消える。

 してやられた事はわかっていても……、



 フワッ……



 ご主人様の香りを間違うレイラではない。視界に捉えているわけじゃない。


 でも、そこにご主人様はいる……。



 ガシッ……



 レイラは視認する事なく手を伸ばして気配を掴む。



「……はぁ〜……。なんでいる?」



 掴んだ先には頭をポリポリと掻きながら苦笑するご主人様。



 ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ……



 その薄紫の綺麗な瞳には真っ赤な顔をして泣き出しそうなレイラが写ってる。


 あぁ。レイラ……。

 悲しくて寂しくて、泣いちゃいそうだったんだ……。


 やっぱり、レイラの感情が動くのはご主人様の前だけ……。やっぱり、レイラはご主人様の横でしか生きられない……。



「……ご、ご主人様、捕まえました」


「……たくっ。泣くな、バカ」



 イタズラっ子のように笑って涙を隠そうとしたレイラに、ご主人様はレイラの頭をポンッと優しく撫で、レイラが掴んでいた手をグッと握り直す。



「とりあえず、出るぞ……」



 ご主人様が優しく手を引いて下さる。


 ――ほら、来いよ……。


 ボロボロのレイラを買い、優しく家に連れ帰って下さった時がフラッシュバックしてしまった。



「ぅっ、うぅ……」



 涙が止まらない。


 手を繋げて嬉しいのか、これから何を言われるのか不安なのか、ただ単純に安堵したのか……。


 この涙の理由はわかってる。


 狂いそうなほどの恋心がレイラをおかしくさせてるだけ……。



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