第15話 写生会④ 気がつけば

「あ」


と、とんでもないことに気づいてしまった。

絵を描き始めようとリュックサックを漁ったが

肝心の、スケッチブックがない気がする。

……?あれ、あれれ。


いや、でも……4B鉛筆も、水彩絵の具もあるのに本体忘れるなんてこと……。


……や、やっぱりない。


がくりと肩を落とした私を見かねて和泉さんが話かけてくる。

「どうしたの?」

「それが……スケッチブック忘れてしまったみたいで…他の道具はバッチリ持ってるんですけど」

とリュックの中を見せて和泉さんが覗き込む。


「ないね」

「はい……」


“写生会”の名目で公園に来たのにスケッチブック持ってくるのを忘れるなんて……わ、私って。

自分のそそっかしさが本当に嫌になる。


「大丈夫」

頭をぽんぽんと撫でられ、目の前に小さいほうのスケッチブックが差し出された。


「これ、使って」

「いいんですか?」

「僕はもう一つの方を使って描くから」

「ありがとう、ございます……」



借り受けたスケッチブックのページをぺらり、とめくっていく。

一枚目はさっき見た蝶々。二枚目はツユクサ。三枚目は節くれだった誰かの手。鉛筆画、水彩絵の具で塗られたもの両方あった。


この絵たちは、和泉さんの見てきた記憶、思い出の一枚なのかと思うとなんだかその心に触れられたようで少し嬉しいような恥ずかしいような。


丁寧にめくっていき絵が描かれた最後のページへ。


アネモネの絵だ。

血のような濃い赤が印象的な。

そういえば、展示会の絵もアネモネだった。

次のまっさらなページを開こうとして、ふと日付が目に入った。


2年前の日付?

このスケッチブックを使うのは久しぶりなのかな。




体育座り、筆箱を取り出して小さなスケッチブックを手にし何を描こうか考える。

なんだか高校の美術の時間みたいですね、と声をかけようとして和泉さんが真剣な顔でまっさらな画面と向き合っているのが見えた。


その視線がどこか懐かしい気がして。

以前私を観察していたときと似てる、と思い至ったときなんだか笑えてしまった。


あの視線は絵を描くひとのものだったのか。


緑の葉が茂る大樹の下、木漏れ日が揺れて踊る。

体育座りでA4スケッチブックを抱えた和泉さん。

きゅ、とすぼめられた口、黒水晶の瞳、風にさらわれる毛先、繊細に動く右手。

とくんと心臓がひとつ音をたてる。


……すごく、綺麗。


私は鉛筆を手にとり気がつけばその美しい光景を描きはじめていた。


どれくらい経ったのか、スケッチブックに影がかかる。顔を上げると和泉さんが覗き込んでいた。


「わ、わあああ!!!」


奇声をあげてスケッチブックを胸に押しあてた。

「僕のこと描いてくれたんだ」

「ご、ごめんなさい!!!勝手にすみません!」

「いや、問題ないよ」


だからそんなに恐縮しないで見せてほしい、と優しく言われ私はおずおずとスケッチブックを差し出した。

……うう。この絵を和泉さん本人に見せるなんて。

恥ずかしすぎる。


スケッチブックを受け取った和泉さんはそっと絵を撫でた。その口元に小さな笑みが浮かび、眩しいものでも見たかのように目が細められる。


「君の目にはこんな風に見えてるのか」












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