第198話 皇帝と宰相 後編
「帝国がゼルデリア領有権の主張だと? 何の根拠があってそんな――」
「今回、あなたが魔族軍を撃退したのは我が帝国がこの魔族領へ侵攻した事が発端です。数万の魔獣を一網打尽に出来たのも、魔族軍が帝国を撃退せんと各地から魔獣を集った為。つまり、今に至る結果の全てに我が帝国が関わっている」
「だから、この地も帝国のものだと? さっき、ソフィアに対して功績がなく横からかすめ取るみたいな事を言っていたが、それは帝国だって同じじゃないか。ただ軍を動かしただけで功績とするのはハイエナと何が違う」
「その無礼は先ほどのこちらの無礼で帳消しにしましょう」
サディアス宰相はクツクツと低い声で笑っていた。
「ともあれ、軍を動かすのも時間とお金がかかるのです。特に5万もの大軍となれば、それを維持するだけでも莫大な戦費が必要となるのです。にも関わらず手ぶらで帰ったとあっては帝国の威信は丸つぶれ――お分かり頂けますかな?」
「理解はするが、納得は出来ないな。それだと帝国が戦費を払ってゼルデリアを買ったようにも聞こえる」
「どう解釈して頂いても構いませんが、帝国としてもこのまま何の成果も得ずに帰る事など出来ないのですよ。そもそも我が軍が事を起こしたのは魔族撃退という大陸平和の為です。そこに何の恩賞も得られないとあっては、教会としても沽券にかかわるのではないですかな?」
「我々は利害で動くのではありません。恩賞など無くとも大陸平和の為ならばこの身をも捧げましょう。今、ワタシがこうしてここにいる事がその証です」
サディアス宰相は法皇を挑発するように言っていたが、法皇は冷静に返していた。
「さすがに崇高なる理念をお持ちの法皇様は違いますな。ですが、俗世に生きる我らが生きる為には人も、金も、土地も必要なのです。帝国の特に北方地域は土地が痩せており、毎年餓死者が絶えません。そこにゼルデリアの肥えた土地と海が手に入れば、多くの臣民が救えるのです」
「それならば魔族侵攻が始まる以前のまま、ゼルデリアとの交易で食料を賄えばよろしいでしょう。今回、我が国も軍を動かし莫大な戦費を使っていますが、戦果どころかクーデターにまで発展しており、損害は貴国の非ではありません。それでもゼルデリア領はソフィア王女にお返ししたいと申しているのです」
国王が反論していた。
「クーデターの件については貴国の内政干渉になりますからな、帝国は不干渉を貫かせて頂きますが、ソフィア王女はヴァイラント王家の血筋をも継いでいる。ゼルデリアに返還と言いつつ、返還後は今回の事を恩に着せてゼルデリアを属国化するつもりでは?」
「そんな事は俺がさせない。ヴァイラントがゼルデリアにとって不利益を被る存在なら、俺はヴァイラントとも敵対を辞さない覚悟だ」
「ちょ、ちょっとアイバ……」
ロザリンデ少佐が慌てて俺を制しにかかったが、俺の意志は変わらない。
「はっはっは、勇ましい事ですな。さすがは一人で魔獣を壊滅させただけの事はあります」
コイツが言うとバカにされているみたいで業腹なんだが……
しかし、このままでは互いの主張がぶつかりあい、埒が明かない。
ほとんど口を開かない皇帝も不気味だしな。
そんな場の空気を感じ取ったのか、サディアス宰相は皇帝に耳打ちを始めた。
皇帝は二、三度頷くと、サディアス宰相は再びこちらに向き直った。
「どうでしょう、皆さん。このまま話をしていても議論は平行線、ここは魔族領を分割統治するという事で決着しては?」
「分割統治?」
ロザリンデ少佐が訊き返す。
「左様です。我々オルフォード帝国が魔族領の北半分を領有する。南半分はソフィア様にお預けするなり貴国の好きになさればよろしいでしょう」
「き、北半分とはまた大きく出ましたね……」
ロザリンデ少佐でなくとも驚くだろう。
魔族領の北半分といえば、魔族軍に奪われた旧エルス共和国の領土をも領有するという事になるからだ。
「先程も申しましたように、我々は海を欲しています。帝国北方の海は冬になると凍ってしまい使い物になりませんからな」
「それは理解しますが、いくらなんでも北半分は欲深すぎではないでしょうか」
ロザリンデ少佐は皮肉の利いたパンチを返していた。
「これでも我が帝国は譲歩しているつもりなのですが」
「その事を、エルス共和国は了承しているのですか?」
法皇がツッコミを入れてた。
帝国が魔族領の北半分を領有するとなれば、大陸のパワーバランスに大きな影響が出て来るから、法皇としても他人事ではないんだろう。
「いいえ。ですから、我々だけで魔族領の割譲を定めるのは困難でしょう。ここは当事者も交え、分割統治について別途会合を開こうではありませんか」
「当事者というとエルス共和国にソフィア王女、という事ですか」
国王が確認をしていた。
しかし、それはサディアスの術中にはまった質問だ。
既に分割統治前提で話が進んでいるのだから。
「はい」
「しかし、我がヴァイラントは王都を占拠されいる上、ガロ・サパリ両国からも攻められております。今すぐに会合というわけにはいきません」
国王が苦言を呈すと、サディアス宰相はニヤリといやらしい笑みを浮かべた。
「それはそちらの都合、我が帝国とは何の関係もありません。貴国が出席されないというのであれば、エルス共和国とソフィア王女のみに出席して頂く形でもこちらは一向に構わないのですよ? ――おっと、ソフィア王女は現在、王都でクーデター勢力に制圧されているのでしたな」
コイツ、わかってて言ってるんだから性質が悪い。
いい加減、俺も腹に据えかねて来た。
「――いいでしょう。会合の件は承知しました」
「陛下……?!」
ロザリンデ少佐が止めに入ったが、国のトップがやると言ったんだ、覆る事はないだろう。
「但し、会合は2ヶ月後とし、その間に貴国の兵は全てこの地より引き払って頂きます」
サディアス宰相は目線で皇帝に確認を取った後、首を縦に振っていた。
「いいでしょう。エルス共和国にはこちらから連絡しておきます。して、会合の場所はどこに致しますか?」
「それでしたら我が国をお使い下さい。7年前の和平条約と同じように、宮殿の一室を空けさせましょう」
法皇の提案に、その場にいた一同は頷いていた。
「それでは2ヶ月後、法国にて再び相まみえましょう」
サディアス宰相の気味の悪い笑みを後に、俺達は天幕から出ようとしたその時だった。
「――アイバ、と申したか」
皇帝が口を開き、俺を引き留めた。
「……そうだが?」
「サディアスからも打診したそうだが、帝国に下る気はないか? ゴットフリーと引き分ける者など、かの"
さすがは三大陸統一を目論む皇帝様だ、力ある人材を欲しているらしい。
「断る。俺はソフィアの執事なんでな、主を裏切る真似だけはしないんだ」
「で、あるか。気が変わったらいつでも申し出るがよい」
「フン、再就職先の候補としては検討しておいてやるよ」
そう言うと、俺は天幕から出た。
陽はすっかりと暮れており、夜空には無数の星が瞬いている。
野営地には所々で
俺達は見張りの兵士に案内されて野営地の外へ出た。
「……申し訳ありません、猊下。
国王が法皇に頭を下げていた。
「いえ、お気になさらずに。もし我々が勇み足でここへ訪れていなければ、戦争になっていた可能性は十分にあります。結果として戦争は未然に防げたのですから、僥倖というものでしょう」
「はっ……有難いお言葉、心より感謝致します」
国王とロザリンデ少佐は再び頭を下げていた。
それから俺達は法皇と別れてケンプフェル要塞へと戻った。
夜だったし、魔力も心許なかったが、一刻も早く戻って次の作戦立案をしなければならなかった為だ。
だが、これで最も脅威だった東側の危機が去った事になる。
魔族領の分割統治を決める会合開催まであと2ヶ月。
俺は今後どう動くべきか、慎重に考えないとな……
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