第213話 生きてて良かった

 王宮を後にした俺は、その足で魔法研究所へと向かった。


 ボーデンシャッツ公は魔法研究所には余り興味がないのか、こっちの方には彼の私兵を見かける事はほとんど無かった。


 魔法研究所に着くと門を開けて、そのまま敷地内に進入する。


 外は静かなもので、人っ子一人存在しない。


 俺は更に足を進めて、建物内に足を踏み入れた。


 クーデターが起きた後だからか建物内はいつもよりも閑散としており、人の気配もほとんどなかった。


 そんな中で1階の通路奥、セシリア主任の研究室とその奥にある資料室には、俺の良く知った気配が感じられた。


 まずはセシリア主任の研究室に寄るか。


 彼女の部屋の前でノックをすると、「どうぞ」と力の無い声が返って来た。


 扉を開けて中へ入ると、セシリア主任は机に向かって何かの本を熱心に読んでいるようだった。


「よう、生きてたか」


 俺は努めて軽く挨拶してやった。


「――あ、アイバ?!」


 セシリア主任は椅子から転げ落ちるように立ち上がると、一直線に向かって来るや抱き着いて来た。


「あぁ良かった、生きてたのネ!!」


「お蔭様でな」


 柔らかい肌の感触と、甘い香り。


 そして、人肌の温もり。


 シスターといい、セシリア主任といい、年上の女性は俺に抱き着くのが趣味なんだろうか。


 自分で言うのも何だが、そんなに抱き心地が良いとは思えなかった。


 ミスリル製の防具を身に付けているから尚更に。


 セシリア主任は俺から少しだけ身体を離すと、何を思ったのか俺の唇に自身の唇を近づけて来た。


 俺はミスリルの鉢金で彼女の額に頭突きを食らわせる。


「い、痛っ?! ちょっと、アイバ?! 何をするノ?!」


「それはこっちのセリフだ。普通にキスしようと迫って来るんじゃない」


「再会の喜びを表そうと思っただけなのニ……」


「それはハグで十分に表現しただろ」


 俺はセシリア主任の身体を引き剥がした。


「アイバはつれないのネ……でも、そこが魅力でもあるんだケド」


 器用にウインクするセシリア主任。


 もう、ツッコむ気にもなれん……


「あんたは無事みたいだが、他の所員も全員無事だったのか?」


「……いいえ、二人ほど犠牲者が出てしまったワ」


 セシリア主任の話によればその二人は貴族階級であり、東側の貴族地区在住なのだという。


 運悪くボーデンシャッツ公の私兵に家屋を襲われ、命と財産を奪われてしまったのだという。


「……そうか。あんたも大変だったんだな」


「ワタシは全然……それよりも亡くなってしまった人達と、その家族が気の毒デ……」


 この人、普段のテンション高い感じとは裏腹に、心の中は結構繊細なんだろうな。

 

 他人の痛みを自分の事にように感じているらしい。


「その家族についてだがな、ティーナは無事だったぞ。孤児院で子供達を𠮟りつけるくらいには元気だった」


「そう……良かったワ。教えてくれてありがとう、アイバ」


 亡くなった人が大勢いるのに自分だけが素直に喜ぶわけにはいかない――セシリア主任の顔にはそう書いてあった。


「ところでこの指輪だがな、もう少しレンタルしててもいいか? まだまだ各国の情勢は不安定なんでな」


「もちろんヨ。それだけアイバの役に立っているならワタシも本望だもノ。なんだったら婚約指輪としてずっと身に付けてもらっも構わないワ」


「安心しろ、必ず返却はするから」


「うふふ、やっぱりアイバは面白い子ネ。ね、ノリコ達も無事だから顔を見せてあげテ? きっと皆喜ぶと思うワ」


 星居や白鷹はともかく、音羽はどうだろうな。


 罵倒される方に一票。


 俺はセシリア主任と別れると、その足ですぐ隣に資料室へと向かった。


 資料室の扉をノックすると、すぐに白鷹が扉を開けて出て来た。


「よう」


「……あ、相羽君?! 良かった、無事だったんだ……あ、どうぞ、入って?」


 白鷹は俺を部屋に招き入れた。


「相羽君だ~、やっほ~」


 星居は相変わらずのマイペースだった。


「生きて帰って来たみたいね」


 音羽も相変わらずツンケンしている。


「残念ながらな。お前らも無事みたいで何よりだ」


 白鷹が椅子を用意してくれたので、俺がそれに腰掛ける。


 そして、テーブルを囲んで音羽達にこれまでのいきさつを話した。


「……そう、魔族軍はもういないのね」


 俺の話を聞いた白鷹が、そう呟いた。


「別大陸にも侵攻してるらしいから、完全にいなくなったわけじゃないけどな」


 別大陸の存在については音羽達も文献で知っていたらしく、当然の事として受け止められた。


「――それで?」


 音羽が意味不明な問を投げかけて来た。


「それでって何だよ。お土産ならないぞ」


「要らないわよ、そんなもの。そうじゃなくてどうして結奈達を要塞に置いて来たの?」


「俺が置いて来たんじゃない。アイツらが自分達の意志で要塞に残ったんだよ。また魔族や帝国が攻めて来ないとも限らないからな」


「アンタは残らなくて良かったの? ていうか残りなさい。結奈の傍にいてあげなさい」


 コイツ、マジで鈴森ラブ過ぎんだろ……


「あのな、俺は俺でやる事があるんだよ」


「だったらそれを早く終わらせてさっさと戻りなさいよ」


 つい先日、コイツが俺に告白して来た事は夢だったのではないかと疑いたくなる。


「そのやる事の一つがお前らと話をする事だっつの」


「何よ、世間話なら結構よ」


「え~、わたしは相羽君ともっとお話ししたいよ~」


「萌は黙ってて」


「ぶ~」


 星居は頬を膨らませて、音羽に抗議していた。


「実はな、元の世界に戻る事に関する情報が手に入ったんだ」


「ホント?!」


 一番反応したのは白鷹だった。


「あぁ。以前話したようにやはり魔晶石は必要なんだが、ポイントは魔晶石への魔力の溜め方にあった」


 俺は『盗賊の書』に書かれていた内容を説明した。


「……アンタにしか入れない迷宮? 何だか胡散臭いわね」


 音羽は眉間に皺を寄せながら言った。


「胡散臭いも何も魔晶石はそこでしか取れないし、俺が今身に付けている防具も全部迷宮で拾ったもんだ」


「……その防具、カビとか生えてないでしょうね?」


 何の心配をしているんだ、コイツは……


「カビが生えてたってお前にゃ関係ないだろ。とにかく、迷宮の地下100階まで下りれば元の世界に帰れる魔晶石が手に入るんだよ」


「なら、こんな所で油を売ってないで早く行って来なさいよ」


「そう簡単に行くならとっくにやってる。迷宮の敵は強いし、罠だらけだし、複雑な迷路になってるしで、階を1つ下りるだけでも命がけなんだよ」


「言い訳ばかりでみっともないわね。もうアンタはここに来なくていいから、早くその迷宮とやらに向かいなさい」


 音羽は立ち上がると、俺を無理やり資料室の外へと引っ張り出して行った。


 通路に出るや、俺は音羽に抗議した。


「お前な、早く元の世界に戻りたいのはわかるが――」


 しかし、音羽は彼女の右手人差し指を俺の口元に当てて来た。


「…………これで、結奈と一緒に帰れるのよね?」


 しょぼくれた様子で、音羽が言っていた。


「『盗賊の書』に書かれていた事が本当ならな」


「そう……」


 音羽はそう呟くと、目に涙を浮かべてその場にしゃがみ込んでしまった。


「……昨日の朝ね、お屋敷に泊まっていたの。そしたら見ず知らずの人達がいきなり襲って来て、クリスさんとソフィアさんが戦って、それで――」


 そうか、昨日は音羽が宿泊する日だったのか。


「悪かったな、大事な時にいなくて。お前にもイヤな思いをさせた」


「……別に、アンタなんていなくたって――ううん、やっぱり違う。アンタがいてくれれば、きっとこんなに犠牲は出なかった……そう思う」


 俺一人で何でもかんでも出来るわけじゃあない。


 ただ、せめて身の回りにいる奴らくらいはこの手で守ってやりたかった。


 そうすれば、ナタリエだって――


「……ごめんね、もう大丈夫」


 音羽は無理に笑顔を作って立ち上がっていた。


「お前、これからどうするんだ?」


「どうするって、何が?」


「元の世界に戻る方法はわかったんだ。なら、この資料室にいる意味はもう無いだろ」


「アンタがいつ迷宮の地下100階に到達するかわからないんだから、あたし達はあたし達で今までどおり別の方法を探ってみるわ」


「そうか」


 それから少しの間沈黙が続いた。


 資料室の扉の向こうで、白鷹と星居が聞き耳を立てている気配がする。


 下手な事を言えばあとで面倒な事になりそうだったので、俺はさっさと研究所から立ち去る事にした。


「俺はもう行く。しばらくは王都にいるつもりだから、何かあったら屋敷に来い」


「……うん」


 俺が立ち去ろうとすると、音羽が俺の服を引っ張ってその場に留めようとしていた。


「……何だよ?」


「……さっきは言い忘れていたんだけどさ」


 音羽は言いづらそうにしていたが、俺は黙って彼女の次の言葉を待った。


「その……あんたが生きてて良かった」


「……お互いにな」


 静かな研究所の廊下で、俺はわずかばかり胸が熱くなるのを感じていた。

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