20筋:糸に導かれて

「気合を入れたけれども、最初の難関は家から出られないことだわ」


 私は家の出入り口に立って腕組みをした。


 最初は見えない壁に阻まれていると思っていたけれども、どうも違う様子。


「壁とは違う感触なのよね。こう、なんというか……細かい筋が入っているような……。そう、まるで糸のような……」


 そこまで独り言を口にして、はっと気づいた。

 私が今視えなくて、トバリが存在を知っていそうなものと言えば……。


「もしかして、神の糸で出来た壁で閉じ込められているの?」


 トバリは出発前に「出ちゃだめだ」と言っていた。

 つまり、出ようと思えば自力で出られる可能性が高い。

 私に神の糸が視えさえすれば、書物に書いてあった通りに断ち切れるのかもしれない。


 サラサラとした糸の肌触りを確認しながら、私は呟く。


「どうして今は神の糸が視えないの? お社で急に糸が視えるようになったのは、何故かしら」


 私は試しに、「神の糸を切る」ことを意識して指先の爪を立てる。


「お願い、切れて……っ!」


 お母さんと私の糸を断ち切ってしまったときのように、私の意志を以ってそれを断ち切ろうとしたけれども……。

 切れたような手ごたえは、全くない。

 目にも視えないから、どの程度糸を傷つけることが出来たのかも、見当がつかないでいる。


「どうして!? あの時は簡単に切れたのに、どうして今は切れないの!?」


 家から抜け出すことに苦戦している間にも、地震は多発している。

 きっと、奈落へと落ちてしまった犠牲者も沢山出ているはずだ。


「どうしてこういうときに限って……っ、糸が視えないのよ!!」


 何度も何度も指先で糸を千切る仕草を繰り返しても何も起きず、まさに雲をつかんでいるような感覚がする。


「どうして、私は肝心なときに何も出来ないのよ!!」


 やけになって見えない壁に両手を叩きつけると、不意にチリチリと左手の小指が熱くなってきた。


『我が運命と繋がる、糸を司る乙女よ』

「……っ!?」


 指がジリジリと痛みを感じるほどに熱くなった瞬間、とても懐かしい声が響く。


永遠トワの糸に絡み取られたお前に、力を貸そう』


 メグリトが落ちる前に聞こえた、私に糸を切る手段を告げた声だった。


「あなたは、誰なの!?」

『我の糸を掬った乙女よ、糸をれ!』


 声が私に強く呼びかけた途端、左手の小指から全身へと一気に熱が走る。


「う……あ……!?」


 目の奥がジリジリと熱い!

 頭が割れるように痛い……!

 ひとつひとつの神経を指先で捉えてしまいそうなくらい、感覚が敏感になっている……!?


『顔を上げ、正面を捉えよ』


 こんなに痛い思いをしているのに、この声はどうしてか安心感がある。

 だから私は言葉に従い、断ち切れないと思っていた見えない壁を前にした。

 そこにあったのは……。


「視えた……ッ!!」


 糸で織られた、檻だった!!


『お前の運命を縛る糸を、断ち切れ!』


 左手の小指から、温かい力を感じる。

 まるで誰かと強く繋がっているような、心強さを感じる不思議な力が……。

 声に頷き、私は右手の指先に意識を集中させた。


「切れてっ!!」


 爪で強く切り込みを入れるように、切り裂く動作をする。

 すると、それまで全く手ごたえがなかった糸が、バッサリと切れた。


「やったわ!! 今のうちに!」


 そのまま私がひとり通れるくらいの隙間を作ると、左手の小指から徐々にぬくもりが消えて行った。


「あ……」

『その力は一時的なもの。お前本来の力は、お前自身の力で目覚めさせろ……』

「誰か知らないけど、ありがとう……」


 名残惜しさを感じながら呟いたお礼の言葉は、不思議な声の主に聞こえただろうか。

 熱が失われてしまったせいか、声の主が言っていた通り、私は再び神の糸が視えなくなっていた。

 あの声は、書物の主だったのだろうか。


「それにしても、糸が視えないと不便なんて思うようになるなんてね……」


 先ほど作り出した隙間を手探りで見つけると、そこから家の外へと抜け出した。

 ただ糸が見えなかった影響と勢いあまって飛び出してしまったせいもあって、顔から地面に向かって激突しそうになる。


「わっ、わあっ!?」


 このままだと顔をぶつける!?


「危ない!!」


 そう思っていたとき、誰かが私の腕を強く引っ張った。

 トバリが帰って来たのかと一瞬思ったものの、彼の声ではないことにすぐに気づく。

 引き締まっているように感じられる胸元に引き寄せられていることも、トバリではないと思う理由のひとつだった。

 こんなところにやって来る人間なんて、そうそう考えられない。


「あ、ありがとう……」


 私はゆっくりと、受け止めてくれた人の胸元から顔を上げた。

 すると、そこにいたのは……。


「お前なあ。危なっかしいとこ、昔っから変わんねえな」


 朱色の髪の毛に、芯が強く呆れた眼差しの青年だった。


「メグ……リ……ト?」


 奈落の底に落ちてしまって、誰もがもう帰ってこないと思っていた、私の大事な幼なじみのひとり……。


「メグリトなの……?」

「ああ、そうだ」


 数日前に都市ですれ違った青年と全く同じ顔立ちで、私はあの時に間違いなくメグリトとすれ違っていたことに気づかされた。


「つーかさ、すぐ分かったってことは、俺ガキだった頃からあんま変わってないか? お前誰? なんて言われると思ったんだが……うわっ!!」

「メグリトッ!! 会いたかった!!」


 軽口を叩いていたメグリトに、私は感極まって抱き着いた。

 もっと早く再会したかった。そうすれば何かが変わっていたかもしれないのに……。

 一瞬だけメグリトを責めてしまいそうになって、そんな自分が嫌になって……。

 けれども、彼が戻ってきてくれたことは純粋にとても嬉しくて堪らない。

 複雑に絡み合った心を取り繕うことが出来なくて、私は彼の胸元で表情と零れそうになる涙を隠そうとした。


 すると、メグリトが私の背中を優しくトントンと叩きながら喋り始める。


「なんだよ、コヨリ。久々に会ったのに、ちゃんと顔も見せてくれないのか?」

「だって、私変な顔してるから」

「変顔してたって良いだろ。俺はコヨリが泣いたって、怒ったって構わないさ」

「怒られるのは私のほうよ! 私のせいでメグリトは奈落に落ちたんだから!!」

「何で俺が怒んなくちゃいけないんだよ。俺はコヨリを助けたくて助けたんだ。お前を助けたことを、絶対に否定なんかさせない。素直に助けてくれてありがとうって、言えば良いんだよ」


 メグリトがぎゅっと背中を抱きしめてくる。

 私が助かって、彼が落ちてしまってから、ずっと後悔し続けていた。

 都市の住民たちから責められて、余計に気が沈んでいく思いでいた。

 長い間苦しみ続けていたけれども、彼は私を責めるどころか、私の無事を喜んでくれている。

 そのことが、とても嬉しく感じて仕方がない。


「それに、コヨリは俺が落ちたあとも、俺のことを心配してくれたんだろ? こうやって、戻ってきたことを喜んでくれてさ。……ありがとな」

「私も……私もありがとう、メグリト。助けてくれて、ありがとうっ!」


 安堵を覚えるぬくもりに、私は堪えていた涙がそろそろ零れてしまいそうだった。

 戻ってきてくれた彼のために、私は涙を拭い、顔を上げて微笑んだ。


「お帰り、メグリト……!」

「ただいま、コヨリ」


 随分と成長して精悍な顔つきになったメグリトが、朗らかに微笑み返してくれた。

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