第7章:魔族再闘編

第245話 心の中の叫び ※side 高月舞

 ヴァイラント王国の王都からやや東方にあるゼルデリア人による難民村。


 この村は兼ねてより潜在的に大きな問題を抱えていた。


 それは医者不足である。


 2千人ほどの人間が暮らしているにも関わらず、医者は年老いた男性が一人いるのみ。


 その窮状を憂いたのが、高月舞という異世界からの転移者であった。


 彼女は父が歯医者、母が看護師、年の離れた兄が医大生と医者の家系生まれだった。


 舞自身は親から言われたわけでもないのだが、将来は医者になるものだと思っていた。


 ゆえに元の世界にいた頃は医療ニュースに目を通したり、医学関係の本を読んで勉強したりしていたのだが、それがまさかこんな形で役に立つとは――


 舞は難民村の診療所で住民から『老先生』と慕われている医者の元で、この世界の医学について学んでいた。


「老先生、擦り傷の手当にはこの薬を使うんですよね?」


 老先生は優しく頷いていた。


 彼は普段無口ではあったが、とてもにこやかであった。


 舞も彼の元でなら安心して医療が学べた。


 水魔法士として治療魔法は使えるが、魔力が尽きた時や不測の事態に備えて薬の勉強もしておきたいと舞は考えていた。


 それに魔法はケガには利くが、病気には効果が無い事もある。


 おまけにこの世界と来たら、病気の原因が細菌やウイルスに起因する場合がある事が知られていない。


 老先生は舞の言う事を信じてはくれたが、顕微鏡技術の発達していないこの世界では、多くの人に信じて貰うにはまだまだ時間がかかりそうだった。


 だから、舞が不衛生が病気を引き起こすとどれだけ諭しても、村人達は半信半疑のままだ。


 以前、同じ転移者である野呂が疫病に利く特効薬を無料で届けてくれた事があった。


 ただ、それとて万能ではない。


 特効薬が効かない疫病が流行る事だってあるし、村人全員をカバー出来る量でも無い。


 せめて、免疫力の低い子供だけでも衛生に気を付けて欲しい――


 舞がそんな事を考えていたら、診療所の扉が申し訳なさそうに開いていた。


「――マリーちゃん?」


 相羽が拾って来た女の子・マリーは、いつもこうやってノックをせずに遠慮がちに診療所へ入って来る。


 マリーがここに来た当初こそ相羽を責めた舞ではあったが、今では自分に一番懐いていくれるマリーが可愛くて仕方がなかった。


 子供というのは無条件に親を好きになる。


 どんなに叱っても、怒鳴りつけても、少し時間が経てばまたすぐに甘えて来たりする。


 舞はマリーの親ではなかったが、こうして懐いてくれると親が子供を欲しがり、子供を可愛がる気持ちが理解出来るような気がしていた。


「マリーちゃん、随分と汚れているのね。外で遊んでいたの?」


「うん……」


 マリーは身体が弱く、村の子供と同じように走り回ったりするとすぐにバテてしまう。


 それゆえに子共達からも放っておかれる事もままあって、そんな時はこうして診療所の舞の元へ甘えに来るのだった。


「そう。それじゃ、まずは手を洗ってうがいをしましょう」


 大人は無理でも、せめて子供には病気にならない為の教育をしたい――


 それが舞の想いである。


「……おにいちゃん、こないね」


 手洗いとうがいを終えたマリーは突然、そんな事を言い出した。


 マリーの言うおにいちゃんとは当然、相羽の事だ。


 最後に相羽に会ったのはおよそ1週間ほど前。


 舞は風の噂で王都のクーデターは終わったと聞いていた。


 相羽はクーデターが終わったらまたここへ来ると言っていた。


 然るに、相羽はまだ姿を現さない。


 舞はスマホを所持していたが、当然電波は入ろうはずもなく、そもそも相羽の連絡先も知らないからどうする事も出来ない。


 ただ、彼の帰りを待つのみである。


「……そうね。まったく、こんなに可愛いマリーちゃんを放っておいて、何をやっているんだか」


 舞はマリーを優しく抱き締めながら、彼女の寂しさを拭い去るようにささやいた。


「おねえちゃんは、おにいちゃんのことキライなの……?」


 ドキリとする質問をするものだと、舞は内心で焦っていた。


「……どうしてそう思うの?」


「いつもケンカしているようにみたいだから……」


 確かにマリーがここへ来てから相羽に対しては冷たくなったような気が舞はしていた。


 元々、ドライな性格を自覚していた舞ではあったが、クラスメイトの笠置遙やこの世界へ来てすぐに亡くなってしまった塩見凛子らとは年相応の付き合いをしていた。


 ただ、どうしても男性に対しては冷たい態度を取ってしまいがちになる。


 それは舞の父が犯した浮気が原因だった。


 一度きりではあったが、両親は離婚寸前にまで話をこじらせていた。


 最終的には元の鞘に収まってはいたが、それ以来、舞は男性というものが信用ならず、恋愛にも興味が持てなくなっていた。


 相羽も父と同じように信用に足らない人物であると舞は思っていた。


 保護者を名乗る割にはマリーをほったらかし。


 まるで浮気相手に熱を上げて家庭をほったらかしにしていた父と同じだと言わんばかりである。


 しかし、舞はとっくに理解をしていた。


 相羽は、世界を救う為に活動しているのだと。


 この難民村は故郷を魔族軍によって奪われたゼルデリア人によって運営されている。


 そのゼルデリアを滅ぼした魔族軍を、相羽はたった一人で全滅させたのだという。


 その上、敵国であるオルフォード帝国を交渉によって追い返し、王都のクーデターを鎮圧するのに力を貸してたのだという。


 もしヴァイラントが魔族軍や帝国軍、クーデター勢力によって荒廃させられたら舞はもちろんマリーの身だって危うい。


 相羽が世界を救うという事は、巡り巡って自分達を救う事になる。


 ただ自らの欲望を満たす為だけに浮気をしていた父とは違う。


 舞は頭では理解していても、気持ちが追い付いていなかった。


 相羽は男性である。


 父と同じ男性である。


 だから、信用ならない。


 だけど、信用したい。


 相羽はクラスメイト達が仲違いしかけた時、自ら泥を被って場を収めた事があった。


 舞もその時の出来事がきっかけで水魔法士として医者になれた。


 食料にもある程度は余裕が出来、水洗トイレが使えるようになり、毎日お風呂にも入れている。


 相羽という個人と、生得的な性別は本来別物である。


 また、相羽個人と舞の父も別の存在である。


 頭ではそう理解しているのに――


「お、おねえちゃん、ちょっといたい……」


 舞は頭と心がバラバラに引き裂かれそうになり、それを抑える為にマリーを抱き締める腕に力が入ってしまっていたのだった。


「ご、ごめんね、マリーちゃん……」


 何をやっているのだ、わたしは……


 舞はマリーから離れると、被りを振って相羽の事を忘れようとした。


 その時である。


 ドサッ、と何かが落ちるような物音が舞の耳に飛び込んで来た。


 不審に思った舞が物音の方を振り向いてみると――


「――?! 老先生っ?!」


 診療所の老先生が椅子から落ちて、その場でうずくまったまま痙攣していた。


「先生、どうされんたんです?! 老先生っ?!」


 舞が声を掛けても老先生は返事をしなかった。


「待っていて下さい、今、治癒魔法を――」


 舞が言いかけると老先生は舞の腕を掴み、わずかに首を横に振っていた。


「老先生、どうして……? と、取り敢えず、ベッドへ……!」


 老先生は比較的身体が大きい。


 か細い舞一人で運ぶのは困難を極めたが、マリーと協力してどうにかベッドに横たわらせる事が出来た。


 ベッドの上で老先生が何事かを呟いていた。


 あまりに小さな声だったので聞き取れず、舞は先生の口元へ耳を近づけていた。


「…………そんな! 老先生、どうしてそんな事を仰るんですかっ?!」


 舞は老先生の手を取り、力強く握っていた。


 マリーも心配そうに二人の成り行きを見守っている。


 老先生が舞に伝えた言葉。


 それは「ワタシはもう長くない、すまないが後の事は頼む」だった。


 どうしてこんな事に……


 相羽君、お願いだから早く戻って来て――


 舞は知らず知らずの内に、相羽の名前を心の中で叫んでいた。

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