第214話 路地裏の襲撃者
研究所を出た俺はそのまま南下し、市場へ向かっていた。
王都内はボーデンシャッツ公の私兵が我が物顔で闊歩している一方、王都の住民は彼らを警戒しているのか、ほとんど姿を見かけない。
実際、ガラの悪そうな連中であり、俺も何度か挑発的な視線を送られていたが、
国王軍が戻って来たらこんなヤツら、あっという間に駆逐されてしまうんじゃないか――そんな気すらする。
クーデターを成功させたのはいいが、その後のビジョンがまるで見えて来ない。
やはりボーデンシャッツ公は最初から滅びの道を歩むつもりで、事を起こしたとしか思えない。
俺が市場に到着すると、通常の半分くらいの店が開いていた。
食料品を扱う店はそこそこ開店していたが、雑貨や陶器といった店は閉店が目立つ。
生鮮食品は余って在庫になると腐るだけだから、無理をしてでも売り捌きたいんだろう。
陽が暮れ始めており、市場自体がもうすぐ締まるという事もあってか、客足は決して多くはない。
そんな中、俺はいつものおっちゃんの店へと足を運んだ。
「――おう、兄ちゃんか。生きてたんだな」
おっちゃんは少しやつれたような顔をしていた。
「そっちも無事だったみたいだな」
「あぁ。それにしても、どうしたんだその鎧? 戦争にでも行ってたのか?」
いつもは執事服で買い物してるからな、おっちゃんが驚くのも無理はない。
「まあ、そんなようなもんだ」
「……ま、兄ちゃんにも色々あるんだろう。それより今日は何が入用だい?」
「この店に保存が利く食べ物ってあるか?」
「保存食か? あぁ、あるぜ」
おっちゃんが出してくれたのはドライフルーツ、ジャム、ピクルスや乾燥シイタケなどだった。
「へえ、結構色々あるんだな……」
「在庫はこれで全部だ。大きな声じゃ言えないが、ボーデンシャッツ公のお蔭で物流が完全に止まっちまったからな。次はいつ手に入るか正直わからん」
クーデターの影響は物流、ひいては経済にまで影響を及ぼしているんだな。
はた迷惑な話だ。
「そしたら売れるだけ売ってくれ」
「う、売れるだけって……兄ちゃん、本気か?」
「本気さ。金ならある。欲を言えば全部買い占めたい所だがな、それだと他の客が困るだろ?」
「そりゃあそうだが……」
おっちゃんは後頭部をポリポリと掻きながら、在庫のいくつかを革袋に詰めて俺に渡してくれた。
「手ぶらじゃあ持ちきれないだろ? その袋はおまけだ」
「サンキュー」
俺は金を払うと、おっちゃんに気になっていた事を訊いてみた。
「市場の方では犠牲者は出なかったのか?」
「そうさなぁ、少なくとも俺の知り合いは全員無事だった。ただ、商売が滞っちまってるから、生きてたって良い事なんざありゃしないのかもな……」
おっちゃんはすっかり意気消沈しているようだった。
「落ち込むのは勝手だが、おっちゃんに死なれたら俺は困るぞ。質の良い食材が手に入らなくなっちまう」
「へっ、それで励ましてるつもりか? ……いやまあ、そうやって兄ちゃんみたいに必要としてくれる人がいるってんなら、商売人冥利に尽きるのかもな」
おっちゃんは少しだけ、涙ぐみながらそう言っていた。
「そっちもユレンシェーナ家の皆は無事だったのかい?」
「あぁ。怪我人は出たがな、命に別状はない」
「そりゃ何よりだよ……貴族地区は大変だったみたいだからな、兄ちゃんも生きててくれてたし、生存記念に今度ウチの娘に会ってみないか?」
「なんだよ生存記念って。それにどうしておっちゃんの娘に会わんきゃならん?」
「兄ちゃんみたいなヤツをウチの婿に迎えたいと常々思ってたんだよ。どうだ? ウチの店を継ぐ気はないか?」
「いや、俺は執事だから……つーか娘って今いくつなんだ?」
「今年で9歳になる」
「普通に犯罪じゃねえか。娘をもっと大事にしろよ」
そんな冗談とも本気ともつかないような会話をすると、俺は市場を後にした。
これで王都の現状把握は一通り終わったな。
買物袋を掲げながら孤児院へ戻ろうかと思っていたのだが、妙な気配が俺をつけ回している事に気付いた。
数は二、三……四人か。
殺気が駄々洩れ、実力も素人に毛の生えたようなだろう。
倒すのは簡単だが、誰の差し金かは気になる所だ。
俺はワザと人気のない所を歩き、敵を誘い込む事にした。
のんびりを路地裏を歩いていると前方に二人、黒ずくめの男がダガーを手にして現れた。
後ろを振り向くとこちらにも黒ずくめの男が二人、こっちは剣を携えている。
「何だ、お前ら? 俺を襲っても良い事は何もないぞ」
黒ずくめの男達は何も答えず、真っ直ぐ俺に向かって襲い掛かって来た。
やれやれ、仕方がないな……
「『
俺は前方の二人に向かって砂煙を浴びせて視界を奪うと、後方の二人に向かって駆け出した。
黒ずくめの一人が俺に向かって剣を振り下ろして来るも、俺はあっさりとかわしてソイツの腹に膝蹴りを食らわせる。
その間にもう一人の黒ずくめが剣で俺を突き刺してに来る。
俺はミスリルの小手で剣を受け流すと、黒ずくめの顔面を殴りつけた。
これで二人は沈黙、残るは前方にいた二人だが――
砂煙で視界を奪われた黒ずくめの二人はその場にいなかった。
仲間を見捨ててさっさと逃げ出したようだ。
俺は顔面を殴られて呻いている黒ずくめの胸倉を掴み、無理やりに立ち上がらせる。
「おい、誰の命令でこんな事をしている?」
しかし、黒ずくめの男は呻くばかりで俺の質問には答えなかった。
仕方がないのでギリギリと首を圧迫してやる。
「……ぐがぁ?! わ、わかった! しゃ、喋るから命だけは――っ」
俺は黒ずくめの胸倉から手を離すと、ソイツは重力に従ってドサっと地面に倒れ込んだ。
「……で?」
俺はしゃがみ込んで、再び黒ずくめに問いかける。
「ゲッホ、ゲッホ……お、俺も詳しい事はわからねえ……」
「指を一本ずつ折られたいか? それとも髪の毛を一本ずつ抜かれたいか?」
「ほ、本当に知らねえんだよ! ……酒場でフードを被った女にあんたを襲うように金で雇われただけで……」
フードを被った女……?
一人だけ心当たりがあったが、どうしてアイツがこんな雑魚を俺に寄越すんだ?
コイツらでは俺に勝ち目がない事くらい、すぐにわかるだろうに。
「その女、他に何か言ってなかったか?」
「あ、あんたに会ったら『西へは来るな。さもなくば今度は仲間の命は保証しない』と伝えろって……」
…………なるほどな。
随分と手の込んだ事をしてくれたが、要するにガロ・サパリ連合軍が王都の西側に侵攻するのを邪魔するなって事か。
ガロ軍は脅しであり本気でヴァイラントを攻めるつもりはないとオクタヴィアから聞いたんだがな。
それでも俺に来るなって事は、それだけ俺の実力を恐れているという事であり、俺と直接戦ってその実力を知っている人物の仕業だろう。
やはりフードを被った女というのは、吸血鬼ルドミラに違いない。
どうしてアイツがガロに加担しているのかは知らないが、俺が西に行けばルドミラの息のかかったヤツらによって、孤児院や屋敷の人間達が襲われるようになっていると思われる。
今度は誘拐などでは無く、直接的に命を狙って――
「わかった、もう行っていいぞ」
黒ずくめにそう言うと、ヤツは倒れているもう一人の肩を担いでその場から立ち去った。
全く面倒な事になったもんだ。
別に西に行くつもりは全く無かったが、「来るな」と言われたら行きたくなるのが人間である。
西へ行けば彼女に会えるはず、その首根っこをとっ捕まえて真意を吐かせるという手も出来なくはないのだが……
……やめておこう。
ナタリエの事もある、これ以上迂闊な事をして誰かを危険な目に遭わせるのは避けたい。
とにかく俺が西へ行かなければ何も問題はないんだ。
俺は考える事をやめて、シスターの所に保存食を届ける事にした。
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