第二話 溜息と女子高校生(その三)

 左腕の表示を確認してみる。だが昨日のままだった。まだあの上司は報告書に目を通してないようだ。或いは単純に忘れているのか。

「随分と立派な腕時計ですね。ダイバーズウォッチですか?」

 その趣味があるのか興味深々といった面持ちだった。

「何言ってんの、これはカウンターだよ。あたしの腕に埋め込まれた残刑表示器。むしろあたしをつなぐ首輪を言った方が正しいけどね」

 ダミーのベルトを取り外し、手首に直にめり込んでいる文字盤を模した表示画面を見せてやった。

「受刑者のあたしが逃げ出さないように監視するツールでもあるわ。GPSと連動させてね。連中を始末して、一連のお仕事を片付ける度にあたしの刑期が短縮されていくって仕組みよ。それがあたしへの報酬って訳。ボーナスが加算されれば更なる刑期の短縮か、金銭の報酬かとを選ぶことが出来るわ」

「じゅ、受刑者?」

「あなたホントに何も聞いてないのね。研修所で何勉強してきたの。あたしらみたいなヤバいキワモノ仕事やってる連中が、真っ当な公僕な訳ないでしょう。防衛省だの内調(内閣調査室)だのから分断されて、公安の所轄になっている分まだマシかもしれないけれど」

「あの、いったい何があったんです」

「その質問は仕事に必要なコト?あたしも人のこと云えないけれど、初対面の者を相手にあなたもなかなか不躾よね」

「す、すいません」

「ま、いいんだけどさ。イケズなコトをやらかした人間は相応の罰を受けるってこと。あたしもまだ当分はコイツから手を切ることが出来ないわ」

「まだ沢山?」

「そうね、まだ刑期は二百年以上残っているわ」

「二百!」

「懲役や禁固で犯罪者の罪を償わせ云々は分かるけれど、刑期を使役量で推し量って減刑だなんて司法も何もあったもんじゃない。法治国家が聞いて呆れるわ。気を付けなさい。この国の為政者はあなたが考えている以上に陰湿で、執拗で、エゴイスティックよ。間違ってもヤバいコトに手を出すような真似はしない方がいいわね」

 そう云ってあたしは、にやっと笑ってやった。


 蔦のようにうねる濃いくせっ毛の女生徒は、昼間の校舎の屋上で暇を持て余していた。

 給水塔の上であぐらをかき、ぼんやりとよく晴れた青空を眺めている。足元から何処ぞの教室で行なわれている授業の講釈が漏れ聞こえていた。多分自分のクラスの授業だろう、と見当をつけた。五限目は国語だった筈で、声だけは威勢の良いあの初老の耄碌もうろく教師は、時折意味も無く生徒に突っかかりながら退屈な構文解説を繰り返している。

 晴れた日のこの場所は風通しが良くて気が向くその都度に訪れた。特に授業中が良い。邪魔が全く入らないからだ。だが授業に遅れる、付いていけないなどは有り得なかった。

 これでいったい何度目の高校一年生だというのか。

 この地区の教科書など目を瞑ってもそらんじる事が出来る。英語歴史国語は云うに及ばず、物理や数学など公式の書かれたページすら暗記しているのだ。別の地区に移って教科書が変わったとしても変化などは訪れない。ちょっとだけ構成だの文章だのが違うだけで内容はほぼ同じ。退屈するなと云う方が無茶だろう。

 そんな訳であたしは最低出席日数に抵触しない程度によく自主休講を決め込むのだが、お陰で訳を知らされていない教師達には目の敵にされている。

 サボリにサボリまくるわりに成績は決して悪くはなく、やもすれば容易く上位に食い込む試験内容だからだ。点数を取り過ぎれば些か目立つので、所定の正解を書いた後は白紙で出すこともしばしば。なので心象は甚だ芳しくなく、呼び出されて説教を受けることもまたしばしばだった。

 曰く何故もっと本気に為れない、曰く真面目にやればもっと伸びる筈、曰く今から手を抜いていると本気の出し方を忘れてしまうぞ等々。中には何か悩み事でもあるのか先生で良かったら相談に乗るぞと本気で心配する教師も居るが、正直余計なお世話だと言いたかった。

 心配してくれるのは有り難い。教師足ろうとするその心意気も立派だと思う。だが何の益にもならぬ苦労だぞと、そう口にして言ってやりたかった。熱心なのは構わないがその情熱は他の生徒に向けてくれ、あたしなんぞに拘わっても貴重な教師生活を無駄にするだけだと忠告してやりたかった。人が生きている時間は限られているのである。

 此の身は延々と女子高校生を繰り返すだけの存在。歳を経て成長し、平穏で在り来たりな人としての人生を送る機会など決して訪れない。それは既に決定事項だからだ。覆される事など有り得ない、否、在っては為らないからだ。

 しかしそれを教える訳にはいかなかった。

「やれやれ」

 青空に向けて溜息をついた。

 せめて次の派遣先では二年生か三年生にしてくれんもんかね。そうすれば少しは目新しさがあるものを。根本的解決には為らないが、気晴らしくらいあっても良いのではないか。

 そう思うのだが上司の方針は変わらない。クラスメイトは一年生の方がスレてはおらず誤魔化しや取り繕いがし易かろう、不測の事態に備えて長期の滞在を視野に入れた配慮だなどと、訳の分からぬ屁理屈で相も変わらず一年生の繰り返しだ。辟易してくる。どうせ三ヶ月と経たず次の学校に赴くのだから無用な判断、無益な取り決めだと云いたい。

 一度決めたことは、如何に下らない事であろうと頑なに押し通すあの様を、頑固と言えば良いのか意固地と言えば良いのか。普通ではない部署の責任者を務める者は、普通ではない者が務めるという決まりがあるのかもしれなかった。

 人の気配があった。

 誰かが屋上に上ってくる。やがて、ぎいと軋んだ音を立ててドアが開き出てきたのは一人の男子生徒だった。きょろきょろと辺りを見回していたが、あたしを見つけて「やっぱり居たな」と得意げに笑った。

「サボリ癖のある女子だと聞いていたがその通りで笑える」

 授業中の屋上に現われるヤツから言われたくはない。

「あんた誰」

「成る程口の利き方がなってねぇな。目上の者に対しての礼儀ってヤツを教えてやる。下りて来い」

「そっちが上がってくればいい。それとも高いところは怖いのかな」

「ざけんな。大人しくしてやりゃつけ上がりやがって」

 瞬間湯沸かし器並みだなと思った。煽れば簡単に沸点を超える。そしてまなじり吊り上げて給水タンクの垂直梯子に手を掛けて登ってくる辺り、扱いやすいヤツだなとも思った。

 そして給水塔の上にその顔を突き出した途端、その頭上をひょいと飛び越えて屋上の出入り口の前に着地した。男子が梯子の上に取り残された格好だ。

「あ、てめえ」

「じゃあね」

 そう言って軽く手を振りドアを開けて校舎の中に戻ろうとしたのだが、行く手にはもう一人男子が立ち塞がっていた。

「退いてくれる?」

「ホントにナメたヤツだな、お前」

「何処かで会った?」

 正直見覚えが無かった。

「すっとぼけんじゃねえよ。先日夜の学校で恥かかされた者だ」

「あ、ああぁ。あの袖にされた男の子。無事にお家に帰れたようで何より」

「ふざけんな。軽く説教するだけで済ませてやろうかと思ったが、痛い思いしないと分からん性格たちらしいな」

 別にふざけたつもりは無い。あの手の連中が数匹でつるんでいるというのは良くある話だからだ。あの女生徒に化けたモノ以外、何モノも出会さず帰宅できたのなら僥倖と本気で思ったからだ。

 まぁ彼女の言を信じるのなら、たとい出会したとしても手込めにされる程度の事であったろう。だがこの様子では本当に何も無かったようだ。

「女相手に凄むなんて男がすたるわよ」

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