第197話 皇帝と宰相 前編

 法皇を連れてルイス=ハート法国を飛び立った俺達は、その日の陽が傾きかけた頃に帝国の野営地と思しき場所を発見した。


 上空にいると帝国の風魔法士に迎撃される恐れがあった為、ロザリンデ少佐の提案で野営地近くに下り立ち、そこから徒歩で向かう事になった。


 先頭を歩くのはロザリンデ少佐、その後ろを国王と法皇が歩く。


 左右はがっちりと風魔法士達に守られており、俺は最後尾から後に続いた。


 ロザリンデ少佐は野営地に着くと見張りの兵士に話し掛けた。


「ヴァイラント王国、独立魔法大隊隊長ロザンリンデ・フォン・シャルンホルスト少佐です。貴国と停戦を結ぶための使者として参上しました。どうか皇帝陛下への謁見を許可頂きたい」


「ヴァイラントの使者だと……? そんな話は聞いていないぞ」


「何せ、急な事でしたので……こちらには我が国の王、それからルイス=ハート法国の法皇様もお連れしています」


「法皇様まで……?! わ、わかった、少しここで待っていろ」


 見張りの兵士は急いで野営地の奥へと駆けて行った。


 その間、俺は野営地の様子を観察する事にする。


 ……はっきり言って、気が緩み過ぎてるな。


 そこかしこから兵士達の笑い声や、陽気な音楽が聞こえて来る。


 戦争というよりお祭り騒ぎである。


 まあ、無理もないか。


 同盟していたとはいえ緊張関係にあった魔族軍がいなくなり、エルス共和国軍も帰国した今、先遣隊にケンプフェル要塞を攻撃させようとしているのだから、後続の主力部隊が暇を持て余してしまうのも理解は出来る。


 ただ、こんなに油断し切っている今なら、俺一人でもこいつらを殲滅出来そうな気がしてきた。


 気になる事と言えば、サディアス宰相がここにいるのかどうかという事くらいか。


 アイツの実力は未知数だが、おそらくはゴットフリー将軍と同等、あるいはそれ以上のはず。


 ここにいなければ皇都にいるんだろうが、逆に考えれば皇帝不在の皇都を取り仕切るのが宰相でなくて誰がやるんだ?


 そういう意味でも、サディアスという男は不気味だった。


 昨夜、俺一人に会う為にたった一人で近づいて来たというのなら一国を担う政治家としては稚拙過ぎるだろう。


 ……ま、ここでアレコレ考えていても答えは出ない。


 この後、皇帝に謁見した時にヤツがいるかどうかはわかる事だしな。


 と、先ほどの見張りの兵士が小走りに戻って来た。


「……皇帝陛下がお会いになるそうだ。ついて来い」


 俺達は見張りの兵士に連れられて、野営地の奥へと進んで行った。


 遠くの方で酔っぱらっている兵士から何だか声をかけられていたが、俺達は全て無視して先へ向かう。


 国王は今、どんな心境なんだろうな?


 自国が踏み荒らされようとしているというのに、相手はこんなにもフザけた調子で踊り歌い、酒まで飲んでいるを知ったら、腸が煮えくり返っていてもおかしくはない。


「――ここだ」


 見張りの兵士に案内されたのは、一際大きく、無駄に豪勢な装飾が施された天幕だった。


「――陛下、ヴァイラントからの使者をお連れしました」


「……入れ」


 中から低く、威厳のある声が聞こえて来た。


「はっ」


 兵士が天幕を開いて中に入ると、俺達もその後に続いた。


 さすがに風魔法士達は入り切れなかったので、入口で待機する事になった。


 俺が天幕の中に入るとそこには木製のテーブルとイスが設えてあり、その椅子の一つ、俺達の正面に帝国の皇帝と思しき白髭の爺さんが座していた。


 爺さんの隣にはサディアス宰相の姿も見える。


 コイツがここにいるって事は皇都は今、皇帝と宰相が不在という事だ。


 皇太子も幽閉されているというし、一体、誰が皇都の政治を執り行っているんだ?


「お初にお目にかかります。ヴァイラント王国独立魔法大隊隊長、ロザンリンデ・フォン・シャルンホルスト少佐と申します」


「ほう、貴殿がかの"赤毛のロザリンデロートハーリヒ"か。噂には聞いていたが、まさかこれほど若くて器量良しとは知らなんだ」


「格別のお言葉、感謝の至りに存じます」


 皇帝というからどんなヤツかと思えば、ただのエロジジイじゃねえか……などと思ってはいけない。


 確かに見た目はしょぼい爺さんなんだが、その眼光の鋭さは俺が今まで出会った人間の誰よりも凄まじい。


 この大陸統一を目論むだけでなく、三大陸制覇などという大それた野心を抱く目としては、十分過ぎるほどにギラついていた。


「今日は貴国と我が国が末永い友好関係を結ぶべく、停戦の使者としてまかり越しました」


「停戦とは異な事を申しますな。貴国とは戦争などしておりませんのに」


 答えたのはサディアス宰相だった。


「それでは魔族軍が撃退された今も我が国の領土へ向かって進軍されているのはなぜですか?」


「魔族軍があまりにあっけなく散ってしまったものでしてな。しかし、折角ここまで来たのですから、軍事演習を兼ねて進軍しているだけの事です」


「では、すぐにでも軍勢を引いて頂けませんか? 我が国では敵の大軍が攻めよせて来たと警戒しております」


「それは貴国の事情であって帝国とは何の関係もありません。それに魔族軍が不在となった今、この空白地帯で何をしようとも勝手ではありませんか」


「では、本日はその件についてお話をさせて頂けませんかな?」


 そう言ってロザリンデ少佐の前に出たのは国王だった。


「これはこれはヴァルデマール国王陛下。ご無沙汰しております」


「皇帝陛下もサディアス宰相も息災のご様子で何よりです」


「陛下にはわざわざ法皇様までお連れ頂いて、この魔族領について話をしたいと?」


「はい」


 国王は法皇の方を向くと、二人で頷き合っていた。


「ワタシも本日は停戦の為に参りましたが、いささか話が変わって来たようですので、この魔族領の遺領について今日は会談をしたいと思います」


 法皇がそう言うと、今度は皇帝がそれに答えた。


「猊下にはこんな所までご足労頂いて誠に恐縮ですが、俗世の領土問題について猊下のお手を煩わせる事はありますまい」


「もちろん領土問題に口を挟むつもりはありません。ただ、この話し合いの結果によっては大陸の平和が脅かされる事にもなりかねません。行く末は見守らせて頂きたいと思います」


「……いいでしょう。このままお帰り頂くのも無礼でありましょうからな。どうぞ、おかけください」


「感謝致します」


 そうして国王と法皇は椅子に座ると、俺とロザリンデ少佐がその背後に立ち、助言と警護を担う事となった。


「まず確認ですが、貴国はヴァイラントへ攻め入るつもりはない――それは真実であると断言してよいでしょうか?」


 国王が問うと、サディアス宰相が答えた。


「はい。先ほども申しましたように、今は単なる軍事演習の最中ですので」


「では次にこの魔族領についてですが、我が国としてはゼルデリア王家に返還したいと考えております」


「返還ですか。何とまあ謙虚な事ですな。魔族軍を撃退したのはそちらの異世界から来られた彼ではないのですかな?」


 サディアスはニヤついた表情で俺の方を見ていた。


「確かに魔族軍の撃退は彼の功績です。そして、その彼自身が望んでいるのですよ。ゼルデリア王国の復活を」


 国王も俺の方を向いて来たので、俺は頷いて返事をしてやった。


「不思議な事ですな。異世界から来たあなたがそこまでゼルデリアにこだわる理由がわかりません」


 サディアスの問いに、俺はこう答えた。


「ゼルデリア王家の生き残りがヴァイラントにいるんだ。彼女が王位を継ぐのが自然だと思うがな」


「彼女……ソフィア王女でしたか。確かに王位を継ぐとなればソフィア様以外にはおりませんが、そもそも彼女は魔族撃退については何の功績もあげていません。他人が勝ち取った領土を横からかすめ取るような真似はいささか不作法ではありませんかな?」


「言葉に気を付けろ、宰相。俺はソフィアの元で執事として働いてるんだ。次に主を侮辱するような事を言えばただじゃ済まさない」


「いや、これは失言でしたな。しかし、ソフィア様の執事ですか……なるほど、それでゼルデリアに加担を」


「この領土は元々ゼルデリアのものだったんだ。ならゼルデリアに返還するのが筋ってもんだろ?」


 国王がヴァイラントの領土だとか主張しなくて心底良かった。


 そうであったなら、俺達が内輪モメを始めていた所だからな。


 仮にもソフィアは国王の姪だ、家族を亡くして孤独な彼女をそれなりに気遣ってはいるんだろう。


「貴国の主張は理解しました。ですが帝国としては、ここは我が国の領土として主張させて頂きます」

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