1‐15

 アルテウルは戦乱に次ぐ戦乱の中心となっていた巨大な国だった。


 各国を統一するための統一戦争。それによって連邦王国を興すことに成功したのはいいが、その直後に起こった魔王戦役。




 数々の争いはアルテウル国内を荒廃させ、人々の心を蝕んでいく。


 そんな時代に生まれたエリアス・カルネウスは、不幸かと問われれば、首を横に振れる数少ない人間だった。




 しかし、それは彼が客観的に見て恵まれていたからではない。


 貴族として生まれたエリアスだったが、物心ついた時には家は既に没落していた。


 かつては英雄を輩出した家柄ということもあってか、父が語る英雄の物語を聞いて、戦場を駆ける遠い先祖に憧れを抱き、育った。




 やがて病によって両親は倒れ、親戚からも見放されていたエリアスは、傭兵に引き取られる。


 戦いを学び、一端の戦士になる前に傭兵団は戦いによって壊滅。行き場のなくなったエリアスは、野盗に身を窶すことになる。


 貴族として生まれた青年が、今や野盗の下っ端。それはとてつもない零落かも知れないが、生まれながらにして元貴族の烙印を押されていらエリアスは、それに付いてさして落胆することもなかった。




 生きているだけでもうけもの。そう思うことにした。


 不幸を受け流し、ある意味では諦めてしまうことで、今の自分を受け入れる。それは今だ未熟な青年ができる、数少ない防衛手段だったのかも知れない。


 ――とにかくだ。


 何の因果が、今やマルザの森を根城にする小さな盗賊団の一員。彼等は近くの洞窟を拠点にして、そこから街に出ては食料を奪ってきている。


 今はまだ浮浪者が屯って悪さをしている程度の集団だが、いずれはその悪事もより大きなものになっていくだろう。そうなった時に自分はどういう風に身を振るかを、エリアスはまだ考えていない。




「……ん?」




 視界の端で何かが動く。


 ここのところ、随分と派手に動き過ぎた。ひょっとしたら新しくミリオーラに来たギルドが何らかの動きを見せるかも知れないと、エリアスは自主的に見張りを行っていた。


 彼が属する野盗達は、そんなことは夢にも思わない。もし攻めてきたとしても、返り討ちにすればいいとすら考えているぐらいには楽観的だった。




 少女の二人組が、真っ直ぐに彼等の根城である洞窟へと向かっている。


 このままいけば、程なくしてエリアスの仲間である野盗達に襲われるであろう。そうなれば、彼等がどんな目にあわされるか明白だった。


 そしてその時が、エリアスを含む野盗達が本当に道を踏み外す時だった。




 それを今更拒否できる立場ではないことは理解しているのだが。


 それでも、エリアスの中には何か思うことがあった。


 見張りである大きな木の上から、手に持った短弓を引き絞る。狙いは彼女達の歩いている少し前の地面に定めている。




 それが、少年達とこの青年との、長い付き合いの始まりでもあった。




 ▽




 さくさくと、森の中の草を踏みしめる音が響く。


 ベオを先頭にして、その少し後ろをルクスが続いていた。




「自信満々に出てきたけど、あてはあるの?」


「あるとも」




 上機嫌そうにぴこんと耳を立てて、ベオが腕を組んで頷く。


 既にマルザの森の深くまで入り込んだ二人の周囲には、背の高い木々が立ち並んで、太陽の光を遮り始めている。


 風や獣の動きで時折音を鳴らす茂みに注意しながら、ルクスはベオの言葉を待った。




「私達が地下から這い出てきた洞窟があっただろう? あの場所に人の生活していた跡があった。恐らくは、件の連中だろうな」


「……そんなのあったっけ?」


「あったのだ。どんな状況だろうと、もう少し辺りをつぶさに観察することだな。そう言った小さな発見が、後に金脈へと繋がる可能性だってあるのだから」




 振り返って、額を指で突かれた。


 今回の件に関して言えば、金脈とは程遠いだろうが、ベオの言葉自体は間違っていないので、何も反論はできない。


 そこでふと思って、ルクスは尋ねる。




「でも、それがわかってたなら、わざわざ出てくる必要はなかったんじゃ……」


「馬鹿者め」




 罵倒の言葉が出てきたが、表情は笑っている。




「多少なりともお宝を溜め込んでいる可能性があるだろうが。ギルドに任せたら、全部持っていかれてしまうぞ」


「……ああ、そう」


「当世では何をするにも金が必要だろう? こんな世の中だから、私は別に力尽くでもいいのだが……お前がそれでは納得するまい?」


「……それは、うん」




 とは言えそれも依頼主を騙しているような気がしないでもないが、ルクスとて全てを正道で、正直にやり遂げられると思っているほど夢見がちなわけではない。


 報酬に色が付く、程度に割り切っておいた方が精神的にもいいだろう。




「む」




 歩き出そうとしたベオが立ち止る。


 ルクスも何者かの気配を察知して、ベオを自分の背後に隠すようにして前に出た。


 その足元に、一本の矢が突き刺さる。


 狙いを外したわけではない。恐らくは、牽制、足止め用に放った一矢だ。




「くふふ」


「……ベオ?」


「いや、私はいい従者を持った。私の方が貴様より強いにも関わらず、こうして前に出て盾になってくれるのだからな」


「女の子を盾にするわけにはいかないよ」


「いい心掛けだ」


「お二人さん」




 断ち割るような声が聞こえてきて、二人は同時に上を見上げる。


 一本の樹の枝の上に、器用に立つ男が一人。鳶色の短髪をした、長身の男だった。細身で顔は整っていて、見た目が薄汚れた軽装鎧でなければ、それなりの生まれにも見える。




 手に持った弓を引き絞り、番えた矢をルクスに向けている。引き締まった表情から、それ以上前に出れば撃つと、そう告げていた。




「お嬢ちゃん達。何しに来たのかは知らないが、ここは子供の遊び場じゃない」


「お嬢ちゃんじゃありません! 僕は男です!」


「……いや、それは別にどうでもいいんだけどな。とにかく、そう言うことだからさっさと帰った方がいいぞ。じゃないと怖い人達に攫われちまうからな!」


「わざわざ警告をくれるとは親切な奴だ」


「うるせぇ! 子供にムキになりたくないだけだよ! いいから、さっさと帰れ!」




 もう一発、矢が放たれる。


 ルクスは踏み込んで、それを黒の剣で切り払う。




「……退く気はないって?」




 男の雰囲気が変わる。目を細めて、明らかな苛立ちを露わにしていた。


 男は木の上から飛び降りて、ルクス達の正面に着地する。改めて目の前に立たれると、その身長差に、ルクスは一歩後退りそうになった。




「あー……。じゃあ、悪いけど、痛い目見てくれ!」




 自分に言い聞かせるようにそう言って、男が腰に差した鞘からショートソードを抜き払った。


 そのまま勢いで放たれた斬撃を、ルクスの黒の剣が受け止める。


 両者の刃はぶつかり合い、目の前に小さな火花を散らす。




「――はっ」




 男はすぐに刃を引いて、そこから更に踏み込んだ。




「まだガキだってのに、調子に乗って取り回しの悪いモン使ってっから!」




 防御は間に合わない。


 一撃がルクスの胸元を掠め、装備していた胸当てに傷が付いた。




「そこだぁ!」




 男は更に前進。




「負けるかぁ!」




 ルクスもそれに対抗して、避けるのではなく前に出る。


 彼我の距離は極端に縮まって、身長が低いルクスは男の懐に潜り込むような形になった。


 しかし、その位置からでは下げたままの黒の剣を振るうことはできない。仕方なく、男の胸に当て身を喰らわせる。




「ぐえっ」




 男がよろける。


 互いの距離が離れ、剣を振るえるだけの隙間ができた。




「今!」


「させっかよぉ!」




 下から上に振り上げられた黒の剣を、男のショートソードが抑えつける。


 鍔競り合いの状態から一度距離を放ち、お互いに何度も何度も武器を打ち付けあった。


 話に聞く人造兵は、英雄ほどではないが人間に比べて圧倒的な強さを持っていたらしい。


 失敗作たるルクスにはそんな力はないが、それでも一人でゴブリン五匹を相手にできる程度の腕はある。素人に毛が生えた程度、と言うほど弱くもない。




 剣だけの実力ならば、拮抗している。


 幾度と剣をぶつけても、突破口を開くことはできず、同時に相手も決定打に欠けているようだった。


 そのまま幾度かのぶつかり合いを経て、互いの距離は再び離れる。




 荒い息を吐いて、それでも剣を構えながら、ルクスはふとベオの姿が見えないことに気付いた。


 相手を見据えたまま、視線だけでベオを探すと、その姿は男の向こう、森の奥にあった。




 ルクスの視線に感付いたベオは、一度こちらを振り返って大きく手を振って見せる。そしてそのまま、森の奥の洞窟がある方向へと消えていった。

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