第251話 変化と別れの協奏曲 前編

 老先生が亡くなった次の日は朝から雨が降っていた。


 彼が亡くなったという訃報はその日の内に村中に広まり、村内には動揺が走っていた。


 難民地区が出来てから2年の間、彼の世話にならなかった村人はいない。


 村で唯一の医者がいなくなったというのも大きいが、それ以上に老先生は人として慕われていたのだ。


 彼の葬儀は村にある小さな教会で執り行われ、遺体は教会の裏手にある墓地へと埋葬されていた。


 クラスメイト達も老先生には世話になっていたのだろう、彼らは終始無言で葬儀に参列していた。


 高月は一晩泣き腫らして落ち着きを取り戻したのか、今日は気丈に振舞っている。


 マリーは老先生の遺体を見る度に涙を流していたので泣き疲れたのだろう、今は俺の背中で眠っている。


 キルスティ大尉は難民村の医者不足について窮状を訴えるべく王都へ向かって行ったが、良い返答は貰えそうになかった。


 何せ、王都もクーデターの影響で怪我人が続出しているのだ。


 そんな時に難民村へ回す医者の余裕などあろうはずがない。


 キルスティ大尉本人もそれはわかってはいたのだろうが、そうせずにはいられない性格なんだろうな。


 あの人は、お人好しが過ぎるんだ。


 老先生の葬儀と遺体の埋葬が終わると、俺と高月は診療所へ向かい、そこのベッドでマリーを寝かせてやった。


「――お前、これからどうするんだ?」


 分かり切った事を、しかし俺は高月に訊かずにはおれなかった。


「どうするって、決まってるでしょ? わたしに老先生の代わりなんて務まるはずがないけど、出来る事はやるつもりよ」


 高月は強がっているようだが、今にも折れてしまいそうな脆さがそこには同居しているように思えた。


「……マリーは、今後どうしたいか聞いてくれたか?」


 先日、俺が高月に依頼した事だった。


「ええ。マリーちゃんなりに色々考えて、悩んだみたいだったけど、結局はわたしと相場君と一緒に暮らせれば何でもいいみたいね」


「そうか……」


 このままマリーを高月に預けるのは彼女の負担にしかならないだろう。


 かといって、俺が王都へ連れていけば高月とは離れ離れになってしまう。


 何とかならないもんかね、この状況……


 その時、診療所の扉がノックされて人が入って来た。


「――パメラか。どうした、腹でも痛いのか?」


「ちょっと相羽君、デリカシーの無い事言わないでくれる?」


 高月は俺を押しのけるようにしてパメラの前に出た。


「昨日はすみませんでした。初対面の方の前であんな風に憤ったりして……」


 高月は真面目過ぎるんだよな。


 だから昨日みたいに、ため込んだモノを爆発させちまうんだ。


 まあ、その原因が俺なんだから何も言えないわけだが。


「いえ、わたしは気にしておりません。それより、タカツキさんの方は大丈夫でしょうか? 顔色が優れないようですけれど……」


 パメラに言われるまで気づかなかったが、確かに高月の顔色は少し青ざめているようにも見える。


「問題ありません。いつもの事ですから」


 いつもの事、ね。


 それなら俺も何も言うまい。


「そう、ですか……それでお二方にお話しがあって伺ったのですが、お時間はよろしいでしょうか?」


「そりゃ構わないが、監視員はどうした?」


「マテウス長官達の方を見ています。わたしは野放しにしていても問題ないと判断されたのでしょう」


 監視対象は人数的にも男性の方が多いしな、効率を考えたらそうなるか。


「――それで、お話しというのは?」


 診療所にある小さな丸テーブルに三人椅子を並べて円形になって座ると、高月がそう切り出した。


「わたし、治癒魔法が使えるんです」


「え……」


 高月は俺の方を見て来るが、俺は首を横に振るだけだった。


 俺だって初耳だ。


「もちろん水魔法士には敵いませんが、これまでタカツキさんがされていたような助手の役割であれば、担えるかと思いまして」


 そういやフィリーネも風魔法で俺のケガを治癒をしてくれた事があったな。


「それは有難い申し出ですけれど……」


 高月は俺の方をチラチラと伺って来る。


 やれやれ、しょうがねえな……


「治癒魔法ってどの程度のものなんだ?」


「切り傷や擦り傷程度なら治せます。骨折や内臓の損傷なども頑張れば何とか……ただ、失った肉体の蘇生なんかは出来ません」


 高月の魔法レベルがどれくらいかは知らないが、この診療所で魔法を使い続けているのだとしたら、それなりのレベルに達しているはずである。


 しかし、高月の魔力総量にも限界があるだろうし、高月自身が倒れた時のバックアップとしてパメラは十分な要員であるように思えた。


「それから軍隊では魔法が使えなくなった時の為に応急手当なんかも仕込まれていますから、少しくらいの怪我であれば魔法に頼らずとも対処出来ると思います」


 それはまあ、何とも心強くはある。


「……その、有難い申し出ではあるんですけど、ウチはお給金などはとても出せなくて……」


 高月自身もボランティアでやってる事だしな、当然パメラに給料なんか出せるわけがない。


「構いません。わたしは元より罪人の身。お金があってもここでは大した使い道も無いでしょうし、最低限の暮らしは保証されていますから」


「なら、高月達が使ってる風呂に入れる権利とかをあげたらいいんじゃないか?」


 俺がそう提案すると、即座に高月から睨まれた。


「そんな事言って、パメラさんのお風呂を覗くつもりじゃないでしょうね?」


「俺はほとんどこの村にいねえだろうが。そういう心配なら蓬田辺りをマークしといた方がいいぞ」


 アイツはパメラに一目惚れしていたフシがあるからな。


 由布と別れたばかりだというのに、お盛んな事で。


「……お風呂の件はともかくとして、どうしてパメラさんはウチで働きたいのでしょうか?」


「わたしは一連の騒動でヴァイラントを滅ぼしかけた張本人です。本来なら生きているのもおこがましい存在なのですが、それでもアイバさんに救われたこの命、使うなら人の為になる事に使いたいのです」


 命の使い道、ねえ。


 普通の人間なら命は守るべきモノとして扱うんだろうが、パメラは命は削ってでも他人に分け与えるものらしい。


「ゼルデリアが復活し、アイバさんがそちらに移住されたらわたしも同行しますが、それまでは是非、こちらでお手伝いさせて頂きたいと存じます」


「……そうですか。パメラさんのご意志はわかりました」


 そう言うと、高月は再び俺の方を見て来る。


 ……だから、何で俺の意見が必要なんだよ?


 この診療所はもうお前のもんだろうが。


「いいんじゃねえか? 働きたいってんなら働かせてやれば。そのブレスレットだって飛翔魔法を封じているだけで治癒魔法は使えるんだろ?」


「はい。それに、わたしがここにいればマリーさんのお世話も出来ると思います」


『あ……』


 俺と高月は同時に声を上げていた。


 パメラがマリーの世話をしてくれるなら、高月は医療に専念出来る。


 これぞ棚から牡丹餅ってヤツか?


 それともシーフの幸運が呼び寄せたものだろうか?


「で、ですが、パメラさんはマリーちゃんとは何の関係も――」


「わたしも孤児なのです」


「え――」


 高月は絶句していた。


 パメラのヤツ、もう隠す気もないらしいな。


「ですから、お二人の境遇やマリーさんのお気持ちは誰よりも理解出ると思うのです」


 今まで高月はマリーの面倒を見ながら老先生を手伝っていた。


 それをそっくりそのままパメラが引き継ぐという事か。


「…………パメラさんのお話しはわかりました。ただ、その……少し、考えさせてください。まだ気持ちの整理がつかなくて……」


「もちろんです。わたしの方も急いでいるというわけではありません。お気持ちの整理が付いたら返事をお聞かせ下さい」


 それだけ言って、パメラは診療所を出て行った。


 正直、パメラがここで働いてくれるのは俺としては有難い事この上ない。


 ただ、高月には何か引っかかるモノがあるようだった。


 それが何か分からないが、せめて彼女の気持ちの整理がつくまでは俺もこの村に滞在するとしますかね。


 …………別に、パメラの風呂を覗きたいわけではないので、念の為。

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