第289話 会議前日 後編
「ガロ王国だ」
「……ガロ王国、ですか?」
大統領はシルヴェーヌ外務大臣と顔を見合わせていた。
その様子だと寝耳に水って感じだな。
「エルス共和国とガロ王国は距離的には最も遠い国だ。さして交流もないんだろ?」
大統領は頷いていた。
「だが、ヴァイラントにとってガロは極めて厄介な存在だ。2ヵ月前もヴァイラントを攻める動きを見せていたし、民間レベルでいえばヴァイラントの人間をさらって奴隷として売り飛ばす
「それは……」
大統領は答えあぐねているようだった。
「もっと過去を遡るなら、ガブリエル戦争当時、ガロは帝国の属国となってヴァイラントと戦っている。もし再び帝国がガロを支配下に置いたなら奴らはまたヴァイラントを攻めるだろう」
「……なるほど」
それまでほとんど声を発する事の無かったシルヴェーヌ外務大臣が唸った。
「たとえ三国同盟を結んだとしてもガロから攻められては、ヴァイラントからゼルデリアや我が国に援軍を送る事が困難になる――アイバ様はそう仰りたいのですね?」
俺は首肯した。
「歴史は繰り返す。あるいは賢者は歴史に学ぶ――なんて言葉が俺が元いた世界にはあった。エルス共和国にとってはガロと同盟を結んだ所で直接的な利益は少ないと思うかもしれないが、遠交近攻策というのは有効的な外交手段の一つだ」
「仰りたい事は理解しますが、ヴァイラントが直接ガロ王国と同盟を結べば済む事では?」
「残念ながらヴァイラントは外交下手でな。2ヶ月前もガロやサパリとは同盟を断られて外交的に孤立していた。その点、あんたは外交が得意なんだろ?」
俺はシルヴェーヌ外務大臣を挑発するように言ってやった。
「少なくとも、明日の会議までに出せる結論ではありませんね」
外務大臣が素っ気なくそう言うと、大統領もそれに頷いていた。
「うむ。明日は三国同盟をチラつかせるだけに留めておきましょう。下手に帝国を刺激して先にガロと結ばれては困りますからな」
そうならない為に俺達が先手を打ってガロと結んでおく必要があると思うんだが、そんな事をしている時間はない、か。
それからソフィアと大統領は、ゼルデリアが復活した後の通商条約なんかについても話をしていた。
帝国がゼルデリア領の北半分を租借したらゼルデリアとエルス共和国は国境を接する事はないんだが、海路では繋がる事は可能だから共和国としてはゼルデリアの自然豊かな食料品なんかを輸入したいのだろう。
エルス共和国は北方にあって土地が痩せている国だから、作物を育てるには余り向いていないしな。
ソフィアと大統領が話を終えて、部屋を立ち去ろうとしたその時。
「――アイバ様」
俺はなぜかシルヴェーヌ外務大臣に呼び止められた。
「何だ?」
「この後、お時間がおありでしょうか? よろしければワタシの部屋で少しお話をしたいのですが」
これは何のお誘いなんだ?
外務大臣がコソ泥の俺なんかと一体何を話すというのだろうか。
「悪いが、まだ法皇に挨拶してないんでな。その後で良ければ時間は作れる――つっても夕食の後になりそうだが」
「それで構いません。では夕食後に。ワタシの部屋はこの部屋の向かい側になりますので」
俺はシルヴェーヌ外務大臣に頷くと、ソフィアと一緒に部屋を出た。
法皇のいる2階へ向かう階段の途中で、ソフィアは後ろを振り返らずにこうボヤいていた。
「アイバさんは女性にとてもよく好かれるのですね」
「嫌われるよりはいいだろ」
「そういう事が言いたいのではないのですが……」
ソフィアの機嫌の悪そうな声色を聞きながら、俺達は法皇のいる執務室へと向かって行った。
◆◆◆◆◆◆
法皇に挨拶を済ませ、宮殿で帝国の出席者を除いたメンバーで夕食を愉しんだ俺とソフィアは、彼女の部屋の前で別れた。
俺はその足でシルヴェーヌ外務大臣の部屋を訪れる事にした。
「――どうぞ」
衛兵に許可を得た俺が部屋の扉をノックすると、中から声がした。
扉を開けて中に入ると、書類仕事をしていたらしいシルヴェーヌ外務大臣が椅子から立ち上がっていた。
「夜分遅くにお呼び立てしてしまい、申し訳ありませんでした」
「この後は特に予定もないからな、別に構わない」
「……あの、どこかお気分が優れないのでしょうか?」
シルヴェーヌ外務大臣は俺に近付いて来ると、心配そうに顔を覗き込んで来る。
「いや、ちょっと持病があってな。すぐに収まるから気にしないでくれ」
まさか、外務大臣にドラゴンゾンビの呪いを見破られるとは思わなかった。
鈴森に呪いを緩和して貰ったとはいえ、いまだに一定の間隔で痛みが襲って来る。
表情には出さないように気を付けてはいたつもりだったが、彼女はそういう微妙な機微を見逃さない
つーかこの人、間近で見ると息を呑むような美人だな。
色白で今にも倒れそうなくらいなのに、背筋はピンと張っていておよそ隙がない。
「そうですか? それでは、こちらのソファにおかけください」
護身術でも習っていたのだろうか?
動きが洗練されていて、無駄のない足運びをしている。
まあ、外務大臣ともなれば人の恨みを買う事もあるだろうからな。
それくらいの用心をしていても不思議はないか。
俺がソファに座ると、彼女はお茶を淹れて俺の前に差し出した。
それから外務大臣も俺の対面に座る。
「改めまして、自己紹介を。シルヴェーヌ・フレミーです。外務大臣になる前はエルス王家に仕える女官をしていました」
エルス王家……?
共和国に王はいないはずだが、彼女が仕えていたという事は、
「相羽直孝だ。異世界から来た。今はソフィアの屋敷で使用人として働いている」
「ええ、お噂はかねがね伺っております」
そう言って、外務大臣は微笑を浮かべていた。
さっきソフィアと一緒だった時はずっとクールな表情だったんだが、この人も笑う事があるらしい。
「どういう噂かはこの際聞かないでおく。それで、俺に話というのは?」
「単刀直入に申しましょう。パメラ・メッツェルダー様の事です」
パメラ、だと……?
法国まで来て、それもエルス共和国の外務大臣からアイツの名前を聞くなんてな……
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