第203話 束の間の日常

 笠置に案内されてテントに着くと、そこでは高月と由布が食事の準備をしている最中だった。


 二人の傍らには小さな女の子――マリーが佇んでいた。


「舞、瑠花、客を連れて来たわ」


 笠置がそう言うと、高月、由布、マリーは一斉に俺の方を見ていた。


 しかしマリーだけは慌てた様子で高月の後ろに隠れて、こっちの様子を伺っている。


「相羽君? どうしたの、もう戦争は終わったの?」


「終わったと言えば終わった――のか?」


「私に訊き返されても困るんだけど」


 高月は呆れたように呟いていた。


「そういう高月こそ、今日は診療所にいなくていいのかよ」


「マリーちゃんは今朝退所したばかりなの。だから、今日一日は経過観察として私が付きっ切りでお世話しています。誰かさんがほったらかしにしているからねえ?」


「酷いヤツもいたもんだな。人間のクズだろ、ソイツ」


「あ、あのねえ……」


 またしても高月は呆れたように言うと、ジト目で俺を蔑んでいた。


「……ほら、マリーちゃん? 覚えてる? あなたをアイゼンシュタットからここまで運んで来た人よ?」


 高月は自分の後ろに隠れているマリーにそう言っていた。


「あ……う……」


 マリーは何かを言いたげだったが、まともに声を発する事が出来ないでいた。


「何だ、失語症にでもなったのか?」


「違うわよ、相羽君が怖いから怯えているの。大丈夫よ、マリーちゃん? この人、見た目は怖いけど中味はそうでもないから」


 それ、フォローになってんのか?


 案の定、マリーは高月の足にしがみついたまま警戒心を露にしていた。


 考えてみれば俺がマリーを助けた時、すでにコイツは気を失っていた。


 つまりマリーは俺があの時、何をしたのかは目の当たりにしていない。


 となれば第一印象どおり、ただの怖いヤツと思われても仕方がないのかもな。


 俺はマリーの前で片膝を付いて彼女と目線を合わせた。


「また会ったな。俺は相羽直孝ってんだ」


 マリーは何も答えず、高月の足にしがみついたまま動かなかった。


「いい警戒心だ。そう簡単に他人を信用するなよ? それがお前を生かす事に繋がるんだからな」


 少しだけ、マリーの瞳から警戒心が解けているのが分かる。


 警戒しろと言っているのに警戒心を解くとは、俺の言う事は聞かないという意思表示のようだった。


「マリーをここへ連れて来たのは俺だ。だから、この場所が気に入らないなら別の場所に連れてってやる」


 しかしマリーは首を横に振った。


「この場所――いや、高月の傍がいいか」


 マリーは首を縦に振る。


「高月は……まあ、コイツは信用してもいいだろう。多分、きっと」


「ちょっと、マリーちゃんに変な事吹き込まないでくれる?」


 高月が上から俺に注意をして来たが、無視してやる。


「俺はこの後もやる事があってな、またすぐにここを出て行く事になる。マリーにとっては俺はもうここへは来ない方がいいかもしれないが――」


 俺が言葉を紡ごうとすると、マリーは首を横に振り、こう言った。


「……あ、あり……がと……たすけて、くれて……」


「礼は要らん。俺が勝手にやった事なんだからな」


「……また、あいにきて……くれる?」


「マリーが望むならな」


「うん……」


 するとマリーは小指を差し出して来た。


「……何だ?」


「また会う約束をしたいんじゃない? 指切りげんまん的な」


 由布が補足していた。


 俺は右手の小指をマリーの小さな右小指に絡めた。


「約束だ、必ずまたマリーに会い来る」


「うん……!」


 マリーはついに高月の足から離れ、笑顔を見せてくれた。


「……はぁ。相羽君って不器用なんだか器用なんだか、よくわからないわね」


 高月は呆れたようにそう言うと、調理中の鍋の面倒を見始めていた。


「相羽君も食べて行ってよ。男子達は狩りに出かけていないし、鈴森さん達の話も聞きたいし」


「あ、舞。あたしも手伝う」


 笠置が言っていた。


 それにしても蓬田達は狩りに出かけたのか。


 高月のヤツはさらりと言ってのけているが、アイツらも職業に就いた事で行動が変わったのかね。


 侍だった八乙女兄はともかく、蓬田なんて吟遊詩人だからな。


 狩りの役に立つとは思えい職業だが、蓬田なりに何か思う所があるんだろうか。


「……何?」


 蓬田の事を考えていた俺は、無意識に由布の方を見ていたらしい。


 彼女が怪訝な顔をして俺を見ていた。


「いや……お前、まだ蓬田と付き合ってるんだよな?」


「ううん、別れたわ」


 衝撃的な事をいともあっさり告白してくれる。


「浮気か? それとも痴情のもつれとか?」


「違うわよ。いつ元の世界に戻れるかも分からないし、ここでクラスの皆と生きていくのに必死になっているのに、彼氏彼女っていうだけでケンカばっかりしてたらさ、何か皆に申し訳ないっていうか、付き合ってる意味があるのかっていうか」


 まあ、言いたい事は何となくはわかるが……


 要するに「恋愛なんてしている暇と理由が無い」って事なんだろう。


「そんな事言って、蓬田が別のヤツと付き合い出したらどうするんだ?」


「別に、どうもしないわよ。そういう事も踏まえた上でわたしから別れ話を切り出したんだもの」


 へえ?


 由布は意外と芯が通っているというか、肝が据わっているというか。


 一度決めた事は譲らない頑固なヤツなのかもしれないな。


「そういえばお前、職業は踊り子なんだよな? 何か踊って見せてくれよ」


「い、いやよ! どうしてあなたの前で踊らなきゃいけないの?!」


「再会を祝して的な? マリーも見たいよな?」


「え、うん……?」


 マリーは困ったように頷いていた。


「イヤよ! 絶対に!!」


「何だよ、そんなに変な踊りなのか?」


「変ってわけじゃないけど……普通のダンスよ。ただ、その……」


 由布はモジモジと指をいじくりまわしていた。


「……は、恥ずかしいっていうか」


 …………何を言ってるんだ、コイツは。


「あのな、踊り子の踊りってのはバフとかデバフっていう仲間のサポーター的なポジションだろ? お前の踊り一つで高月達の生死が決まるかもしれないんだ、そんな時に恥ずかしいとか言ってられないだろうが」


「わ、わかってるわよ、そんな事……でも、やっぱり恥ずかしいものは恥ずかしいのっ」


 一度決めたら譲らない――それがこういう形で現れると面倒だな。


「笠置はどう思う?」


「ちょ、どうしてあたしに振るのよ?」


「お前は火魔法士だろ? 二人でファイヤーリンボーダンスでもしたら盛り上がるんじゃないか?」


「意味わかんないしっ! 絶対やんないから!!」


「……おにいちゃん、りんぼーってなに?」


「ん? リンボーダンスってのはだなぁ……」


「ちょっと! マリーちゃんに変な事教えないでってば!」


 今度は高月に叱られた。


 やれやれ、コイツらもここへ来てから色々あったんだろうが、元気でやっているようで何よりだよ、ホント。


 難民組は戦争から逃れる為にここに来てるんだからな。


 せめて、こんな穏やかな日常がずっと続いてくれれば――


 柄にもなく、俺はそんな事を願っていた。

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