2-5 「行かず後家か」
次の日になるといつもとは何となく違う気分で登校した。
駆除作業などという乾いてささくれた感情ではなくて、高校生に戻った時の気分に似ている。
いや、今現在も女子高校生であるのだから現在進行形的に間違いは無いのだが、ヤクザな仕事を抱えての気分と、次の定期テストや陰鬱な授業、クラスメイトとのやり取り確執や部活動や、先輩後輩とのやり取りなどで悶々とする気分とでは色々と何かが違う。
浮世のどろどろと醜い某かを綺麗さっぱり洗い流し、何だか別の自分に変身している気分だ。
しかし浮かれて調子に乗っているというよりも、馴れぬ厄介ごとを背負い込んでいると言う方が正しかろう。
昼休みに「お断り」をして、授業が残っている昼最中ずっと打ちひしがれてもらっても困る。
その程度の気配りは出来るつもりだ。
スマホ越しに通達しても良かったがそれでは余りに味気なく、そして無礼でもある。
使い慣れぬペンを持ち、苦心の跡がうかがえる文章をひねり出し、丹念に書きしたためてくれた相手には相応の礼を以て相対するのが節度。
好意を投げかけてくれた者への敬意というものだ。
泡沫の夢とはいえ、少しでも長い方が宜しかろうという深遠な配慮なのである。
そういう訳で、放課後になると指定した場所に出向いたのだが相手は既に来ていた。
想像通り、というか何というかメタルフレームの眼鏡を掛けた大人しそうな少年だった。
かちかちに緊張しているのが見て分かる。
期待と不安とに居ても立ってもいられないであろうが申し訳ない、きみはこれから振られるのだよ。
「あ、あの、手紙、読んでくれてありがとうございます」
「あの中にも書いてあったけれどイマイチぴんと来なくて。あたしの何処が良いというの。正直言って他の子を選んだ方があなたの為だと思うわ」
拒絶される流れを察したらしく、焦りを含んだ口調で矢継ぎ早に言葉を連ね始めた。
凜とした立ち姿が良いとか、キビキビした身のこなしを思わず目で追ってしまうとか、眼差しが引き締まっているとか、色々と褒められた。
そんな些細な所までよく見ているモノだ。
聞いているこちらが赤面しそうな物言いに、「もういいよ」と思わず押し止めるまで彼の唇は止ることを知らない。
見かけによらず饒舌なのか、それとも気のある相手だからこそ勢いが付いて止らないのか。
いずれにしろ居心地が悪い事この上なかった。
「色々褒めてくれてありがとう。
でも残念ながらきみの気持ちには応えられないから勘弁して頂戴。
きみにはもっときみに相応しい、似合いの相手を見つけることをお勧めするわ」
重ねて言葉を連ねようとする彼を平手で制して「じゃあね」と言って立ち去った。
些か塩な対応ではあるが、妙に期待させる方がむしろ残酷だろう。
そう割り切ることにした。
願わくば余り気にしないで置いて欲しい。
随分と身勝手で都合の良い話なのかもしれないが。
「そんな訳で今日は思わずモノホンの女子高生さまを演じてしまった訳ですよ、デコピンさん」
そう言いながら本日二つ目の五〇〇㎖缶のビールを開けた。
このところ些か酒量が過ぎるせいで懐具合がかなりキビシイ。
今回の追加業務は金銭報酬にてと告げてはあるものの、それが支払われるのは仕事が完遂した後の話であって、今手元に有る訳ではなかった。
「だがね、こんな仕事飲まずにやってられるかっつーの」
ぐいと煽ればたちまちの内に中身の半分が胃袋の中へと流し込まれてゆく。
人為らざるモノを解体するのはまだいい。
バラした有象無象を掃除するのも手慣れたモノだ。
しかし幼気な高校生のふりをしてみみっちいプライドの後始末だの、一方的な懸想を切って落とすだのはどうにもこうにも落ち着かない。
煩わしさと居心地の悪さばかりが鼻について尻の座りが宜しくないのだ。
何も今回が初めてという訳では無かった。
ちょっと振り返るだけでも似たような思い出は雨後の
だと言うのにいつまで経っても馴れなかった。
少年少女たちの立ち回り役回りがしっくりこない。
所詮は見かけだけを取り繕った張りぼてのJKさまだからだ。
しかしだからといって放り出す訳にもいかないし許される筈も無かった。
ま、コレも仕事の内だ。
自由刑とはいえ、この身がどれ程にまで優遇されているのかはよく分っている。
いわば、お偉いさんどもが画策する懲役を口実にした我が身の拘束と使役なのだが、それも全て納得ずくでの現状だ。
役者の心情がどうあろうと演目の体裁が整っているのならそれで良し。
舞台が壊れてなければ問題は無かった。
やれやれと呟いてもう一度ビールを煽れば、缶はあっという間に空っぽになった。
「くそ、もう
ほぼ真っ黒な白黒ブチの毛むくじゃらはじろりと迷惑そうに睨むと、黙ったまま本棚の上にぴょんと飛び乗りそのまま丸くなった。
返事をするのも億劫といった風情であった。
「役に立たんどら猫め」
仮に猫が口に買い物袋を咥えて買い出しに出かけたとしても、果たして店の者がビールを持たせてくれるかどうか。
確かにその懸念はある。
だが、試してみなければ分るまい?
何事にも挑戦してみてこその人生ではないのか。
飲むアルコールが尽きればもう起きていても仕方がない。
ぶちぶち小声で悪態をつき、何時ものように下着姿のままベッドに潜り込むと「デコピン、電灯消せ」と言って毛布を被った。
本棚の上の猫は壁のスイッチ目がけて飛び降りて、部屋の中は唐突に真っ暗になった。
目覚ましが鳴って朝が来たことを知ると、まだ完全に覚めていない寝ぼけ眼を擦りながらベッドから起き出してカーテンの隙間から外を眺めた。
雲が随分と多くて快晴とまではいかないがソコソコ良い天気の空が拡がっていた。
着替えて顔洗って髪を溶き、近場で旨いと評判の店で買ったパンでトーストを焼きバターを塗って、にゃあと朝の食事を強請る飼い猫にカリカリを冷蔵庫から取り出して与えた。
「あたしが帰ってくるまで部屋の警備員をやってなさい。分かった?」
しかと申しつけはしたものの食べるのに夢中で聞いても居ない。
サラダとパンを胃袋に収めるとホットミルクを喉に流し込んで歯を磨き玄関に立った。
「行ってきます」
猫の返事は無い。
食い終わったら早々に何時もの定位置で朝寝の続きを始めたからだ。
「食べてすぐ寝ると豚になるわよ」
だからといって食後の運動とばかり暴れ回って部屋を荒らされても困る。
が、その辺りは飼い主と飼い猫との阿吽の呼吸というヤツだ。
きっと判っていると信じておきたい。
ノブに手をかけようとしてふと思いとどまり、玄関の姿見で自分の格好を確かめた。
学校指定のローファーを履き靴下も白色。
胸元のリボンの形も位置も申し分ない。
スカートの長さも規定通りだしシャツも洗い立てで、隙無くかけたアイロンのお陰でしわ一つ無かった。
まるで折り紙を折ったかのようだ。
まだ真新しさの残る手提げ鞄には傷や汚れは見当たらず、設えたような艶光り。
一分の隙も見当たらない完璧な女子高校生だった。
「うむ」
満足げに頷くと今度こそドアを開け鍵を掛けて家を出た。
朝の風が頬を撫で黒髪がわずかにそよいだ。
今日もまたJKの一日が始まるのだ。
意気揚々と来てみれば校門で抜き打ちの服装検査が行なわれていた。
目つきの悪さとくせ毛の髪はどうしようも無いが、頭髪証明は転入前に提出済みだし何も問題無かろう。
そう信じていたというのにどういう事であろうか。
チェックを素通りするどころか、風紀指導の女教師に詰問を受けて思わぬ晒し者を演じる羽目になってしまった。
曰く髪が長過ぎる。
長い髪はお下げにするか後ろでゴムなどで縛るなどしてまとめるように。
今回は見逃してあげますが次はありませんよ。
曰く唇にリップは塗っていないか。
リップクリームなどという言い訳は通用しないその赤みはどう見ても自然のモノには思えないファウデーションを使って頬に色気を出してはいないか化粧は校則で禁じられている調べれば直ぐに判りますああ確かに化粧ではないわねならいいわ。
曰くスカートが些か短くないか。
シャツを捲ってみなさいあら普通ねまさか裾上げしてるのではないでしょうね測れば判りますあらこちらも規定通りああ腰が高くて足が長いせいね(明らかな舌打ちの音)まぁいいわ本来なら膝下の寸法も規定を設けるべきだとおもうけれど規則に無いから勘弁してあげる。
「以後気を付けなさい」
そう言われて解放された。
しかし気を付けろと言われても、髪を後ろにまとめる程度のことで何故呼び止められ、登校の最中に説教されねば為らないのか。
校則は一通り目を通してチェック済みだし、髪を束ねるのは「望ましい」であって明確な規定事項では無かったはずだ。
その証拠に自分よりも長いストレートヘアの女生徒など校内にいくらだって居る。
そもそも事前情報では、ブラック校則云々で世間が騒がしかった時に、此処も規制の数や内容を大幅に緩和したはず。
当の教職員が以前の慣習を未だに引っ張っているだけではないのか。
それとも何か不手際があったのか。
立場上目立つ訳にはいかず、出来れば是正しておきたかった。
見れば男女を問わず彼女に掴まっている生徒がいる。
他の男性教員も居るのだが、彼の前をスルーした者が片端から呼び止められるという場面ばかりだ。
それでああ成る程と合点が着いた。
「見世物ではありませんよ。早く教室に行きなさい」
観察を見咎められて軽く肩を竦めると踵を返しがてら、「行かず後家か」と呟いた。
瞬間、女教師の背中に緊張が走ったのが見て取れて、いけないいけないと反省をする。
最近どうにも独り言の声量が大きくなりがちだ。
気を付けねば為らない。
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