第252話 変化と別れの協奏曲 中編

 老先生が亡くなってから数日が経過していた。


 俺は難民村に滞在し、マリーの面倒を見ていた。


 高月はあれ以来、診療室にこもって老先生の事を吹っ切るかのように仕事に没頭していた。


 パメラも高月に遠慮してか診療所に顔を出す事はなく、村を回っては困っている人の力になっていた。


 やはり魔法士というのは便利な存在らしく、風を起こして洗濯物を乾かしたり、風の刃で木を伐採したり、火魔法士の笠置と協力してゴミを燃やしたりと、八面六臂の大活躍である。


 そうでなくてもパメラは家事や炊事も得意だし、軍隊で仕込まれた筋力と体力がある。


 パメラが難民村でのんびり過ごしている所を見ると、彼女の才能の無駄遣いですらあると思えて来る。


「行くぞ、マリー。よく見てろよ?」


 俺は村の広場にマリーを連れて行き、二人で遊ぶ事にした。


 マリーは老先生が亡くなって以来、ずっと塞ぎがちでポントスら村の子供が遊びに誘っても、俺も引っ付いて離れない状態なのだ。


「よっ、ほっ、はっ」


 俺はポントスに借りたボールを使って、マリーの前でリフティングをして見せた。


「どうだ、マリー、お前も、やって、みないか?」


 俺はリフティングをやめてボールを手に取ると、マリーに渡してみる。


 しかし、彼女は首を横に振るばかりである。


 サッカーもダメ、か……


 男子だったら食いつきそうなものだが、女子の好きそうなモノって何なんだろうな。


 やっぱりお人形遊びとかか?


 しかし、村の子供から人形を借りるってのも何か違う気がする。


 俺の手先が器用だったら人形の一つでも作ってやるんだが、生憎とそんな芸当は出来ないし、そもそも材料がない。


 ソフィアに渡した木製人形が複数あれば、それでも良かったんだが、アレは地下22階で手に入れて以降、二つと存在しないアイテムだった。


「――アイバさん」


 俺が困り果てて頭を悩ませていたら、背後から声がかかった。


「……ソフィア?」


 ソフィアの事を考えていたらまさか本当に当人が現れるとは……


 ソフィアの背後にはレナとクリスもいる。


「……どうしてソフィアがここに?」


「どうして、ですって? アイバさんのいつまで経っても帰って来ないから、こちらから様子を伺いに来たんです」


「いや、その件ならキルスティ大尉に連絡を頼んだんはずだが……」


 老先生が亡くなったあの日、キルスティ大尉は王都へ戻って医者を探してくれていた。


 結果としてはやはり難しいという事で、キルスティ大尉はそれだけを伝えるとすぐにまた王都へ戻っていた。


 その際、俺は大尉にソフィアに会ったらすぐには帰れない旨を伝えてくれるように頼んだのだ。


 軍の大尉殿に頼むような内容ではないのは重々承知していたのだが、キルスティ大尉は快く引き受けてくれた。


 だから、ソフィアは俺の帰りが遅いのは承知しているはずなのだが……


「もちろん、キルスティ大尉からはお話しを伺っています」


「だったら――」


「――ふふ、冗談ですよ。アイバさんの驚く顔が見たかっただけです」


 ……意地の悪い公爵様だな。


「見たかっただけって、それだけの為にわざわざここまで来たのか?」


「いえ、来月のルイス国際会議に向けてボドヴィッド中佐と少しお話しがしたくて」


 ルイス国際会議――


 魔族領の遺領を巡って、ヴァイラント王国、オルフォード帝国、エルス共和国、そして旧ゼルデリア王家のソフィアがルイス=ハート法国の首脳が話し合う会合。


 開催はもう来月になるという事で、会合の名前も正式に決まったらしい。


「――そちらが以前お話ししていたマリーさんですね?」


 ソフィアはドレスが汚れるのも構わずにしゃがみ込み、マリーに視線を合わせて話し掛けようする。


 しかし、マリーは俺の後ろに隠れて警戒心を露にしていた。


 俺が初めてマリーと顔を合わせた時と同じ反応である。


「初めまして、わたくしはソフィアと申します。今はアイバさんと一緒に王都で暮らしているのですよ」


「おにいちゃんと……?」


 マリーが俺を見上げて来たので、頷いた。


「以前、話した事があったろ? 王都でマリーと一緒に暮らさないかと提案してくれた人だ。後ろの二人はレナとクリス。マリーも仲良くしてやってくれないか?」


「……う、うん……」


 マリーは曖昧に頷いていた。


「けっ、アイバは女と見れば誰彼構わず手籠てごめめにするタラシかよ」


 相変わらず口汚いレナは俺に向かって罵詈雑言を浴びせかけて来た。


「そういうレナは、俺の手籠めにされた覚えでもあるのか?」


「ねえよ、そんなもん!」


 レナが大声を上げると、マリーはビクッと震えて再び俺の後ろに引っ込んでしまった。


「ほら、気を付けろ。マリーはお前と違って超繊細な子なんだからな」


「あぁ? あたしが繊細じゃないとでも言いたげじゃないか」


「そう言ってるんだよ。俺の意図がきちんと伝わって何よりだ」


「……いい度胸だ、アイバぁ。お前には前々からしつけが足りないと思っていた所だ。今日ここでお前のその鼻っ柱をへし折って――」


「――レナ。いい加減になさい」


 ソフィアに一喝されて、レナは一瞬で大人しくなる。


 このやり取りも懐かしいな……


「アイバさん、老先生の事は伺いました。わたくしも先ほど、墓前に花を添えて参りました」


 そうか、ソフィアも老先生とは顔見知りなんだよな……


 レナも以前、船酔いで具合が悪くなっていたのを老先生に診て貰っていたし、なんだかんだで俺達は彼の世話になってたんだ。


「ですが、その前に――」


 ソフィアは再びマリーの前にしゃがみ込むと、笑顔で語りかけていた。


「マリーさん、わたくしも老先生にはお世話になりました。ですので、今からお空にいる先生の為に魔法を使ってお別れをしたいと思います」


 俺にはソフィアが何を言っているのかさっぱり理解出来なかったが、マリーは少し興味があるようだった。


 ソフィアは立ち上がると空に向かって、大きく右手の平を広げていた。


 そして――


「『水泡弾バブルブラスト』」


 威力を最大限に絞った水の泡が、まるでシャボン玉のように風に揺られて空へと舞い上がって行った。


「……わぁ」


 マリーは思わず、声を上げていた。


 その表情は、老先生が亡くなって以来見せる事の無かった輝きを取り戻していたかのようである。


「ソフィア、すまんがもう一回頼めるか?」


 ソフィアは頷いて、もう一度『『水泡弾バブルブラスト』を空中に放ってくれた。


 俺はマリーがシャボン玉に触れられるように抱き抱えてやる。


「ほら、マリー。キレイだろ? 手でつかまえてみろよ」


「うん」


 マリーはシャボン玉に手を伸ばすが、マリーが触れた瞬間シャボン玉はパチンと割れてしまう。


「あ……」


 マリーは残念そうにしていたが、ソフィアが何度も『水泡弾バブルブラスト』を放ち、マリーにシャボン玉を摑むチャンスを与えていた。


 しかし、ついぞマリーがシャボン玉を摑む事は無かった。


「――なあ、マリー? このシャボン玉みたいにさ、人間もいつかは亡くなってしまうんだ。でも、シャボン玉は空高く上って行くだろ? きっと老先生も空でマリーの事を見守ってくれていると思うんだ」


「……うん」


「老先生が亡くなって俺も悲しい。けど、いつまでも悲しんでばかりもいられない。きっと、これからもっと楽しい事や面白い事が待ってるからさ。だから、慌てなくていいから少しずつ前を向いて歩けるようになろう。俺もずっと一緒にいるから」


「…………うん、うんっ」


 マリーは声を押し殺して、俺の胸で泣いていた。


 それを見ていたソフィアも涙ぐみ、クリスは明後日の方向を向いていた。


 レナだけがつまらなそうに「何クサいセリフ吐いてんだ、このタコ」とでも言いたそうな目つきで俺をめ付けていたのだった。

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