6筋:間に合わなかった、救いの糸

「切っちゃった……」


 呆気なく切れてしまった私とメグリトのお父さんとの絆の糸は、私の糸に収まった。


「え?」


 呆然とした声で呟くと、トバリが目を見開いて私を凝視する。


「切れちゃった……」


 メグリトを助けようとして、助けられずに嘆く彼のお父さんの様子は、一見では変わらない。

 でも確かに、私とメグリトのお父さんの縁は綺麗すっぱりとなくなってしまった。


「でもこの糸があれば……」


 私はもはや、無我夢中で糸を切った。


 私と、近所のひとたちとの糸。親戚との糸。私たちに勉強を教えてくれる先生との糸。友だちとの糸……。


 それを断ち切り、手繰り寄せて、空中で縄のような太さに編む。

 この糸が見えないトバリからすると、私が不思議なことをしているように見えるらしい。


 ただ、私が糸を切る動作をすると、彼は怯えて止めて、止めてと懇願する。


「何をしてるのか分からないけど、でもコヨリちゃん、いけないことしてるよね? ダメだよ……!」

「私と皆の糸を切って、メグリトを助けるの……!」

「なんで!? どうして!? メグくんはもう落ちちゃって、戻ってこれないよ……!」

「それでもよ!! それでも、私のせいで落ちたんだから、私が助けないと……!」

「コヨリちゃん……」


 きっとメグリトは、奈落の底で彷徨っている。

 だけど、そんな彼を助けるための糸は、まだ足りない。

 私が再び糸を切ろうとすると、トバリがぎゅっと私にしがみついた。


「いやだよ……! ぼくとコヨリちゃんの糸は切っちゃいや!」

「トバリ……」

「だってぼく、コヨリちゃんがいなくなっちゃったら……ひとりになっちゃう……!」


 はっと息を飲んで、私は頷いた。

 数年前にトバリの両親は亡くなってしまって、私の家で一緒に生活している。

 だから、私との縁が切れてしまったトバリは、たしかに行く場所をなくしてしまうかもしれない。


 それなら……。私は決意した。


「ごめんなさい、お母さん……」


 お母さん。私とお母さんの糸を切ってしまったら、お母さんは私のこと……忘れちゃうのかな?

 でも、メグリトが居なくなる苦しさに比べたら、お母さんが私のことを忘れてしまうくらい、どうってことない。

 どうってこと……ないのよ。

 私は強く、自分にそう言い聞かせる。


 お母さんとの糸を切るときは、とても悲しい音がする気がした。


「ごめんなさい、お父さん……」


 知らないところで一方的に、私との縁を切られてしまったことに気付いたら……どう思うんだろう?

 ううん、縁がなくなってしまったら、きっと何もなかったことになるに違いないから……。

 だから、私がお父さんとお母さんに怒られるなんてことは、もうなくなってしまう。

 怒られる日々が嫌だったけれども、相手にされなくなる日が来ると思うと、悲しくなってくる。


 お父さんとの糸を切るときは、とても重い感触がした。


 ひとつひとつを断ち切るたびに、私は涙を零して謝った。


 それに……。


「言いつけを守らなかった悪い子で、ごめんね、おばあちゃん」


 おばあちゃんはすでに亡くなっている。

 だから私との糸はないのだけれども……私は謝らずにはいられなかった。


 おばあちゃんの言いつけさえ守っていれば、メグリトが奈落に落ちることもなかったのに……。


「メグリトー!!」


 私は断ち切った糸を使って作った縄を、奈落の底へと下ろす。


「メグリト! いるならこの糸を掴んで!!」


 けれども、奈落の底からの応答はない。


「メグリト!!」


 手遅れだったなんて、信じたくない……!

 だから私は、奈落の底に向かって必死に糸を垂らし続けていた。


 しかし……。


「この子か! メグリトとトバリくんを連れ出したのは!!」

「きゃっ!」


 突然、私の腕をメグリトのお父さんが掴んだ。

 その途端に、私は奈落に向かって垂らしていた糸から手を放してしまう。


「あっ……待って……いっ!」


 あれがないと、メグリトが上ってこれない……! メグリトが奈落の底で迷子になってしまう!

 そう思って糸へと手を伸ばそうとしたけど、私の腕は大人の手で簡単に捻りあげられてしまい、抵抗できなくなってしまった。


「め、メグくんのお父さん? ど、どうしたの……? どうして、コヨリちゃんに乱暴してるの?」

「トバリくん? どうして知らない子と一緒にこんな危険なところまで来たの?」

「……っ」


 メグリトのお父さんと、私のお母さんの反応を見ると……ああ、やっちゃったんだな……と心から理解した。

 私、やっちゃったんだ……みんなと私の縁を、本当に切っちゃったんだ……。

 でも、こんなに簡単に忘れられるなんて……正直ショックだった。

 私と縁が続いたままのトバリも動揺しているらしく、私を拘束しようとするメグリトのお父さんの着物をぐいぐいと引っ張っている。


「!? お、おばさん! どうして!? 知らない子じゃないよ!」

「うちの都市にいる子だったかしら?」

「コヨリちゃんだよ! おばさんの子だよ!? どうしたの!?」

「ええ……? 私に子どもはいないわよ」

「……っ」


 縁が切れたと自覚させられるお母さんの言葉に、私は息を飲んだ。

 ついに抵抗出来ないように地面に体を押し倒された私は、いつの間にか地震が収まっていたことに気付いた。


「この子がメグリトを突き落としたのか」

「違うよ……! コヨリちゃんはそんなことしない!」


 私はメグリトを危険に合わせただけじゃなく、助けられなかった……。

 そのうえ、皆との絆も失ってしまった……。


 だからみんなにとっては、メグリトが私を助けるために奈落に落ちて行ったんじゃなくて、私が突き落としたと判断されるのも仕方がない。

 だって、私はみんなの知らない子だから……。

 いくら正義感の強いメグリトでも、知らない子を助けたせいで消えてしまったなんて、誰も思いたくないに決まっている。


 ぽろぽろと涙が零れて来る。私は全部、何も決意出来ないで行動してしまった。

 世界の果てに来ることも、糸を切ることも……。


「みんなみんな、私のせいよね……」

「そんな……コヨリちゃん……。コヨリちゃんを覚えてるのは……ぼくだけなの……?」


 トバリが絶望した眼差しで、倒れる私を見つめていた。

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