第207話 屋敷の現在(いま) 前編

 王都の東側は、血の臭いが充満していた。


 王都守備兵やボーデンシャッツ公の兵と思しきヤツらが、そこかしこに倒れている。


 戦闘が終わってから丸1日が経過していたが、まだ遺体の処理が終わっていないんだろう。


 兵士達が荷台に遺体を運んでいるのが目に付く。


 人の死には、もう慣れたのだと思っていたのにな。


 ここへ来た初日、俺の目の前でクラスメイトが殺され、ホテルでも従業員が殺された。


 その後、直接的な死に触れる機会はなかったが、今こうして人の死を間近にすると全身から身の毛もよだつ不快感を覚える。


 俺は逸る気持ちを抑えつつ、ユレンシェーナ家の屋敷へと足を進めた。


 屋敷前に着くとあちこちに血痕や武具の残骸が散乱していた。


 屋敷の庭に目を向けると魔法を使ったと思われる痕跡と、幾人かの死体が転がっていた。


 一瞬、心臓が飛び出るかと思ったが、死体の恰好からしてソフィア達ではない事は一目瞭然だった。


 間違いない、ここで殺し合いがあったのだ。


 ちくしょう、よりにもよって俺が不在の時に戦闘が起きるなんて……


 ――イヤな予感がする。


 俺は門を開けて敷地に入る。


 庭に転がっている死体をよく見てみると、ボーデンシャッツ公の兵士だけでなく、王都の守備兵――しかも近衛兵と思われる亡骸もみられた。


 ……オクタヴィアか。


 彼女は俺との約束を果たしてくれたのだ。


 オクタヴィアには感謝しても仕切れないな……


 俺は近衛兵の遺体に向かって哀悼の気持ちを向けつつ、屋敷の中へと入って行った。


 屋敷の中は葬式でもあったかのように静まり返っている。


 外とは打って変わってここには血の跡はない。


 屋敷に侵入される前に敵を撃退したらしいな。


 人の気配はあるから誰かしらはいるんだろうが、まあ、屋外の痕跡を見る限り屋敷の中だけお祭り騒ぎ――なんてわけにもいくまい。


 俺は最も近くに感じた気配の元へと足を進めた。


「――よう」


「ひぃっ?!!」


 厨房にいたヒルダに声をかけると、彼女は手にしていた皿を落としそうになりながら仰天していた。


「ああああアイバっちぃ?!! もぉ~、おどかさないでよぉ!!」


 ヒルダは皿をテーブルに置きながら、俺に詰め寄って来た。


「悪い、そんなに驚くとは思ってなかった」


「………………かった」


「あ?」


「怖かったよぉ~!!!」


 ヒルダは力の限り、俺に抱き着いて来た。


 ミスリルの鎧越しではあったが、確かに彼女の温もりを感じる。


「すまんな、肝心な時にいてやれなくて」


「本当だよぉ!! クリスさんが大怪我して、ソフィア様も魔法の使い過ぎで倒れちゃって、助けに来てくれた近衛兵の人達も死んじゃって……!!」


 その言葉だけで、この地で激戦が繰り広げられた事を察するには十分だった。


「すまん」


 泣き叫ぶヒルダに向かって、俺にはそれしか言えなかった。


「……ひぐっ、ぐずっ……でも、アイバっちも無事で良かったよぉ」


「俺はまあ、見てのとおり五体満足だ。メイド長の容体はそんなに悪いのか?」


「傷自体はソフィア様が魔法で癒して下さったんだけど、体力がまだ戻ってなくて……」


 どうやら命に別状は無さそうだな。


「ソフィアは回復魔法を使い過ぎで倒れたのか」


「それだけじゃないよ。クリスさんや近衛兵の援護役として、ずっと魔法を使い続けていたんだから……」


 ……なるほど。


 ソフィアは水魔法士だ。


 水魔法というのはヒーラーの代名詞と思いきや、攻撃的な魔法も多数ある。


 俺が以前戦ったルドミラという吸血鬼は水魔法のエキスパートだったが、水属性以外にも氷や雷など、あらゆる攻撃魔法を駆使して手こずらせてくれた。


 ソフィアの魔法士としての才能はかなりのものであるから、そういった魔法を使って戦闘の援護をしていたんだろう。


「二人は今、どこにいる?」


「ぐずっ……ソフィア様は自室、クリスさんは使用人部屋で寝てる」


 ヒルダは俺から離れると、ハンカチで涙を拭いながら答えてくれた。


「レナや氷上達も無事なんだな?」


「うん……三人とも無事だよ。レナぴーはソフィア様の看病、イリナっちはクリスさんの看病をしてる。カヨちんはお店の方へ行ってるよ。ケヴィンさんも無事だけど、店の前がちょっと散らかってるみたいだからって」


「そうか」


 全く、俺という人間は肝心な時に役に立たない。


 ゴルドヴァルドに滞在していた時、ボーデンシャッツ公の不審な動きに気付いていれば、王都に戻る事も出来たはずなのに。


「ちょっとソフィア達の様子を見て来る」


「うん……」


「それからヒルダ、お前もよく耐えたな。今もツライ気持ちを抱えているとは思うが、俺もしばらくは王都にいるから何か出来る事があったら言ってくれ」


「アイバっち……」


 俺はハンカチを握りしめているヒルダを背にして、厨房を出た。


 屋敷の状況は大方理解は出来た。


 全員、生きている事もわかった。


 ただ、俺は俺自身が許せなかった。


 何の為にこんな力を手に入れたのだ。


 一番大事な時に主を守れない従者なんて、ゴミ以下だろ。


 俺は力の限りに拳を握り絞めながら、ソフィアの自室へ向かっていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る