8筋:唯一繋がったままの糸

「トバリは朝ごはんを食べた?」

「ううん、まだだよ。コヨリちゃんに作ってもらうつもりで来たの。ぼくの分も、作ってくれる?」

「ふふふっ。良いわよ」


 こういう甘えん坊なところが、小さかった頃のまま可愛らしくて、思わず微笑ましい気持ちになる。

 もちろんトバリの朝食も用意するつもりだった私は、今日彼が持って来てくれたばかりの材料を確認した。


「折角だから、おかずはトバリが持って来てくれたお魚にしようかしら?」

「お米の様子はぼくが見るね」

「荷物重かったでしょう? 休んでいて良いのに」

「疲れてないから大丈夫だよ。それに、コヨリちゃんはもっとぼくに頼って良いんだよ?」

「う……。でもいまでさえトバリにお世話になってばかりなのよ……」

「ぼくがやりたくてやっているんだから、いいの」

「う、うん。じゃあお願いね」


 トバリとこうやって朝食の準備をしていると、みんなとの縁を切ってしまった私にも家族がいるみたいで落ち着く。

 あの事件の前は、両親を亡くしたトバリも私と一緒に暮らしていた。

 お母さんと私が朝食の準備をする傍らで、トバリがちょこちょこ後をついて来て……可愛かった記憶がある。


 だけど、あの時とはもう違う。いまの私には、家族はいないも同然だった。

 

 彼だけはそばにいてくれる。本当の家族じゃないけど、縁が繋がった家族の様に接してくれている。

 それだけで、私はすごく励まされているように感じた。


「どうしたの? 何か良いことでもあった?」


 私がトバリの幼少期を思い出し笑いをしていることに気付いたのか、火の様子を見ていたトバリが不思議そうに首を傾げる。


「ううん。トバリが大きくなったなって思ったのよ」

「コヨリちゃん、またお姉さんぶってる。もうぼくは大人だよ?」

「分かってるわよ」

「分かってないよ」


 むすっとした顔をしたトバリが、まな板の上で大根を切っている最中の私の後ろにトバリがやってきた。


「トバリ? 調理中は危ないから、そばに来たらだめよ」

「大丈夫だよ」

「大丈夫じゃないってば。包丁を持っているから、危ないわよ」

「ぼくコヨリちゃんを信用しているから、大丈夫」

「……信用されるようなこと、私は何もしていないのに」


 ぼそっと呟いた言葉は、たぶんトバリには聞こえていないのかもしれない。


 それにしても、妙に距離が近くて緊張する。

 いやいや、弟分も同然なトバリ相手に、私はどうして緊張しているのだろう。

 そんな私の心境を知ってか知らずか、トバリが背後から私のことをぎゅっと抱きしめて来た。


「ちょ、ちょっと! トバリ!」

「ぼくとの糸を切らないでくれた、コヨリちゃんを信用しているよ」

「トバリ……」


 自信なく呟いた言葉は、トバリに聞こえていた。


「あのとき、ぼくまで糸を切られたらどうしようって……思ったんだ」

「……」


 一瞬だけ判断に迷ったことは、当の本人に言えるわけがない。


「ぼくはこんなにも、コヨリちゃんのことが好きなのに……」


 そういうと、彼は私を抱きしめる力を強める。

 トバリの体温は、人恋しさが募っていた私には酷く効果的だった。


「私も、トバリが好きよ」

「やっぱり、分かってないよ」


 拗ねたような声色が、耳元のすぐそばから聞こえてきて、私は思わずドキッとしてしまう。


 トバリの言う「好き」は、きっと家族や幼なじみとしての「好き」なのだと思う。

 私に縁付いた家族がいなくなってしまったのと同じように、トバリには血の繋がった家族はもういないから……。

 だからこれは、男女としての好きじゃない……はず。

 こんなに恋人同士が接する場面のような状況でも、私はトバリを弟のように思っているし、彼も私のことをそう思ってくれているのかな?

 でもさっきは、私がお姉さんぶっていることに拗ねていたから、いい加減に姉離れしたいということかな?


「ねえトバリ? 朝食作るから、離れて?」


 それにしても……この距離感は、やたらと近すぎる。

 でも、昔はトバリのことを私がぎゅっと抱きしめてあげていた。

 大人になって背丈が逆転したように、立場も逆転したと思うと……不自然ではないかも……?

 それに、元ひとつ屋根の下に暮らしていた弟も当然な幼なじみが相手なら、適切な距離感……?


「……いやだよ」


 ううん、トバリの温もりに絆されそうになってしまうけど、私たちだってもう良い歳なんだから。

 実の姉弟でもないのにこんなに近すぎるのもどうかと思う。


「う、うーん……」


 なんて思いながらも、トバリがなかなか離れようとしないので、包丁を手放して彼が抱きしめるのをなすがまま受け入れる。

 私は彼の気が済むまで、私にべったりな態度に翻弄されていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る