第4話 生が潰えた日
不意にソイツはやってきた。
一匹の黒い狼だった。
悍ましいほどの死の気配を隠そうともせず振りまき、まるでこの世のすべてを憎んでいるかのように吊り上がった金色の目は、全身黒の体毛の中に何本か入っている瞳と同じ金色のメッシュのような体毛と合わさって、いっそ美しくすら見えた。
「.....っ!」
魔物。見た瞬間に分かった、決して人とは相容れないその凶悪な見た目、何より怒りに支配されたかのようなその瞳が、明確に私たち人間を拒絶しているようだった。
怒気をはらんだその気配にあてられた私は浅い呼吸を繰り返しながら、その狼が何か行動を起こすのをジッと見ていることしかできなかった。
「・・・・・・」
その魔物が、辺りをじっくりと睥睨した後、私の方を向いて首を止め、目が合った。
途端に訪れる恐怖、まるで全身に大きい石でも括りつけられたかのように、体は重くて動かない。
「っは、っはっは!」
もともと浅かった呼吸はもっと浅くなり、徐々に息ができなくなる。
魔物は私の方をジィと見たあと、標的を見つけたかのように体を低く構え、体を発光させた。
(何かやばいっ!)動かない体とは対照的に脳は目いっぱいの警鐘を鳴らす。
「バチバチバチっ」と魔物の体から火花のような電気が流れ、まるで早く外に出たがってるとばかりに、時間がたつにつれてその頻度は短く、大きくなっていく。
「はぁ、っはぁ!、はぁ」
(あれはだめだ。死にたくない。怖い。)動かない体に鞭をうち、今まさに己の命を刈り取ろうとする死神から必死に距離を取ろうとする。全然いうことを聞いてくれない体に苛立ちを覚えながら、立つことのできない足の代わりに必死に腕を動かし這って進んだ。
なかなか進まない距離がもどかしい、まだか、まだあの魔物の攻撃は来ないか、もうちょっとだけ待って。
慈悲を乞うように、はたから見ればいっそ哀れに思えるほどに、涙と鼻水でドロドロになった顔をふくこともせずに、ただあの脅威から逃れることだけに全力を注いだ。
「ガァガァガァ!!」
(バサバサバサッ)鳥たちが飛び立つ音が聞こえる、さすがの鳥たちもこの脅威の中死肉を漁るずぶとさを持ち合わせてないのか、一目散に退散しているようだった。
私も空を飛ぶことができれば、なんて益体もないことを考えながら必死に腕を動かし、なんとか魔物から距離をとる。
1M(めとる)、1C(せるち)だけでも遠くへ、せめてあの大木の裏側まで行くことができれば魔物の攻撃を防げるかもしれない。
反撃するなんて思考は最初から持ち合わせていない。魔物が一回しか攻撃しないなんて保証はどこにもありはしないのに、今の私は逃げるのに夢中でそんな次のことを考える余裕はありはしない。
とにかく、とにかく遠くへ、早く、死ぬのが怖い。。。
そう思う死にたくないと思う気持ちの一方で、私の心の中にもう死にたい、楽になりたいと思う気持ちが混同しているのに私は必死に気が付かない振りをした。
気づいてしまえば、気が付いてしまえばもう、私は自分を保てない。
「ウォォォォォオオオオォォォオオォオオオォン」
「ひっ!、、はぁはっはっ!」
どんどん圧が大きくなっていくのを背中越しに感じる。
今どこにいるのか、まだ猶予はあるのか、先ほどからどんどん大きくなっていく「バチバチっ」という音は、最早私の目の前まで明るく照らしており、それだけでそれがどれだけの威力を秘めているのかを物語っているようで時間がたつごとに私の恐怖は増していった。
焦る気持ちばかり先行して、這う腕は何度も空を切る。空を切るたびにだるくなる腕を死にたくない一心で必死に動かす、そのいつまでも続くかのように思えたサイクルも終わりを告げる。
「はぁはぁ、、早く、は、やく、、!」
やっと着いた大木の裏に転がり込むように滑り込む。
思えば最初の突風から守ってくれたのもこの大木だった。村のシンボルだったこの大木が今の私には守り神だったのではないかという錯覚を受ける。きっと今回の攻撃も守ってくれる、きっと大丈夫、さもすればそれはまるで縋るように、己の願望を押し付けていた。
「お願い、はぁ、死にたく、、ない、、はぁ」
切れた息を必死で整えようとするも、心拍数の上がった体は言うことを聞いてくれない。
小さい子供が家の隅でそうするように、木に背中を預けて脅威が去るのを膝を抱えて待つしかできない。
それでも、あの魔物から形だけでも遮られたことで、いくばくか気持ちは落ち着いたのか、気づけば頭の中は疑問でいっぱいだった。
(村を襲った魔物とあいつは一緒の魔物なのかな。
そもそもどうしてあんな強力な魔物がこんなところに。)
頭の中に浮かぶ疑問は、いくら考えても答えが出ることはなく、疑問の数だけ募っていく。
(もし助かったとして、私はこれから一人でどうしたらいいの?
辛い、怖い助けて、誰か)
私がいくらそう願ったところで、本の中の勇者や英雄みたいに都合よく出てきて助けてくれたりはしない。
そのことが、ここがどうしようもなく現実なのだと強く認識させられているようで、一層心細くなった。
「ウオオオオオオオォオォォォオォオオオォォオオオン!!」
「、、、、!!」
魔物の声が一際高くなった。(ついにくるっ)そう思うとまた体は硬直して固くなった。
ドオオオオォォオオオォオン、ドゴオオオォォォオオォオオン!!
ものすごい音と地響きに私は体を大木から無理やり放り出された。
驚いた私は、ほぼ無意識にそちらに目をやりそれを見た。
それは雷だった。おびただしいほどの数の雷が降っては地面が爆ぜ、また降っては死体を焼いていく。
もはや焼くというよりも消失させるという表現が正しいような蹂躙を、この目で見た私の心が折れるのは必然だといえるだろう。
気づけば私はへたり込み、その場で動くことができなくなっていた。
いまだ近くにある大木に隠れないのは、もうどうにもならないと心が叫んでいるからか。
不意に魔物と目が合った。
こちらを相変わらずすべてを憎むような目で見つめる金色の瞳に反射して私の姿が見えた。
普段は母が毎朝梳いてくれる好きだった自分の髪は、あちこちはねて汚れておりくすんだ黄色のような色になっており,瞳に反射する自分の目は、生を諦めたかのように汚れて濁っていた。
「・・・・・・・・・・・・・・・!!」
さっきの音で鼓膜がやられたのかもう何も聞こえない。
魔物が叫んでいる、気づけばこれで最後だとでもいうように、今までより体を強く発光させている。
かろうじて見えていた魔物の姿は完全に見えなくなった。
まばゆい光が辺りを包み込み、これまでより大きい揺れが起きたと思った直後、
私は村のみんなの後を追いかけた。
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