第二話 溜息と女子高校生(その四)

 やかましいと語気を荒げ腕を掴もうとするものだから、それはスルリとかわして逆に襟首を掴んで引き絞り、そのまま片手で持ち上げた。気道を締めて宙づりにすれば簡単に息は出来なくなる。足をバタつかせ悶え始め、顔が見る見る内に赤くなっていった。

 梯子に登った最初の一人が慌てた様子で飛び降り駆け寄って来た。振り返る必要は無い、気配で直ぐにそれと知れるからだ。吊り上げていた彼を振り向きざまに放り投げてやると、どしんとぶつかり二人まとめてコンクリートの上にひっくり返った。どちらかが頭でも打ったのか、ごつんと鈍い音がした。

「わざわざ脅さなくても誰にも言わないから安心なさい」

 そう言って二人を置き去りにすると校舎の中に戻った。何処にでも居る輩だ。些細なプライドが自身の存在意義だと勘違いをしている、狭量で哀れな子供たち。いちいち相手にしていてはきりが無かった。

 あたしも以前はあんなだったのかな。

 いま目に見えている世界、耳に聞こえてくる様々な噂話。この手で知り得る事柄と、日々を過ごす自分の周囲だけが世の中の全てだと思っていたあの頃。それは随分と遠い昔の話だ。深い霧に包まれた風景を見るかのようで、もう容易く思い出すことが出来なくなっていた。

 色々とやれやれだと思う。

 あの頃から少しでも進歩というモノは在ったのだろうか。


 下校時刻になりアパートに帰ると、まるで見計らっていたかのようにスマホが鳴った。上司からで監査官からの連絡を受けて仕事の完了を確認したという。だが追加業務が発生したと告げられた。よもやと思えばやはりで、ナリ替わりが居るかも知れないからしばし監視をしろと言う。

 ああそう言えば「彼女」のことはまだ報告していなかった。どうしようかと迷っている内に一方的に業務命令を告げられ、一方的に切れた。切れたスマホの画面を眺めながらかけ直すか惑い、まぁいいかと思い直す。別に実害が在る訳でもない。仮に何某かがあればその時に対処しようと思った。

 ただ、アレを発見した時には報告の義務が在ったような気がしたが、どうだったろう?

 スマホを切るとデコピンがまた、じっとこちらを見つめていることに気が付いた。

「別に他意がある訳じゃない。向こうが何も聞かずに話を打ち切っただけの話だよ」

 言い訳をしたのだが、そんな事は端から興味は無かったとばかりに欠伸をするとそのままそっぽを向いて昼寝の続きを始めた。じっと様子を伺うのだがそれ以上何かをする素振りも無かった。

 張り合いの無い奴め。

 やはり猫は猫だなと軽く息を吐き出すと、その場で制服を脱ぎ散らかして風呂に入る準備を始めた。


 件の理由からこの学校にも長く居る羽目に為ったが、別に長期滞在はコレが初めてという訳でもない。

 あまりコロコロと居住地を変えるのも好きじゃ無いが、顔見知りがやたらと増えるというのも居心地が悪かった。誰も居ない場所で引っ越しもせず、何の邪魔も入らずに仕事が出来ればそれがベスト。なのだが残念ながらこの世界にそんな都合の良い職場など存在しない。

 在るとすれば天国くらいだろうか。或いは夢の中にならそんな世界が在るのかも知れなかった。

「とは言いつつも、今見ているこの現実が実は夢かも知れない。そう云ったのはカフカだったっけ。当ってる?」

 相も変わらず、ただひたすら惰眠を貪り続けているほぼ真っ黒な白黒ブチの猫に声を掛けるのだが、返事は無かった。

 本日は良い月が出ているので月見酒と洒落込んでいた。

 人目に着く場所でJKさまが酒盛りをする訳にもいかない。だからアパートの屋根に登って、冷蔵庫に残っていた最後のストックのビールとつまみとを持ち出しての一人宴会であった。タンクトップに下着一枚というラフな格好だが、こんな夜更けにこんな場所を見咎める者など居やしまい。たとい盗み見するヤツが居たとて騒がれるのでなければ問題は無く、勝手にしてくれどうぞお好きにという気分だった。

 本当に良い月だった。満月だろうか、或いは十六夜いざよいか。もしかすると十四夜なのかもしれない。何れにしても白い月窓からこぼれる蒼い光が心地よかった。

 これだけの月を一人で見るのは勿体なくて、誰かとシェアしたいと思った。だがまさかクラスメイトを呼び出す訳にもいかない。ならばこの傍らでうずくまる毛むくじゃらな相棒はどうだろう。ビールも飲むというのなら分けてやっても良かった。

 試しにお椀へ少し分けて差し出したのだが興味を示す素振りも無かった。それどころか臭いを嗅いだあとに後足で砂をかけるジェスチャーをしやがった。腹の立つヤツ、所詮畜生は畜生だなと思った。

 猫は柑橘類を嫌うから、炭酸もその類いでダメなのか。

 しかしそれでもキサマは生粋の猫でも無いのだから、少しは礼儀というか空気を読め。飲めないのなら飲む素振りだけでも充分だろう。分かっているのかこのヤロウと説教したら、夜陰で丸くなった瞳孔でちらりと一瞥した後に、ぷいとそっぽを向いただけだった。にゃあともみいとも鳴きやしない。その無関心ぶりがまた腹立たしかった。

 今回の仕事は早く終わりそうだと思っていたが何のことは無い、この調子では何時もと変わらぬ期間滞在することになりそうだった。

 確かに早々に一つの仕事を終えて次の赴任地に赴いたとしても、やはり同じ事の繰り返しでしかない訳で、先行きを急いだところで何かメリットが在る訳ではない。ただ顔見知りを余り作りたくは無いという、只それだけの理由だ。

「そして長らく同じ場所に滞在していると、こういう思わぬ懸案事項も舞い込んでくる訳だよ。分かるかねデコピンくん」

 そう言ってタンクトップの襟元から一通の封書を取り出して、胡乱げな眼差しで見つめるほぼ真っ黒な白と黒のブチ猫に見せつけるのだ。それは今日帰りしな下駄箱の中で見つけたものだ。

「今時直の告白では無くて、懸想文ラブレターとはまた古風な」

 中身を読んでみれば一目惚れという事らしいのだが、どうにも反応に困る。丹念で誠実そうな文章には好感が持てた。実名とメアドまで併記されているから悪戯やおふざけというつもりでも無いらしい。が、それ故にどう対処してくれようと思案する次第だ。

「さてどうしましょうかねぇ」

 先日のような阿呆相手なら軽くあしらえば済む話だが、コレは如何なる対処が適当か。振るのは既に確定事項だがモノには言いようというものが在るだろう。どうせ仕事なぞ既に九割がた片づいている。後学の為にも本来のJKってヤツを演じてみるのも一興かもしれなかった。

 取り敢えず明日一回会ってみるかと思い、げふ、と夜気の中へアルコール混じりの息を吐いた。

「あ、ひょっとして酒臭かったらマズイのだろうか」

 相談とも独り言ともつかぬ物言いだったがデコピンは隣で大欠伸をカマしている。

 白い月は何も言わず空に浮かんでいるだけだった。

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