第二話 溜息と女子高校生(その二)

「そうね。腑分けして腹の中身を全部ひっくり返して、人血反応だのDNAだのが何も出てこなかったら信用してもいいかな」

「・・・・なら、すればいいわ」

「おや」

「その代わり何も無かったら、金輪際わたしの一族には手を出さないで。そのまま放っておいて頂戴。あなたがた解体者は臭いで獲物の種類を嗅ぎ分け、特定しているのでしょう。わたしの血と臭いを皆に渡して手出し無用と触れ回って。人間には無害な一族なんだとそう喧伝してよ」

 静かな口調ではあったが血を吐くような決意があった。捨て鉢にも見える。だが、退かぬ意思があった。

「あなたは死んじゃうけど」

「他の皆が、安心して・・・・暮らすことが出来るのなら、それで」

「本気?」

「冗談で、こんな事云える訳ないでしょう」

 泣き出しそうな瞳が強く見返している。

 声は掠れ、そして涙が滲んでいたが揺らぎはなかった。唇は震え細い両の脚も震えていた。しかし言葉を翻す様子はおろか、逃げ出す気配さえも感ぜられないのだ。

「・・・・・」

「・・・・・」

 小さな掌が拳をつくり、関節が白くなるほどにまで握り締められていた。口元から歯の根の鳴る音が微かに聞こえた。

 細い顎だ、と思った。

 身体の線はそれ以上に細く脆弱で、恐らくほんの一振で屠れるだろう。反撃の暇も逃がす隙も与えず容易く始末出来る、そう看破出来た。ほんの微かな意思があるだけでいい。時間だって瞬きする間もあれば充分だ。

 だが二人ともそのままだった。

 言葉が途切れ、互いに相手を凝視するのだが取り立てて何かをする訳ではない。

 詰問を続ける訳でも無ければ、腰の得物に手を伸ばし、本来の業務に取りかかる訳でもない。

 ただ間合いを測るかのようにじっと一挙一動、瞳の奥底を観察して、相手の本音を探るだけだった。

 遠くで風鳴りが聞こえる。

 茫漠とした夜の囁きだった。

 やがてキコカは静かに息を吐き出した。

「ま、其処まで言うのならこの場は信じてあげる。でも一ミリでも嘘まやかしが在ったのならその場で解体するわ」

「好きにすればいい」

 くるりと踵を返すと、視界の端で彼女はくたくたとその場にへたり込んだ。完全な腰砕けで、無理矢理立とうとするも膝が笑って立てないでいる。その足元からはアンモニア臭がしたのだがそれは気付かないふりをした。

 そしてその夜はそのまま終いとなった。


 部屋で缶ビールを開けて一気に一本飲み干した。

 風呂上がりの一本はこたえられないが、こちとら見てくれは幼気なJKさまだ。コレを手の入れるのは一苦労。実年齢は一〇〇パー合法なれど、色々と詐称している関係上つまびらかにする訳にもいかない。

 密かに隠し持っている疑似マイナンバーカードで年齢証明の儀式を行なえば、手近なコンビニでも手に入るが、学校関係者や顔見知りのクラスメイトと出会すのは避けたかった。よって買い出しは何時も派遣先の生活圏から大きく離れた隣町の酒屋か、寂れたスーパーになる。駐車場の小さな店が狙い目だ。クルマで来る客が少ないと言うことは、その店周辺に住む地元民しか寄りつかないという事だからだ。

 ストックが尽きている事を失念し、冷蔵庫のドアを開けて初めて発覚するのも悲しいが、買い出しに出て部屋まで持って帰るまでに温くなってしまうというのも悲劇的現実。

 クーラーバックや保冷剤程度では到底補填できない、業務に支障を来たす重要改善案件。麦酒買い出し要員もしくは補填義務の条項追加を申請する、と申し入れたら「寝言は寝て言え」と軽くあしらわれて終わった。甚だ不本意。

 げふ、と息を吐いてもう一本いこうかと思ったが、残数が心許なかったので止めておいた。

 ビールは旨いがそれ以外が色々とマズイ気がする。

 前回に続いて、今回もまた潜んでいた連中の片割れを見落としていた事も然り。妙な仏心を出してソレを見逃してやった事も然り。近頃何か緩んで来ているのではあるまいか。連中を発見するのはあくまで追加業務。処理と片付けが本分とはいえ以前ならもっと鋭敏で果断だったはずだ。

「ぬるいわ」

 本棚の上でうずくまっていたデコピンが顔を上げてこちらを見た。

 ほぼ真っ黒な白と黒のブチ猫だが、目を瞑って丸まっていると白い部分を見て取る事が出来ず、黒くて丸いクッションかもふもふのオブジェのようにも見える。

「言っとくけどビールのことじゃないわよ」

 ヤツは黙ったまま何も言わない。金色の目を見開いて、ただじっと見つめるだけだ。

 空き缶をキッチンの脇に置くと下着姿のままベッドに潜り込んだ。確か明日は監査官が来ると言っていた。少し早めに登校して、本日清掃済みの教室をもう一度確認した方がいいかもしれない。

「電灯消して」

 一言云うとデコピンは壁へ飛び付いて前足でスイッチを切った。馴れたモノである。

 暗くなった部屋の中で「やれやれ」と溜息をついた。


 訪れた監査官は随分と若かった。

 これが研修期間を終えて最初の仕事なのだという。大層な肩書きだが、その実駆け出しぺーぺーホンモノの若造というわけだ。和田修介ですと名乗ったが特に憶えるつもりも無かった。どうせ直ぐにおさらばする身の上だ。此処を去ったらきっと二度と会うこともあるまい。

 若造はそんな思惑など知るはずもなく「お会い出来て光栄です」となどとお愛想を言う。やれやれだと思った。あたし何ぞを相手に光栄もへったくれも無かろうに。それとも本来の立場を知らないのかとも思った。昨今の新人なら有り得ない話じゃ無い。

「予定ではキコカさんが去った後釜を任されています。この学校の新任教師という役柄を与えられて居ますが、本来の仕事はコッチ側です」

「失礼だけど、あなたにソレが務まるとでも?」

 立ち振る舞いを見ただけでもコッチ方面の技量が無いのは丸わかりだ。体幹すら出来ていない。聞いた話でも大学を出て間も無く現場の経験も無いと云う。それでは素人と何が違うと言うのか。

「はは、噂通り歯に衣着せぬ方ですね。仰るとおりで僕の役割は監視業務です。現場は到底無理ですよ、専門職の方に丸投げです。

 情けないと思われるかもしれませんが、見つけたら知らせるというだけの役で。使い手の方は人数が限られていますからね。サポート役の数を増やして、キコカさんのような方の負担を減らすのが目的という訳ですよ」

「負担を減らすねぇ」

 逆に余分な仕事が増えそうだと思ったが、流石にそれは口にしなかった。

 その日の授業を受けている合間に現場の取り調べは終えたらしく、放課後に再び呼び出されて仕事の終了を確認したと連絡を受けた。これでようやく報酬を受け取ることが出来る。以前は自己申告だけで済んだというのに、時を経るにつけ煩わしい決まり事ばかりが増えてゆく。うんざりだ。

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