第239話 市民救助 前編

 屋敷の使用人部屋で目が覚めた俺は、まだ眠い目をこすりながら着替えを始めた。


 昨日、ゴルドヴァルドでハンゼル爺さんの長話に付き合わされた俺が王都に戻った時には、深夜になっていた。


 屋敷の連中は既に眠っていたので帰還報告が出来ないまま今を迎えているわけだが、まあ俺が帰らなかった所でもう心配なんぞはされないだろう。


 俺はミスリル装備一式を身に付け、ポシェットに魔晶石や回復アイテムを入れ込み、ダガーを腰に差す。


 少なくとも今日の昼前には、国王の親征軍が王都を包囲するだろう。


 もし、ボーデンシャッツ公の私兵がまた好き勝手をするようなら、また市民に犠牲者が出かねない。


 そうならないように俺が上手く立ち回らないとな。


 取り敢えずは王都中にいる知り合いに、市街戦へ備えるよう警告しておかなくちゃならん。


 準備を整えた俺が使用人部屋を出て、洗面所へ行くとクリスと鉢合わせた。


「おはようございます」


「よう」


「昨夜は随分と帰りが遅かったようですね?」


「悪いな、報告が遅れて」


「いえ、アイバさんの事ですから、きっと無事だとは思っていました」


 これは信頼されていると取るべきか、それとも諦められていると取るべきか。


「それはそうと、今日も稽古するんだろ?」


「そうですね……準備運動程度に軽くお願い出来ますか?」


 クリスも国王軍が迫っている事を肌で感じているんだろう。


 稽古で無理してケガでもしたら本末転倒だからな。


「わかった。その前に顔を洗わせてくれ」


 俺が洗面台に立つと、クリスはフェイスタオルを寄越してくれた。


 俺はクリスに礼を言ってから顔を洗う。


 冷たい水が顔の表面を襲って来るが、それが眠気覚ましとなって返って心地よい。


 俺はフェイスタオルで顔を拭きながら、自身の姿を鏡で確認していた。


 …………随分と、様変わりしたもんだ。


 身に付けているミスリル製の防具はもちろんだが、元の世界にいた頃はもっといろんな事を諦めたような表情をしていたと思う。


 それが今や生き生きと、やるべき事や目標に向かって進む迷いの無い表情をしているように見える。


 やはり俺はこの世界に来て、正解だったのだ。


 たとえクラスメイトの全員が元の世界に帰ったとしても、俺だけはこの世界に残る。


 改めてそう心に誓ったのだった。



 ◆◆◆◆◆◆



 クリスと朝稽古を終えて朝食を食べ終わった俺は、王都中の知り合いに市街戦に備えるように警告して回っていた。


 屋敷の連中は言うに及ばず王宮、魔法研究所、孤児院、それから市場のおっちゃんや鍛冶屋の親方、芸術劇場にいる団長等、気付けば俺にもたくさんの知り合いが出来ていた。


 王都の全ての人間に伝える事は出来ないが、それでも俺から話を聞いた彼らが周囲の人間に伝達すれば、より多くの人が戦闘に備える事が出来るはず。


 問題があるとすればボーデンシャッツ公が連れて来た私兵だ。


 金で雇われた傭兵なんかも多いが、純粋にボーデンシャッツ公に仕える兵士達もいるわけで、そういった連中は公の為に命を賭して戦う姿勢を見せるだろう。


 これ以上、一人として市民の犠牲者なんか出させてたまるか。


 ――そうだろう、ナタリエ?


 これが彼女に対する贖罪になるのかどうかわからないが、今の俺に出来る事といったらそれくらいしかない。


 俺が屋敷の前まで戻って来て、門を開けようとしたその時。


 王都の外側で高らかにときの声が上がっていた。


 ――来たか。


 俺は急いで屋敷に戻ると、玄関にいたレナに話し掛けた。


「今の声、聞いたか?」


「あぁ……とうとう陛下の親征軍が帰って来やがったのか?」


「そうらしい。お前はソフィアと一緒にヒルダ達を連れて2階へ避難していろ」


「アイバはどうするんだ?」


「軍の司令部から遊撃兵としてヤバそうな所に手を貸す役目を仰せつかってるんでな。そのとおりに動くさ」


 今回の俺はあくまでサポート役。


 戦の主役は国王であり、親征軍で無ければならない――


 それがディートリヒ中将やロザリンデ少佐達が俺の作戦参加を認めた条件だった。


 全く、それで犠牲者を出していたら元も子も無いってのに……


 と、今更愚痴っていても始まらない。


「――アイバさん」


 レナと会話していたら、廊下の向こうからクリスが小走りにやって来ていた。


 彼女は軍服に着替えており、髪はポニーテール、腰にはレイピアを携えている。


「準備は万全のようだな。屋敷の防衛は任せていいか?」


「もちろんです。前回と同じてつは踏みません。その為に稽古をして来たのですから」


 クリスは腰のレイピアを握り締めながら、決意に満ちた瞳で俺を見据えていた。


「いい眼だ。ここは頼んだぞ」


「はい」


「万が一、不測の事態でも起きたら空に向かって雷撃の魔法を放つようにソフィアに言ってくれ。そしたら俺が駆け付けるから」


 クリスが頷くのを確認すると、俺は玄関まで戻り、屋敷を出て行こうとする。


「――アイバさんっ」


 階段の上から呼び声がしたので上を向くと、ソフィアが窓枠から身を乗り出してこちらを見ていた。


「どうか、お気を付けて――!」


 俺は軽く手を挙げてそれに応えると、屋敷を出た。


 外はすでに物々しい騒ぎになっており、国王軍の迫っている東側から西へ逃げる者や、反対に東の城門へ向かうボーデンシャッツ公の兵士達でごった返している。


 さて、マテウス国防長官は約束どおり城門を開けて国王軍を迎え入れてくれるんだろうか。

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