第233話 難民村のディソナンス 後編

 俺が診療所の中に入ると、マリーが椅子に座らされ、高月がマリーの膝にガーゼを巻いている所だった。


 マリーの隣には笠置も佇んでいる。


「……アイバ君? 何しに来たの?」


 笠置のヤツ、相変わらず言葉がキツいな。


「マリーに会いにな。五龍に訊いたらここにいるって言うから」


 マリーは泣き腫らした後のようで、目の周りが真っ赤に染まっていた。


「――さ、これでもう大丈夫よ。マリーちゃん、立てる?」


「うん……」


 高月に促されてマリーは椅子から立ち上がると、少し歩いてみせた。


 多少、ケガした足を引きずるような挙動をしていたが、歩けないというほどでもないらしい。


「何で魔法で治してやらないだ? そんなケガ、お前なら一発で治せるだろ」


 俺が苦言を呈すと、高月は渋い顔をして俺を睨んで来た。


「あのね、何でもかんでも魔法で治していたら、人間が本来持っている治癒力が衰えちゃうじゃない。マリーちゃんが魔法依存症になっていいっていうの?」


「いやだって、泣き腫らすくらいに痛かったんだろ? そりゃ、魔法で治療する範疇じゃないのか?」


「マリーちゃんはね、アイバ君と違って繊細なの。とっても傷つきやすいのよ。ちょっとのケガでも普通の人より倍くらい痛みを感じる体質なの」


 悪かったな、鈍感で。


「それから転んで泣いたのは痛みというより、驚きとか恥ずかしさとか、そっちの方が大きかったみたいよ?」


「そうなのか、マリー?」


 俺が尋ねると、マリーは小さく頷いていた。


「そっか。すまなかったな、治療に口出しして」


 俺は高月に頭を下げた。


「別にいいわよ。本来ならインフォームド・コンセントとして、保護者のあなたと治療方針について話をしなければいけなかったんだから」


 それは、保護者の俺が不在だった事を暗に責めているのだろうか。


「マリーの事については、高月の方針に任せるよ。丸投げっていうわけじゃあない。それくらいお前の医者としての腕を信じてるって事だ」


 高月は何も答えなかった。


「――じゃあ、あたしはこれで。夕食の支度も途中だったし」


 笠置はそう言うと、診療所のドアノブに手をかけていた。


「あ、うん。ありがとね、遙」


「あんたがお礼を言うのも変だと思うけどね……ま、いいわ。夕食はすぐに出来るから、あんたらもすぐに来なさいよ?」


 笠置が診療所から出て行くと、俺はマリーを椅子に座らせた。


「あのな、マリー。今日はお前に訊きたい事があって来たんだ」


 マリーの前で膝を折り、目線を合わせてそう言った。


「ききたいこと……?」


 マリーは無垢な瞳で俺に問い返す。


「あぁ。俺は今ここから少し離れた王都にいるんだが、そこで家を借りてマリーと一緒に暮らそうと思っている」


「…………そうなの?」


「もちろん、マリーがイヤだといえばそんな事はしないが、俺もそろそろ独立したくてな。近い内に世話になっている屋敷を出て行こうと思ってるんだ」


「…………」


 マリーはよくわからない、と言った様子で首を傾げていた。


「屋敷の主からはマリーと一緒に屋敷に住めばいいとも言ってくれている。屋敷の連中は皆良いヤツらばかりで、きっとマリーとも仲良くしてくれると思うんだ」


 突然の事で戸惑っているのか、マリーは何も答えなかった。


「だからさ、マリーはどうしたいのかと思って、今日はそれを訊きに来た」


 マリーはしばし逡巡する様子を見せた後、こう言った。


「……わたしは、おにいちゃんとおねえちゃんといっしょなら、どこでくらしてもいい」


 一番返答に困る回答だった。


 俺は思わず高月の方を見て見るがヤツも同じ気持ちだったのだろう、少し困ったように笑っていた。


「そうか」


 俺は立ち上がると、今後は高月と向き合った。


「――というわけだ。お前も俺達と一緒に暮らさないか?」


「……はぁ、無理に決まってるでしょ? 私はここで医者をやっているのよ? 私がいなくなったら、また老先生一人になっちゃうじゃない。相羽君がここで暮らせばいいだけじゃない」


 ……だよなぁ。


 だが、それには大きな問題が二つある。


「あのな、高月。もうすぐゼルデリア王国が復活するかもしれないんだ」


「……ゼルデリアが? どういう事?」


 俺は魔族軍の遺領を巡って2ヶ月後に各国会談が開かれる事を説明した。


「それじゃあ、この難民村は――」


「そうだ。ここは旧ゼルデリア王国の人間が作った場所だからな、祖国が復活したとなれば皆国へと帰るだろう。もちろん今すぐに――という話じゃあないが、そう遠い未来というワケでもない」


「そしたら、私達だけがここに取り残されるのね……」


「それも違う」


 俺は首を横に振った。


「これはまだ王都にいる文献調査組にしか話してないんだが、元の世界に帰る方法が見つかったんだ」


「え、本当に?」


「確証はない。だが、俺が見つけた文献を信じるなら、帰る事は出来るはずだ」


「それじゃあ、マリーちゃんは……」


 高月は心苦しそうな表情でマリーを見ていた。


「安心しろ。俺はこっちの世界に残るから、マリーを一人にはさせない」


「残るって……相羽君は帰らないの?」


「あぁ。元の世界に俺の居場所なんて無いからな。こっちの世界で気ままに暮らしている方が性に合ってる」


 いくらブリュンヒルデの呪いが薄まっているとはいえ、今更あの家族が俺を受け入れるとは思えなかった。


「高月達は元の帰りたいんだろ? ゼルデリア人もお前らもいなくなったら、ここはもう村では無くなる。だから遅かれ早かれ、マリーはここを出なくちゃならないんだ」


「そう、なんだ……」


 そう呟いた高月は、やけに気分が沈んで見えた。


「どうした? 元の世界に帰れるんだぞ、嬉しくないのか?」


「……確かに、最初は元の世界に帰りたいと思っていたわよ。でも、今はこの村で医者として皆の役に立てている事に生き甲斐のようなものを感じているの。急に元の世界に帰れるとか言われても、心の整理がつかないわ……」


 コイツの実家は歯医者とか言ってたな。


 普段の身なりや言動からして、きっと大切に育てられたんだろう。


 高月には俺とは違って元の世界に帰る場所があるのだ。


「突然行方不明になったりして、お前の家族も心配してるんじゃないのか?」


「……わかってるわ」


「笠置や他のクラスメイト達は元の世界に帰っちまうんだぞ?」


「わかってるってば」


「こっちの世界に残ってたって飯はマズイし、衛生環境は悪いし、戦争やクーデターが起きてばっかりでまともな生活なんて――」


「だからわかってるのよ、そんな事はっ!!」


 高月は俺の胸倉を掴んで、そう叫んでいた。


「あなたがマリーちゃんをほったらかしにして!! だから、私が責任持って育てるんだってようやく納得しかけたっていうのに!! なのにどうして今、あなたがそんな事を言うのよっ?! 私は、あなたと一緒ならこの世界でだってうまくやっていけるって、そう――」


 高月はそこまで言うと、突き飛ばすように俺の胸倉から手を離した。


 気まずい空気が診療所を支配していた。


 マリーもこんなに激昂した高月を見たのは初めてだったのだろう、驚きと共に少し怯えているようにも見える。


「…………いや、その……すまん」


「……何に謝っているのよ」


「まさか、お前がそんなにマリーと一緒に暮らしたいと思っていたとは知らなくて。随分と無責任な事を言ったと思ってな、本当にすまん」


 俺が高月に頭を下げた。


「………………はぁ」


 高月は盛大なため息を吐くと、俺の頭をコツンと叩いた。


「相羽君って他人の事はよく観察している割に、自分の事となると鈍感なのね」


「……どういう意味だ?」


「そのまんまの意味よ」


 俺が頭を上げて問いかけるも、更なる謎かけを与えられたような気分になった。


「相羽君、鈴森さんと二ノ森さんに告白されたんでしょ? 何て返事したの?」


 ついでに言えば氷上と音羽にも告白されたんだが、それは言わなくていいよな。


「いや、まだ戦争が完全に終わったわけじゃないからな。保留のままにしてある」


「…………そう」


 なぜ高月がそんな事を訊いて来たのかはわからなかったが、俺がそれを尋ねる前に彼女はマリーの手を取って立ち上がらせていた。


「そろそろ夕飯の時間でしょ? 早く行きましょう、遙達に怒られちゃうから」


「高月」


 俺は彼女に後ろ姿に呼びかけた。


「……何よ」


「明後日には国王の親征軍が王都へ戻って来る。そしたらクーデターはすぐに鎮圧されるだろう。その時になったらまたここへ来るから、それまでにマリーがどうしたいか、意向を訊いておいてくれないか?」


「……イヤだと言ったら?」


「それなら仕方ないが、こんな事頼めるのはお前しかいなくてな。だから――」


「――わかったわ」


 高月は背中越しに、有無を言わさない口調でそう言った。


「訊いておいてあげるから、相羽君も早く来なさい。マリーちゃんと一緒に夕飯を食べてあげるのが、今のあなたが出来る事なんだから」


 俺の返事も待たずに、高月は診療所を出て行った。


 …………アイツには世話になりっぱなしだな。


 今度、何か贈り物でもしてやろうかね。


 俺は後頭部をかきながら、高月の後に続いて診療所を出た。


 難民村の空はすっかりと暗くなっており、虫たちが合唱を始めていた。


 俺の頬を撫でるそよ風が心地いい。


 この後は、パメラとの定期報告がある。


 果てして彼女はこの場所に来るだろうか?


 前回、俺の書いた報告書の内容を鑑みれば、彼女がここへ来ない可能性も十分にある。


 さあ、どう出て来る?


 パメラ・メッツェルダー――

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