19筋:この糸が視えるようになってしまった、あなたへ
すぐに戻ってくるようなそぶりを見せていたトバリだが、地震が収まってしばらくしても、一向に帰ってこない。
外に出られもしないため、私は例のでこぼこしている光る書物を手に取った。
表面を撫でていると、不思議と前回よりも文字が読み取れるような気がする。
「神の糸が……視える……ように……なったあなたへ……」
綴られていた文字は、予想外の文章だった。
「この文字は、神が作り出した糸で綴っています。これが読めるということは、あなたは神の糸が視えることに他なりません」
私に視えるのは、人同士の運命の糸。
神の糸が視えたのは、お社でトバリに絡みついていたときだけ。
それでも私は、その文字に縋りつくように続きを読み進めた。
「おめでとう……と言うべきではないのでしょうね。きっと、あなたは助けを求めているのではありませんか?」
この書物を書いた人はどんな人物だったのだろう。
将来、私のような人物が助けを必要としていると感じて、この文字を綴ったのだろうか。
「この家は、拾之神トワの作り出した家。私は彼に……彼の撚代になった者に捉えられ、この家に閉じ込められています」
――トワ。トバリも語っていた、神様の名前だ。
「地上が滅亡の危機に瀕していた中で、十の神々は人々を救うために、指先から作り出した糸を作り出しました。神の糸を編むことの出来るお役目を担っていた私は、それらの糸を操って『十指神様の大樹』に張り巡らせました。安定した土地は、それぞれ十の神々が管理する、都市へと姿を変えていきました」
これまで読んだ書物や、口伝では聞くことのできなかった内容が、ここには書かれていた。
「新たに出来た空中大陸で、私たちは平穏に暮らしていました。しかしある日、十の神のうちの一神であるトワが言いました。あなたの織ったものが、もっと欲しいと」
それはお社でトバリも語っていた台詞……。聞き覚えのある言葉に、ドキリとした。
「私の編むものには、大なり小なり不思議な力が宿っているようです。彼はその編み物を独占するために、この家を作らせ、私の親しいひとを器にして近づいてきました」
お社にあった古い織物は、この書物を書いた人物が作ったものなのだろう。
「そうして、大地に綻びを作り、人々を奈落へと突き落としていきました。トワは力が不安定だったため、大地の糸を維持し続ける力がさほどありませんでした。だから、この都市を守り続けるためには仕方のないことだったのかもしれません。けれどもその行いは、私と彼以外は不必要と言わんばかりのものでした。だから私は、彼が怖くなってしまったのです」
私はこの文字を綴った人物と、似たような道を間違いなく辿っている。
「この家に閉じ込められてしまった、私の同士へ。神の糸は、あなたの力で切り裂くことが出来る。断ち切り、結んで、新たな道へと示すことが出来るもの。私にはもう時間は残されていないけれども、これを読み始めたばかりのあなたなら、きっと。それが出来るはずです……」
神の糸で書かれた文字は、ここで終わっていた。
「……神の力は、私の力で切り裂ける……? あの時みたいに……?」
メグリトを救うために、自分と他人の糸を切ってしまったあの時のように……。
「それに、神の糸を切れって言われても……」
人の糸と神の糸は違う。
気絶する前は確かに神の糸を視えていたかもしれない。
だけれども、今は視えなくなってしまったし、神が作り出した糸を、そんなにも簡単に断ち切ることが出来るのだろうか。
書物からは新たに情報が得られたが、現状を改善するための助けにはなっていない。
途方に暮れた私は、溜め息をついて気分転換することにした。
ひとりで寂しくお茶を煎れて、思考を巡らせる。
その間に改めて自分の姿を確認すると、お社で気絶する前に着ていた外出着のままだった。
普段着に着替えると、私はふと小箱に入れたままの三色の組紐を取り出す。
「トバリ……」
書物に書かれていた、トバリと同じ神の撚代の存在を思い出しながら、私は組紐の紺色の部分をなぞった。
「あのトバリは、私が知っているトバリなの……? 大地の綻びを作ろうとしているのは、神様の意志? それとも、トバリも……? そうだとしたら、止めないと……」
でも、どうやって止めれば良いんだろう。
この家からは出ることは出来ないから……。
悩みながらも組紐の朱色の部分に触れたそのとき、ふと都市に出かけたときに見かけた青年のことが頭をよぎった。
どこか懐かしさを感じる、朱色の髪の青年。
それは奈落に落ちていったメグリトに似ていて……。
「あのひとは、メグリトだったのかしら……」
私が糸を視えることを伝えずに暮らしていたら、メグリトは奈落の底に落ちることはなかった。
「メグリトのことも、トバリのことも……。私が考えなしに行動してばかりで、巻き込んでしまったわ……」
トバリだって、
「こんなんじゃだめだわ。しっかりしないと……私……!」
着替え終わった帯の上に、手にしていた三色の組紐を縛り上げる。
「トバリを何とかしないと……!」
このままでは、トバリはいつかトバリではなくなってしまうかもしれない。
左腕に絡まる紺色の糸の薄さが、それを物語っているような気がしてゾッとする。
けれども、書物に書いている通り、まだ間に合うなら……私に何かが出来るのなら……。
私は箪笥にしまっていた小箱を取り出すと、中に入れていた朱色一色の紙紐を撫でる。
そして帯と着物の間にねじり込んでしまった。
「メグリト、勇気をちょうだい……!」
その瞬間、まるで勇気を与えられたように、左手の小指が熱を持った気がした。
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