第253話 変化と別れの協奏曲 後編

 俺とマリーは診療所にいる高月を訪ねていた。


 昨日、ソフィアにシャボン玉を見せてもらったマリーが今朝になって、自身の将来希望について俺に語り出したのだ。


 その結果として高月とは一度、きちんと話をしておくべきだと判断した。


「――マリーちゃんを王都へ連れて行く?」


「あぁ。何もずっとというわけじゃあない。マリーにも色んな世界を見せてやりたいし、お前も医療に専念したいだろ? だから、俺が住んでいる王都の屋敷で預かろうって話になったんだ」


 高月としては複雑な心境だろう。


 あれだけ懐いていたマリーが、彼女の元を離れると言うのだから。


「お前には本当に申し訳ないと思っている。勝手にマリーを押し付けて、それでまた勝手にマリーを奪うみたいな形になっちまって。ただ――」


「言い訳は聞きたくないわ」


 高月は俺の言葉をピシャリと一刀両断した。


「――マリーちゃん、本当に王都へ行きたいの?」


 高月は膝を折って目線をマリーに合わせながら言った。


「……わたしね、おねえちゃんのことだいすき」


「うん……わたしだってマリーちゃんの事、大好きよ」


「でも、わたしがいると、おねえちゃんはおしごとができなくなっちゃうから……」


「ううん、そんな事ない。そんな事ないの、マリーちゃん」


 高月はマリーの手を取って、努めて優しい口調でこう言った。


「わたしはマリーちゃんにいっつも元気を貰っているの。だからマリーちゃんの所為で仕事が出来なくなるなんて、そんな事は絶対にないわ。むしろ、マリーちゃんのお蔭でこれまで頑張って来れたんだもの」


 マリーが高月を必要としていたように、高月もマリーを必要としていたのか。


「ありがとう、おねえちゃん……わたしね、おねえちゃんやせんせいみたいな、りっぱなおいしゃさんになりたい。だからね、おうとでいっぱいおべんきょうしたいの」


 この村には、医者の勉強をするには知識も技術も不足している。


 魔法が使える上に現代医学知識を持っている高月はともかく、読み書きすらまともに出来ないマリーが医者になるには、この村の環境は決して良いものとは言えなかった。


「勉強って、何をするつもりなの?」


 高月は俺に向かって言って来た。


「まずはメイドとして働きながら最低限の生活力を身に付けさせる。後は教会の日曜学校へ通わせたり、屋敷の連中から交代で読み書きや計算を習ったり――まあそんな感じだ」


「相羽君は何をするのよ?」


「俺は迷宮に潜らなきゃならんからな。手が空いたらマリーの見聞を広げる為に旅行にでも連れて行ってやろうかと」


「……結局、今と大して変わらないじゃないの」


「毎日顔を合わせるくらいの変化はあるじゃないか」


 俺がそう答えると、高月は盛大なため息を吐いた。


「……マリーちゃん、本当にそれでいいのね?」


「うん。おねえちゃんとわかれるのはとってもさみしいけど、わたしにもできることがあるなら、それをしたいっておもうから……」


 マリーにもできること、か。


 マリーのヤツ、俺と高月の会話を聞いていて、しかもそれをちゃんと理解していたんだな。


 こりゃ将来有望かもしれん。


「言っとくけど、8歳の子供を働かせるなんて労働基準法違反なんだからね?」


 高月はしゃがんだまま、下から俺をとがめるような視線を投げかけて来た。


「この国にそんな法律ねえよ」


 レナだってマリーの年齢の頃にはすでに働き始めていたというしな。


「そういう事を言ってるんじゃ――」


「わぁってるよ。マリーは身体が弱いんだ、そんな無理はさせないさ」


 長らく栄養失調だったというのもあるが、マリーは生来の虚弱体質なんだろうな。


 8歳にしては背が低すぎるし、体重も恐ろしく軽い。


 そういう意味でも、この村にいるよりは王都の方が栄養がたっぷり取れるから、マリーにとっては決して悪い選択にはならないはずだった。


 特にヒルダのゼルデリア料理は絶品だからな。


 マリーだってお腹いっぱいになるまで食べ尽くすに違いない。


「……マリーちゃん。それじゃあ少しの間、お別れね」


「うん……おねえちゃん、きっとまた会えるよね?」


「もちろんよ」


 高月はとうとう堪えきれなくなったのか、マリーを強く抱き締めていた。


「……相羽君、マリーちゃんを泣かせたら承知しないんだからね」


 マリーから離れた高月は、目尻を拭いながら俺を恫喝どうかつして来た。


「そういうお前もマリーがいないからって泣くなよな」


「泣かないわよ、子供じゃないんだから……」


 いや、そんな涙を浮かべながら言われても説得力がなぁ。


「それよりお前、俺が渡したブローチ付けてるんだな?」


 高月は白衣の襟元に見えるか見えないかの微妙な位置に、金細工のブローチを付けていた。


「……そういうの、恥ずかしいから指摘しないでくれる?」


 高月は表情を隠すように、俺から顔を背けていた。


 彼女がどういう意図でブローチを付けているのか、それは分からない。


 ただ、イヤイヤ付けているわけでもなさそうだったので、取り敢えずは良しとしておこう。


「パメラの事はどうするか、気持ちの整理はついたのか?」


「……えぇ、助手をお願いする事にしたわ。きっとパメラさんから学ぶ事も多いと思うから」


「そうか」


 それでいい――んだと思う。


 高月にとっても、パメラにとっても、そしてマリーにとっても。


 パメラはマリーの世話をすると申し出てくれたが、それは御破談になりそうだった。


「――いつ出立するの?」


「そうだな。村の連中に一通り挨拶したら、すぐにでも」


「そう……」


 高月はそれだけ言うと、診療所の外まで見送りに来てくれた。


「それじゃあ、二人とも元気でね」


「うん。おねえちゃんも」


「今生の別れってワケでもないんだ、またすぐ会えるさ」


 そうして俺とマリーは村人達に軽く挨拶してから、村を出た。


 クラスメイトの連中からマリーを惜しむ声が聞こえて来たし、ポントスのヤツも意地を張ってはいたが寂しそうではあった。


 唯一、満足そうな表情をしていたのが那岐先生だ。


 俺が責任もって保護者役をする事に納得してくれたのだろう。


 俺は指輪の飛翔魔法を使って、ここへ来た時と同じようにマリーを抱えて空を舞った。


 俺は――俺達は変わっていく。


 環境も、気持ちも、人間関係も、そして生き方そのものも。


 空の旅には感動しているマリーを抱えながら、俺はそんな事を思った。

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