第230話 守りたい笑顔 前編
その日の午後、俺は何度目か分からない王宮へと侵入を試みていた。
昨日は迷宮の地下81階と82階を攻略、今日は朝から地下83階攻略に取り掛かっていたのだが、あまりに長大な迷路とトラップの多さに辟易し途中で切り上げ、気分転換にユリアーナ王女へ会う事にしたのだった。
いつものように『隠密』を使って、王宮3階にある王女自室の開いている窓からコッソリと中を覗く事にする。
王女は部屋の中央に置かれているソファに腰掛け、少し俯いているようだった。
おあつらえ向きに他には誰もいない。
俺は窓を軽くノックしてみた。
「……? あ、アイバさん……?」
王女はゆっくりと窓枠に近づくと、俺を中に招き入れた。
「悪いな、毎度こんな訪問の仕方で」
「あぁ……それでしたらもう大丈夫ですよ。わたくしの方から見張りの兵にはアイバさんを通しておくように言っておきましたので」
「そりゃ助かる」
王女は少しだけ困ったように微笑を湛えていた。
「何だ、元気が無さそうだな」
「……ダメですね、わたくしは。王女たるもの、民にそのような心配をされるようでは……」
いや、マジで元気ないな……
俺はやや強引に王女の部屋に入ると、彼女は特に咎める事もせず俺をソファに座るように促して来た。
王女は俺の対面のソファに座る。
「……来月にはわたくしの婚儀が行われると、先ほどボーデンシャッツ公から通達がありました」
クーデターを起こした年の離れた叔父との結婚、ねえ。
そりゃテンション下がるわけだ。
「心配するな。明後日には国王の親征軍が王都へ到着する。そしたらすぐに王都は解放されるさ」
「そう、であるとわたくしも信じてはいるのですけれど……」
――あ、そうか。
ユリアーナ王女にはまだ報告してなかったっけ。
「以前話したマテウス国防長官とミハエル参謀総長を寝返らせる話だがな、既に約束は取りつけてるんだ」
「え……?」
「今の地位を剥奪させるくらいの落とし前は付けさせてもらうが、命だけは助けてやるという条件でな。軽く脅したら簡単に落ちたぞ」
「そうだったのですか……」
王女は複雑な表情をしていた。
元々、王女はあの二人を脅して寝返らせる事に懐疑的だったからな。
身分が剥奪された事で王家に恨みを持って、今度はあの二人が反乱を起こすかもしれない――
その可能性はゼロでは無かった。
とはいえ、軍の参謀達が考えた作戦なのだから、その辺の後始末もきちんとしてくれるだろう。
多分、知らんけど。
「あんたの気持ちはわかるけどな。二人が寝返るだけで流れる血が大幅に減ると考えたら、コスパはいいと思うがな」
「……アイバさんは、お優しいのですね」
今のセリフのどこら辺に優しさを感じたのかさっぱり分からない。
「それよりこの前の宿題、答えは出たか?」
宿題というのはもちろん彼女が本当は何を望んでいるのか、それを考えさせる事だった。
「……はい。わたくしは自分で思っていたより、自分の事をわかっていなかったのだと痛感しました」
王女にとっては自己理解が深まるきっかけになったようだ。
「それで、あんたは一体何を望んでいるんだ?」
「……わたくしは、もっと世界を知りたいと思いました」
「世界を?」
「はい。生まれてこの方、王都と修道院しか知りません。海を見た事も無ければ、他国へ赴いた事もありません。異国には一体どんな人が暮らしていて、どんな文化が花開いていて、どんなに美しい自然があるのか……本で読んだ知識だけで、わたくしは実際には何も知らないのです」
単に知っているだけの知識と、体験に基づいた知識の間には、決して越えられない壁がある。
王女は、その壁を越えようとしているのだ。
「それにわたくしには異母姉がいるとも伺いました。その事が原因で母は精神を病んで亡くなったとも……わたくしはそんな事も知らずに生きていたのです。だから、わたくしはもっと知りたい。世界を、わたくし自身の事を」
ユリアーナ王女はアーデルハイトと異母姉妹である事を知らなかったのか。
それに彼女の母、イレーネ王妃はアーデルハイトの存在を知って精神を病んで亡くなっていた。
王家としてはそんなゴシップ、さすがに隠したくなるわけだな。
「アイバさんは、異国へも赴いた事があるのですよね?」
「ん? まぁ、な。ルイス=ハート法国と荒廃した旧ゼルデリア領土だけだが。あと、この世界の海は見たぞ。俺の元いた世界と変わりなかったけどな」
「……羨ましい限りです」
別に海なんざ見なくても死にはしないのだが、無い物ねだりというか、隣の芝生は青く見えるというか。
人生のほとんど王宮と修道院で過ごして来た王女にとっては、この世界はあまりに広く、そして大きすぎるのだろう。
「やっぱり血筋なんだろうな。フィリーネも好奇心旺盛で、あっちこっち飛び回っていたから」
「……あの子は昔からそうでした。飛翔魔法が使えるので海であろうと山であろうと簡単に世界を広めてしまえる」
やっぱり、彼女はどこかソフィアに似ている。
この憂いを帯びた表情、やりたい事を我慢して立場に縛られている状況、俺みたいな得体の知れない人間を易々と受け入れてしまえる器の大きさ。
どこか放っておけない危なっかしさまで、そっくりだ。
「もしあんたの願いが今すぐ叶うとしたら、どうする?」
「どうする、とは?」
「俺がどうやってここまで来たか知ってるだろ? 俺なら、あんたと王都の外へ連れ出して海を見せてやる事も、異国の地を見せてやる事も出来る」
「それは……」
王女は逡巡しているようだった。
俺は王女に手を差し伸べた。
だが、彼女は俺の手と顔を交互に見るばかりである。
「何を迷う事がある? 心の底から願うんだったら、今すぐに俺の手を取ればいい。それとも、俺の事が信用出来ないか?」
これまで人を散々疑って来た俺が言えたセリフではないんだけどな、王女を追い込むには効果的な言葉だろう。
「そ、そういうわけでは……」
王女は迷っている。
彼女が俺の手を取ってしまえば、外の世界を知ってしまえば、もう今までの自分に戻る事は出来ないからだ。
王宮内で、王女として粛々と公務をこなすだけの自分ではいられないのだと。
人は変わりたいと願う一方、変わりたくないとも願う相矛盾した生き物である。
俺が強引に彼女と手を取って、外へ連れ出す事は簡単だ。
だが、それでは意味が無い。
彼女が、自らの意志で変わりたいと本気で願う事こそが、本当の意味で世界を知るという事なのだから。
「――わかりました」
彼女は恐る恐る、といった様子で俺の手を取った。
「それでいい」
俺は満足げに頷いて見せると、王女を強引に抱き寄せお姫様抱っこする。
「――ちょ、アイバさん?!」
「いいから、しっかりつかまってろ。振り落とされるぞ」
「きゃああああああああっ?!」
俺は王女を抱き抱えたまま、指輪の飛翔魔法を使って部屋の窓から飛び出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます