第6章 心の隅っこに、朧げに

2021年 7月15日、市内病院にて


「――誠に申し上げにくいのですが、息子さんは

、息子さんは...」

母さんが泣いている。父さんもぐっとこらえている。――ぼくの、せいだ。


ぼくは村神セイタ《むらかみせいた》、8さい。半年くらい前に学校で体調をくずしてから、今日までずっとこの病院に通ってた。ぼくの担当の高石先生は、人見知りのぼくにも優しく話しかけてくれるし、遊んでくれるし、ぼくの大好きな先生なんだ。ぼくは高石先生と会って、初めてちゃんとした自分の夢を持った。...お医者さんになりたいって。学校の勉強はちょっとむずかしいけど、お医者さんになりたいって思ってから、ちょっとずつ分かるようになってきた。...気づけば、ぼくの成績はがくんと上がり、テストでは100点満点、クラスで1番を取れるようになった。勉強が楽しいって思えた。夢のために、辛くても、苦しくても、もうちょっとがんばってみようって思えた。希望を見つけた。先生は、ぼくのいのちの恩人なんだ。...だけど、ぼくは、とうとう...


「息子さんは...ライソゾーム病です。肝臓が大きく腫れています。骨にも異常が見られています。...この病気は国の指定難病であり...」

「ライソゾーム病...国の指定難病...信じられません!先生、息子は…セイタは、助かるんですよね?また、元気に勉強できますよね?...まだ、セイタのお医者さんになりたいっていう夢を、諦めなくても...いいんですよね?そうですよね!?」

母さん、お願い、やめて。

「お母様...誠に残念ながら...もう手遅れでしょう。私もできる限り手は尽くしましたが――」

「馬鹿野郎!このヤブ医者が!"私もできる限り手は尽くしました"...じゃねえんだよ!クソ野郎が!セイタがどんなに痛い思いをして、辛い思いをしていたか...分かってんのか!?」

「父さん、もうやめて...先生は――」

「そうよ!セイタにはまだ、生きる権利があるはず。...それを貴方たちなんかに踏みにじられた。貴方たち医師は、セイタの気持ちを、セイタのいのちを...分かってない。」

「お2人のお気持ちもよく分かります!ですが今は!落ち着いて私の話を聞いていただけますか!?」

あんなに優しい高石先生も、今日は、ちょっとこわい。...ぼくのために、ぼくだけのために、どうしてそんなにどなれるの?...やっと静かになったこの空間には、ジメジメした空気が、おもちゃ箱みたいにぎゅうぎゅう詰めになっていて、なぜかすごく気味が悪かった。


「はっきり申し上げます!息子さんは...セイタくんは...長くてもあと2年しか生きられないのです。余命2年です。」

母さんのすすり泣く声。父さんの静かな舌打ち。...ぼくは、この星を、残り2年で旅立たなきゃいけない。この日、ぼくは初めて知った。...父さんも、母さんも、こんなぼくをここまで育ててくれた、大事な人。きっと2人も、ぼくのことを大事に思ってくれてるに決まってる。愛してくれてるに決まってる。でも。

「...父さん、母さん。もう、いいよ。ぼくのことは。...ぼくは残り2年のぼくの人生を、楽しく終わらせたいんだ。ね、いいでしょ?大丈夫。ぼく、今こーんなに元気だから!...ね?」

それでも、父さんも母さんも、口を閉ざして下を向いたまま、何も言わなかった。...なんで?

「セイタ...」

「...」


...せめて、サヨナラの前に、何かできたらよかったのに。父さんも母さんも、ぼくと高石先生に背を向けて部屋を出ていってしまった。世界で1番あっさりな、永遠の別れだった。...今思えばぼくは、小さなころから父さんと母さんにしばられていた。勉強も、運動も、友だちも、遊びも。学校のテストで100点をとっても、かけっこで1位になっても、父さんも母さんも、ぼくをほめることはなかった。何も言ってくれなかった。...ぼくが"お医者さんになりたい!"と言ったとき、"セイタならなれる"と背中を押してくれたお父さんはどこ?ぼくが困ったとき、"お母さんが付いているわ"と抱きしめてくれた母さんはどこ?...きっと父さんは、背中を押してぼくを突き落とそうとしたんだ。母さんは、ぼくを抱きしめるんじゃなくて、ただぼくがどこにも行かないようにしばりつけてただけだったんだ。...まだぼくも信じられていないけど――ぼくの父さんと母さんは...ぼくの病気が分かったとたんにぼくを捨てたんだって、しばらくしてやっと分かった。


それからというもの、ぼくはずっと病室のベッドで天井だけを見上げる生活を送っている。余命2年、か。人生のカウントダウンの音が、ぼくに迫っている。――まだ死にたくない。ぼくは、高石先生みたいな、りっぱなお医者さんになるんだ。そしてぼくが無事にお医者さんになれてお金持ちになったら、麻子姉ちゃんのコーヒーをたくさん飲んでやるんだ!ぼくのお金で!...麻子姉ちゃんも、ぼくの命の恩人だよ。父さんと母さんにはナイショにしてきたけど、学校帰りに麻子姉ちゃんのところに寄り道して、面白いおじさんたちといっしょにコーヒーを飲んだ時間が、ぼくの1番大好きなひとときだったんだ。


「――おはよう、セイタくん。今日は調子、どうかな?」

ああ、高石先生。ぼくは先生に、あと何日で会えなくなってしまうんだろう。

「...おはよ、先生。」

「...ねえ、どうしたの?セイタくん。何か怖いことでもあった?先生には、不安そうに見えるんだけど...」

やっぱり、先生は変わらず優しいな。いつもぼくのことを考えてくれる。ぼくを心配してくれる。...なのに、ぼくは先生に何も返せていない。ねぎらいの言葉もかけてあげられない。

「...ううん。大丈夫だよ、先生。でもちょっと寝不足かも。昨日眠れなかったんだ。」

「そっかぁ...」

そう言って先生は病室を出た。でも、すぐに戻ってきた。


「そういえば、セイタくん。今日は月に一度のお見舞いの日だね」

月に一度のお見まい。みんななら、きっと父さん母さん、そうじゃなくても家族の人が来てくれるよね。...でも、やっぱりぼくは捨てられたんだ。こんなぼくのお見まいなんて誰も来ない――はずだった。


「今日来るのは――ん?星太くん。この人、知ってる人?」

そう言って、高石先生はぼくに1枚の紙を手渡した。

「うーん...ん?」

「ほら、ここ。水瀬――麻子、さん?って、星太くんの知り合いの人?」

「...み、水瀬麻子!?も、もしかして、麻子姉ちゃんが来てくれるの!?」

麻子姉ちゃんが、来る。父さん母さんよりも、あたたかくて、愛おしくて、ぼくを包み込んでくれる存在が、来るんだ!

「うん...麻子姉ちゃんって言うくらいだから、よっぽどセイタくんが大好きな人なんだね。」

返す言葉が見つからなくて、ぼくはへへっと笑って返した。先生はぼくの机に朝ごはんのシチューを静かに置くと、病室を後にした。...楽しみだなぁ。また麻子姉ちゃんに、会えるなんて。お腹がペコペコだったわけじゃないのに、今日はやけにスプーンがよく進んだ。キライな点滴注射も、なぜか今日は乗り切れた。たくさんのお医者さんにほめられた。...麻子姉ちゃんに会えるなんて、夢にも思わなかったんだもん。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る