第254話 主の悩み
マリーが王都のユレンシェーナ家に来て、早2週間が過ぎていた。
彼女はまだ8歳の上、生来の虚弱体質で体力や筋力に乏しい。
おまけに読み書きも出来ないから仕事内容や手順をメモしておく事もかなわない。
ただ、マリーには一つ、大きな才能があった。
それは記憶力の良さである。
一度見たもの、聞いた事、体験した事はほとんど忘れない。
教えられた事が出来なかったとしても、教えそのものや失敗した事はきちんと覚えている。
ゆえにマリーは出来るようになるまで、教えに基づき反復練習を重ねられる。
もし教えられた事が理解出来ない、あるいは覚えられないというのであれば話は違ってくるのだが、マリーに限って言えばその心配は無かった。
屋敷の連中もマリーの事を気に入ってくれている。
元々子供が好きで、子供にも好かれているソフィアは言うに及ばず。
かつては妹がいたと言うヒルダ、そして年齢が近しいレナは、すぐにマリーと仲良くなっていた。
クリスだけは最初こそ子供の扱い方に戸惑っていたようだが、毎朝、俺とクリスの朝稽古を見物しているマリーと、少しずつではあるが打ち解け合っているようだ。
俺はといえば、暇さえ見つてはマリーを連れて王都中を案内していた。
市場、魔法研究所、孤児院、大聖堂、芸術劇場など、王宮以外の場所へは案内出来たと思う。
孤児院のダリオ達とも境遇が同じだからだろう、比較的仲良くなれた感じではあった。
いよいよオープンしたゼルデリア飲食店に勤務している若月や氷上とも警戒心を解いて話が出来るようになっていた。
マリーの保護者としては子供の成長著しい姿に嬉しくもあり、一方で子供中心の生活に慣れてしまって、一向に迷宮に潜れていないのが懸念ではあった。
案の定、3日に一度は屋敷に泊まりに来る音羽に「子供を言い訳に遊び
俺とて迷宮には潜りたいのだが、それにはブリュンヒルデの力が必要だと感じていた。
その為にはグレーティア女子修道院まで行かなきゃならないので、1泊2日くらいの
だというのに――
「――飲食店の経営が思わしくない?」
俺は屋敷にあるソフィアの自室に呼ばれるなり、そんな相談をされていた。
「……はい。時期が時期だけに仕方がない事だとは思うのですが、今のままでは開店早々休業状態に陥ってしまいます」
まあ、クーデターの混乱があった直後だしなぁ……
被害に遭った庶民も貴族も外食をしている余裕はないだろうし、ソフィアとしても今の空気感の中で大っぴらに飲食店の宣伝活動なんてしづらいよな。
「本当は経営者であるわたくしが何とかしなければならないのですが、アイバさんのご意見も伺いたいと思いまして……」
ソフィアはこの1ヶ月半の間、一心不乱に飲食店開店の準備をしていた。
その結果が現状だとしたら、落胆するのも無理はない。
以前のソフィアであったなら、俺に相談なんてせずに一人で抱えて悩んでいたに違いない。
かつて、魔法を付与した道具を売る為に、倒れそうになるまで魔法を使い続けていたからな。
だが、今はそうではない。
髪を切って覚悟を示したからこそ頼れるモノには頼り、力を借りて屋敷を守る為に奮闘するのが今のソフィアなのだ。
「客は少ないとはいっても、ゼロではないんだろ?」
「はい。基本的には貴族や大商人など、資金に余裕のある方々にご来店いただいています」
それがターゲット層だからな。
「客からの評判はどうなんだ?」
「皆さま、一様に満足されていた様子でした。ゼルデリア料理など食べた事ない方も『また来たい』と仰って下さっています」
リピーターを獲得出来るくらいなら経営としてはまずまずのはずなのだが、同じ客が同じ飲食店へは、そう何度も足を運ばない。
良くて月に一回、多くは数ヶ月に一度という程度だろう。
しかし、客数が少ないのであれば、店の経営状態を考えれば数ヶ月と待たずに潰れてしまいそうだった。
こういう時は客単価を上げるか、客数を増やすか、来客頻度を上げるのがセオリーだ。
単価を上げて元を取るには今の値段の数倍にしないといけないから、これは却下だ。
来客頻度を上げるにしても、黒字にするには三日に一回くらいは来店して貰わない事には話にならない。
――つまり、客数を増やさないとどうにもならないって事か。
「課題は客数だな。満足して帰った客が別の客を呼ばないなら、まずは満足を越えなきゃならん」
「満足を越える、ですか?」
「料理を食べて『あぁ、美味しかった』という感想、これが満足だ。一見、良い事のように思えるが、実は人の感情はそこまで動いていない。人間っていうのは感情が動かなければ行動しづらい生き物だからな」
逆に言えば感情さえ動けば、行動に移しやすくなる。
店に来た客が満足して帰っただけで新しい顧客を生み出さないのであれば、満足を越える感情を与えなければならないのだ。
「満足を越える感情……それは"喜び"でしょうか?」
「喜びも悪くは無いが、まだ弱いな」
「それでは、一体どんな感情を喚起させればよいのでしょう?」
「――驚きだよ」
「驚き、ですか?」
ソフィアはピンと来ていないようで、小首を傾げていた。
その際に揺れ動く水色の髪が、以前よりも少し長くなっていた。
長くなった髪の分が、彼女がこれまで努力して来た証なのだ。
努力は必ずしも報われるわけではない。
ただ、その努力が少しでも報われるように手助けはしたいと思う。
「あぁ。ソフィアは驚いた時、心臓がドキドキしないか?」
「それは、しますけれど……」
「このドキドキ感、それが『感情が激しく揺り動かされた時』に起きるものだ。例えば、店に入ったその瞬間に『えっ?!』と思うような仕掛けがあったらどうだ?」
「……感情が大きく動くでしょうね」
「次に店の料理を一口食べた時、『何コレっ?!』って思うような味だったら?」
「…………とても驚きますね」
「その上でだ、食事を終えて帰る間際に『ウッソ、こんなサービスまでしてくれちゃうのっ?!』っていうサプライズがあったら?」
「…………誰かに話したくなりますね」
「そういう事だ。そうやって客の満足を越えて驚きを与え続けるんだ。感情を揺さぶられた客はリピーターになるし、店での出来事を誰かに話したくなる。そうすれば口コミで店の噂が広まって客も増えて行く」
多分な。
「その……理屈はわかりましたが、どうやってそのような驚きを与えればいいんでしょうか?」
「そこは経営者の腕の見せ所――と言いたい所だが、俺にいくつか提案がある」
相手は貴族や大商人である。
いくらサプライズを与えた所で、それが下品なサービスなどでは逆効果だろう。
あくまで客に寄り添ったサービスにしなければならない。
俺の提案した内容を、ソフィアは必死にメモをしていた。
ソフィアに任せる所は任せて、俺は俺でやれる事をやらなきゃな――
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