第5章 悶える光に、1杯のコーヒーを

2023年 8月5日、カフェコメットにて


「――そうねえ、どこから話そっか。」

麻子さんはコーヒーを煎れながら、何か都合の悪いことを思い出すように、静かに話し出した。...まるでいつもの調子じゃないみたいだけど。

「実はココ、といってもちゃんとしたお店になる前の話だけど、私のコーヒーを飲みに色々な人がやって来てたんだ。性別も年齢も国籍も関係なくみんなで揃って、世間話でもしながらワイワイ飲んでたんだけどさ...」

壁のステンドグラスがきらりと光る。気がつくと、私は唾を飲み込んで麻子さんの話に真剣になっていた。

「その連中の中に、ちっちゃな男の子がいたんだ。ちっちゃいのに私のコーヒーが大好きで。ちっちゃな手でカップを持って角砂糖を入れたりして、ちびちびコーヒーを飲む姿がもう可愛いのよ。口の周りをびちょびちょにしながら、"おばさんのコーヒーおいしーね!"ってニコニコしてたのを、昨日の事のように覚えてるよ。"おばさんじゃない、お姉さんでしょ"って、おでこにデコピンしちゃったりして...あぁ、懐かしいな。」

ニンマリと微笑みながら話していた麻子さんに、突然影が落ちる。


「...でもある日、その子は突然私のところに来なくなっちゃったんだ。なんでかは分かんなかったけど。みんな心配してたよ。だってその子、ちっちゃくってかわいい、うちの連中のアイドルだったんだから、そりゃみんなパニックになっちゃって。暴れ回るやつもいた。」

「そんなに?大袈裟すぎない?」

「いや、これは結構ガチの話。...珍しいでしょ?私がこんなガチな話するなんて。」

...確かに、あの麻子さんが、いつもおちゃらけていて、店員やお客さんにちょっかいを出しまくっている変人が、まさかこんなにも真面目な話を繰り出すなんて、私は思ってもみなかった。

「...麻子さん」

「ん?なあに?」

「なんでその子は来なくなったのか、麻子さんは分かってたの?」

「あー...」

麻子さんは言葉を濁す。なんで?いつもの麻子さんはこんな人じゃないのに。

「...もしかして、言えない事情がある感じ?」

「あ、いや、そうじゃなくて。...ちゃんと話せる。大丈夫。陽菜ちゃん、聞きたい?」

聞きたくても、たとえ聞きたくなくても、もうどうでもよかった。前まではあんなに気持ち悪いと思っていたのに。いつの間にか、その気持ち悪さなしに生きていくことが出来なくなっていた。私は麻子さんの話に、恐る恐る耳を傾けることにした。


「その子、まあ、村神セイタくんって言うんだけど...聞いたところによると、ご両親がすごく厳しい人だったらしいの。教育熱心で。...だからなんだって思うよね。私もそう思ってた。」

「どういうこと...?」

理解が追いつかなかった。ムラカミセイタ...。一体何者なんだろう。

「実はセイタくん、うちに来なくなってから駅前の病院に通院してたらしいよ。小学校で倒れたあと、救急車で運ばれて。...その時は大きな病気は見つからなかったけどね。」

麻子さんは眉を下げて、私にコーヒーを手渡した。"星屑とブラックホール"。ポトっと落とした角砂糖が、コーヒーの闇にキラキラと吸い込まれていく。

「病院に通うようになってから半年が経ったとき、初めてセイタくんの病気が見つかったの。治すのがとても難しい難病だったんだって...本当は私は今も受け入れられそうにないんだけどさ、セイタくんは...いや、セイちゃんは...」

驚いた。麻子さんが泣いた。あまりの衝撃に私はパニックになって、

「ま、麻子、さん...?」

「セイちゃんは、セイちゃんは――」


その時だった。突然ガラガラとドアが開いた。そこには小さな少年が、星の髪飾りをつけた少年がいた。正確には、立っていたのではなく、座っていたのだが。...車椅子に。

「...麻子、姉ちゃん?」

麻子さんの瞳孔が開いた。

「...え、う、うそ...セイ、ちゃん...!」

セイちゃん...もしかして、ムラカミセイタのこと?

「ね、姉ちゃん。ビックリするよー。あんまりドタドタ駆け込んだら、心臓止まっちゃうよー!」

「...あの、その子は...?」

「あぁ、この子?...セイちゃん。さっき言ってた、村神セイタ。」

いきなりの展開に頭がこんがらがった。どういうこと?麻子さん、もしかして会話の対象を呼び出す能力でも持ってるわけ?

「うわぁ...久しぶりだなぁ、ココ。うわっ、ステンドガラスきれ〜い。麻子姉ちゃんも変わらずおばさんだし!」

「こら!おばさんじゃなくて、お姉さんでしょ!」

「へへ〜」

...これが、ムラカミセイタ?麻子さん似で変なものが好きそうなこの子が?別に悲劇的に語られるような子でもないはずだけど。


「ってかセイちゃん、病院は大丈夫なの?危篤だって前に先生から聞いたけど。」

「ん?...あー、それなら大丈夫!きのう先生がね、外の空気を吸ってきてもいいよって言ってくれたの!」

「危篤にしては元気じゃん。どうしたの?」

「元気になったから外に出てもいいよって言われたんじゃん。高石先生優しいもん。...ぼく、外に出てもいいって言われたら、真っ先にココに行くつもりだったもん。」

「そう...。それは嬉しいな。」

麻子さんとセイタくんの談笑をただただ眺めていた私は、何をすればいいか全く分からないままだった。


「...うん?あのおだんご頭のお姉ちゃんは?」

私だ。確定で私だ。

「あ、あぁ、私?私は――」

「向坂陽菜お姉ちゃんだよ。うちの最終兵器。」

「え、あ、いや、最終兵器って何!!??」

「へぇ〜。最終兵器かぁ。お姉ちゃん強いの?」

んなわけないでしょ。私なんてただのボロボロJKなんだから。

「こんにちは!陽菜ちゃん!」

「ひ、陽菜ちゃん!?ちょ、ちょっと...いきなりこんな子にちゃん付けされたらもう...」

「陽菜ちゃん顔真っ赤っか〜」

「え、ちょ、なに!?」

突拍子もない言動、人懐っこさが常人の域を超えている。


「ってなわけで姉ちゃん、いつものやつお願ーい!」

「あー、"星屑とブラックホール"ね、了解。...あぁ懐かしい。久しぶりだなぁ。この感覚。」

星屑とブラックホール...ココに初めて来た時に飲んだ、アレ?アレ、セイタくんも飲んでたの?麻子さんはコーヒー豆を挽きながら、いつの間にかリズミカルな鼻歌を奏でていた。


「...ねえセイちゃん、良かったら...っていうか良いわけがないんだけど...陽菜ちゃんにも話してほしいんだ。星ちゃんの話。お願い。」

麻子さんからのお願いを聞いたせいたくんは、ちょっと物憂げに見えた。俯いて、目を逸らして...でも、意外とあっさり承諾してくれた。こんなにあっさりな話なら、麻子さんは泣かないはずなのに。

「...わかった。姉ちゃん、ぼく、話すよ!ぼくの話。陽菜ちゃんもよかったら聞いててね。」

それから、せいたくんの話が始まった。まだ10歳だってことが信じられないほど、話し方が大人びていた。

「...実はぼく、これまでずっと病院にいたんだ。たくさんの管が体につながれてた。たぶん、ぼくは重い病気なんだったんだろうね。それでね――」

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