第209話 屋敷の現在(いま) 後編

 ソフィアの容体を確認した俺は、女性用の使用人部屋を訪れていた。


 クリスティーナがここで養生しているというが、果たして彼女は話せる状態なのだろうか。


 部屋をノックすると、中から氷上が顔を覗かせていた。


「あ、アイバっち?! ――っ」


 彼女は大きな声を上げるや否や、自分で自分の口元を手で押さえていた。


 どうやらクリスティーナはまだ眠っているらしい。


「よう。元気そうだな」


「あ、あーしは別に戦ったりしてないっていうか、クリスさんとソフィア様に守ってもらったというか……」


「そのメイド長の容体を見に来たんだが、入れるか?」


「あ、うん……」


 氷上は俺を部屋の中に入れてくれた。


 女子使用人部屋にはベッドが二段ベッドが三つある。


 クリスティーナは一番窓際にある下の段のベッドで眠っているようだった。


「午前中、一度目を覚まして食事を取ったんだけど、それからまた眠っちゃって……」


 氷上は伏し目がちにそう言っていた。


「そうか。命に別状はないんだろ?」


「う、うん……けど、戦闘が終わった時には全身傷だらけで……あーし、もうホントにダメかと、思って……」


 氷上はべそをかきながら、俺の背中に抱き着いて来た。


 ……まあ、今くらいは勘弁してやるか。


 俺は氷上が落ち着くまで、黙ってそのままにしてやった。


 クリスティーナはキレイな寝顔をしていた。


 ベッドの横には彼女が使用したであろうレイピアが立てかけてある。


 さすがに血は拭ってあるが、所々に刃こぼれの跡があった。


 デスクの上には刃の一片が折れているマンゴーシュが一振り。


 当時の激戦を物語るには十分の品だった。


「……ご、ごめん……もう、だいじょぶだから……」


 氷上は俺から離れると、無理に笑顔を作っていた。


「すまなかったな。お前にもツライ思いをさせちまった」


「あ、アイバっちが謝る事じゃないよ……悪いのは全部、ボーデンなんとかって貴族なんでしょ?」


「その貴族が不審な動きをしているのを、俺は知っていたんだ。だが、見逃した。その結果がこれだ。もしあの時俺がクーデターの予兆に気付いていれば――」


「――そんなの、あーしだって同じだよ」


 氷上は真っ赤に腫らした目をしながら、訴えかけて来た。


「あーし、大聖堂に行って力を貰ったんだ。でもね、使えなかった」


「お前、何の職業に就いたんだ」


「……そ、それは……」


 ……何だ?


 氷上にしては珍しく、恥ずかしそうにしていた。


「もしかしてセクシー女優とかストリッパーとか、そういう系か?」


「ち、違うし! ――っ」


 またもや氷上は大声を上げるや否や、手で口元を抑えていた。


 コイツには学習能力ってもんがないのか。


「……あ、あーしの職業は、その…………め」


「何? 聞こえなかったぞ?」


「だ、だから、その……う、歌姫って……」


 ………………


 ギャグ――にしては笑えない。


 俺は氷上の歌唱力がどの程度のものかは知らないが、よりにもよって歌姫とは。


 せめて歌手とかシンガーソングライターとかにはならんかったのか?


「ちょ、急に黙らないでよ……あーしだって好きでなったわけじゃないんだし」


 俺だって好きでシーフになったわけじゃないんだけどな。


「お前、歌うまいのか?」


「うまいっていうか……カラオケくらいは行くけど、歌は別に普通っていうか……」


「試しに歌ってみてくれよ」


「はぁ?! ――っ」


 またもや同じ過ちを繰り返す氷上。


「い、イヤに決まってんでしょ? どうしてこんな所で――」


「いや、歌ってどんな効果があるのかと思ってな。もしかしたらクリスティーナを癒す歌だってあるかもしれないじゃないか」


「あーしの歌はそういうじゃなくてさ……歌を聴いた人を狂戦士? にする歌とか、眠らせる歌とか、そういうので……」


「立派に役に立つ歌じゃないか」


「で、でも、ボーデンなんとかって人の兵隊が襲って来た時、あーしは香世と二人で怯えるばっかりでなんも出来なかったんだよ……!」


 そりゃ無理もない。


 職業に就いたからといって、何の訓練も無しにいきなり実戦なんかに出られるわけがない。


 だからこそ、鈴森や神室達だって士官学校という専門の場所で訓練をしていたんだからな。


「悔しい思いがあるのなら、それをバネに次に活かしていけばいい。多分、お前には歌の才能があるんだ。だから歌姫なんて職業に就かされた。歌うのだって別に嫌いってわけじゃないんだろ?」


「ま、まあ……どっちかっていうと、好き、だけどさ……」


「メイド長が元気になったら訓練に付き合って貰えばいい。戦闘中でもきちんと歌えるようにな」


「う、うん……考えとく……」


「ちなみに若草の職業は何だったんだ?」


「香世? 奏者だって。楽器を演奏する人」


「楽器の演奏って、アイツ、何か出来るのか?」


「小さい頃からヴァイオリンやってたみたいだよ。あーしも何回か聴いた事あるけど、結構上手いんだ」


「へえ……」


 人は見かけに寄らないと言うが、その典型例みたいなヤツだな、若草は。


「いいじゃないか、二人で『カヨリナ』とかユニット作って活動すれば。店でやれば客も呼べそうだしな」


「……そのネーミングセンス、どうにかならないの?」


「名前は好きに考えればいい。氷上のやる気さえあればな」


「…………うん」


 氷上のヤツ、いつもはやかましいくらいに元気なんだが、今回の事は相当堪えたのだろうか。


 コイツは友人である飯野杏子をすでに亡くしている。


 それに加えて一緒に暮らしているクリスティーナやソフィアがこの有様じゃあ、仕方がないか。


「……あ、あのさ、アイバっち」


 氷上は遠慮がちに俺に声を掛けて来る。


「どうした。トイレなら早く行って来い」


「ち、違うしっ。真面目な話なのっ」


 小声で怒る辺り、少しは学習したらしい。


「…………あーし達がさらわれた時さ、あの街で女の人にあったじゃん?」


「ルドミラの事か?」


「いや、敵の人じゃなくてお店の人」


 お店の人……?


 そんなヤツ、いたっけ?


「ほら、演劇やりたいから王都に来るって言ってた、ウェイトレスの人」


「ああ、ナタリエの事か。それがどうした?」


「う、うん……あの人さ、少し前にこっちに来てて、あーし達も偶然王都で会ったんだけど……」


 何だ?


 氷上のヤツ、何が言いたいんだ?


「その……芸術劇場って、王都の東側にあるじゃん? でさ、彼女もその近くに部屋を借りて住んでたらしくて……」


 ………………


 ものすごく、イヤな予感がしていた。


「でさ、昨日……あのボーデンなんとかって人が攻めて来た時、芸術劇場付近も戦場になったらしくて……」


 おい、何を言い出すんだ?


 冗談はやめろ、こんな時に。


 性質が悪いにも程がある。


「あのナタリエって人、さ。その……戦闘の巻き添えになったって――」


 その後、氷上が何を言っていたのか、俺が彼女に何と答えたのか、あまり覚えてはいない。


 気付けば俺は、芸術劇場へと駆け出していた。

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