第18話 トラウマ①
「ただいま」
母に出迎えられ、軒先をくぐって玄関へ。
私は祖父の葬式に参列するため週末帰省してきていた。通夜は今夜7時から、告別式は明日9時から。
父方の祖父はほとんど交流がなく、会ったのも一度かニ度だけ。だからあまり葬儀の実感も湧かないままだった。靴を脱いであがる。
「小鞠ちゃん、おかえり」
横からかけられた声に、足が止まる。
見ると仏壇のある客間に、長く会っていなかった私の10歳上の従兄弟の姿があった。
ブラックスーツを身に着け、ジャケットだけ脱いだ状態で座布団の上でゆったりと座っている。
「お久しぶりです、暁人さん」
動揺して固い声で返すと、従兄弟の暁人さんはちょっと驚いたような顔をする。
「どうしたの?そんなに他人行儀で。昔みたいに“あきにい”って呼んでも構わないんだよ」
「……あきにい」
「うん」
「いつ来たの?」
「二時間くらい前かな。今日この家に泊めてもらって明日の午後帰る予定になってる。凛子さんから聞いてない?」
首を振る。私の様子に暁人さんは大して気にせず頷いた。
「それにしても久しぶりに会えて嬉しいよ」
屈託のない顔で言われて、少し口ごもる。
……私は、あんまり会いたくなかったから。
優しくて物知りな従兄弟のお兄ちゃん。
10才年上の暁人さんに私はよく懐いていた。
人見知りで他の親戚ともうまく馴染めない私にとって、暁人さんの側はまさに神域だったといっても過言ではない。
後ろをひっついて回って、「あきにい、あきにい」と呼びかけていた私に暁人さんは困った顔をしたりせず、笑顔で話を聞いたり、一緒に遊んだりしてくれたのだった。
多分、私にとっての初恋だった。
そんな私の様子は酒の肴になっていたらしい。
12年前曾祖母の葬儀があった際、親戚一同が集まった通夜振る舞いの場で私の話題が出たことがあった。
一度トイレのために席をたち、戻ってきたときのこと。閉まった障子戸の向こうから聞こえてきたのだ。
『それにしてもうちの子はほんとに暁君に懐いてるのよね〜いつも大助かり』
『将来は暁人のお嫁さんになるとか言い出しそうだな』
親戚の伯父さんのガハハ、とがさつな笑い声。
私は自分のことについて話されているのが恥ずかしいのと苦手な伯父さんの大声にビビるのとで部屋の中に入るのを躊躇い暗い廊下で息をひそめていた。
『いや、でも小鞠は顎が出てるからなあ、それさえなければいいんだがなあ。本当に残念だよなあ!暁人もやっぱり嫁は美人なほうがいいもんな』
ばし、ばしと肩を叩く音のあと、
『はは』
乾いた笑い声が聞こえた。
気まぐれな伯父さんの話題は別のものに移り変わっていく。
私といえばーー凍りついたように立ち尽くしていた。
誰も彼もが伯父さんの言葉を否定してくれなかった。ただ笑って流しただけだ。
あきにいでさえも、乾いた声で笑っていた。
私のこと、そんな風に思ってたの?
顎が出てて、残念な子だって。
醜いと思いながらも同情で優しくしてくれていただけなの?
これまでの綺麗な思い出がガラガラと崩れ落ちていく音がして、それまでのようにあきにいを純粋無垢に慕うことができなくなった。
それまで自分の顎が特別出ていると思ったことは一度もなかった。
けれど、初恋のお兄さんに庇ってもらえず他の親戚も同調する雰囲気だったことが私の心に影を落とした。
それは単なる自意識過剰の卑屈ではなかった。
しばらくして歯医者に行った際、担当の男性医師に言われたのだ。
『ん〜〜顎出てて噛み合わせも良くないですね。顎骨を切り出してくっつけるやり方もありますがどうしますか?お子さんが小さいときにやったほうがその後困ることはなくていいと思いますが』
“顎を切る”
怖すぎる言葉に私は震えた。
歯科用椅子の上、スリッパもぬぎ素足で横たわる私の上で母と歯医者の先生が顎の手術について話していた。逃げようにも動きづらい体勢で、泣き出しそうになりながらちらちら様子をうかがう。
結局そのときは経過を見て決めるということになり、すぐに手術とはならなかった。
だが、私の中に恐怖心が芽生えたのは確かだ。
私の顎は、切らなければいけないほど出ていて醜い、それは周囲からの共通認識だとそう思い込むようになった。
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